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3話 セナと私


 ビルの多い都心部から離れ、私は海の近くまで来ていた。既に日は傾き、空は茜色に染まっていた。浜辺にさしかかると流木や捨てられたゴミが散乱している。ローファーの靴擦れで足が痛々しいことになっているのだろうなと思いながら、石の階段を降りてローファーを脱ぎ、浜辺に足を踏み入れた。靴下が白くなるという予想はしていたが、脱ぐのが面倒でそのまま履いていた。
 私は波打ち際まで行くと、手に持っていたローファーとスクールバックを投げ捨て、そのまま砂の上に腰を下ろした。もう何もかも疲れた。もう私は使い物にはならない。冷たい砂の感触が肌に伝わってきた。
「1週間経ったのに、来ようとしないんだね。」
 後ろから聞き覚えのある声がした。あの茶髪のアンドロイドだった。彼は浜をスタスタと歩いて来ると、そのまま私の隣に腰を下ろした
「何で私がここにいるって分かったんですか?」
「…アンドロイドだから。」
 彼は海を見つめ続ける私に優しく言った。
「私、本当に駄目な人間なんです。子供っぽいし、人に甘えるだけ甘えて迷惑ばっかりかけて。友達だっていないし、そのことで気を遣わせちゃったり。勉強だって…運動だってできないし。…私は誰のために、何のために生まれてきたんですかね。」
「…人間って、真面目な人ほど深く考えるよね。」
「私、真面目じゃないです。」
 アンドロイドはため息をついた。
「今君は、必死になって生きようともがいているから苦しいんだ。辛いのは頑張ってる証拠だよ。」
「…あとどのくらい頑張ればいいんですかね。」
「オレはアンドロイドだから分からないよ。」
 夕日を見つめたまま、アンドロイドは呟いた。

「君はまだ幸せだよ。確かに両親のことでの災難があったかもしれないけど、君自身は無事だし。本当に不幸なのはきっと両親の方だよ。娘の成長を見届けることができなかったんだから。」
「成長…。」
「残された方も不幸だし、逝った方も不幸。世界や次元が違っても、きっと君の両親は君と一緒に不幸を乗り越えるために頑張ってるよ。だから君も頑張らなきゃ。」
 優しく笑う彼の顔は、もはや人間だった。どうしてだ?どうしてこんなことが言えるのだ?

―――あなたはアンドロイドなんでしょ?

「本当に…アンドロイドなんですか?」
「アンドロイドじゃなくて、人間だったらどれだけ幸せだっただろうね。」
「幸せじゃないんですか?」
 私の単純な問いにアンドロイドは黙り込んだ。もう私には彼が答える気がないのか、考えているのか、よく分からなかった。
「あんな戦争地獄にいて、幸せな奴なんているのかね。」
 彼は独り言のようにぼそりと呟く。
「戦争!?」
「気になる?本当の地獄っていうもの。生き方の観点が変わるかもしれないよ。」
闇を纏ったような低い声でアンドロイドは私に尋ねた。私は首を思い切り横に振った。もう嫌だ。これ以上の地獄なんて、私には受け止められない。
「だよねぇ。」
 アンドロイドはふざけたようにケラケラと笑った。
「心配しなくていいよ。君に頼もうって思ってる仕事は雑用だし、いざとなったらオレがいるし。」
私は戦争地獄という言葉で腰が引けてしまった。このアンドロイドは一体、どういう立場に置かれているのだろう。どうやって生きてきたのだろう。今まで私は自分のことを好奇心だけで探られてほしくはないと思っていたはずだったのに、いつの間にか彼のいる世界を好奇心で知りたくなっていた。もしかしたら彼は私にその地獄を見せて、恐怖以外の何かを感じ取ってほしいと思っているのだろうか。生きている意味を、生まれてきた意味を、もう1度私に改めて考えさせようとしているのだろうか。
「私の考え過ぎですか?それとも自惚れですか?」
「え?」
「どうしてそこまでしてくれるんですか?他人なのに。」
 茶髪の隙間から見えた瞳は、やはり優しかった。
「ねぇ。他人なのにねぇ。でもオレ、優しくないよ。」
 他人事のように彼は笑う。そして次の瞬間、完璧に話題が逸れた。
「そう言えば、名前は?」
「え?あぁ。夏川理真です。」
 警戒心はもう何もなかったとは言えないかもしれないが、名前くらいは平気だった。だが口座番号を教えるまでには程遠い。教えたらきっと明日にはスッカラカンだ。
「あの、名前は?」
 まさか聞き逃げはないだろう?そう思いながら聞いた。
「オレは製造番号とかしかないよ。」
「逃げるんですか!?」
「だって…名前って言われても、10数年生きてるうちについた呼び名くらいしかないよ?」
「まさか“アンドロイド”とかそのままだったりしませんよね?」
「セナって周りからは呼ばれてる。」
「…セナ。」
 確かに綺麗な彼の見た目に合った名前だと思った。地味な見た目に合わない私の名前とは大違いだ。
「呼び捨てでいいよ。それに敬語じゃなくていい。」
「…分かった。」
「ま、オレからの誘いはなかったことにしよっか。」
「え!?待って!」
 彼は突然今まで話したことを黒く塗り潰そうとした。
「あたし、自分がどれだけ幸せなのか知りたい。あたしの中の幸せのものさし、目盛が消えちゃったみたいで。」
 ふざけて言った。しかし彼は真剣な顔をして答えてくれた。
「じゃ、もう1度目盛、一緒に書こっか。」
 そうは言ってくれたものの、それを境に会話が消えた。明らかに悪いのは私だ。まだ心の中が“戦争地獄”という言葉で埋め尽くされているから。私はこれほどまでに優柔不断だっただろうか。
「時給100円でいい?」
「はい。えっ!100円!?」
「ハッハッハ。」
 セナはまたケラケラと笑う。だがその笑いはすぐに止んだ。
「大丈夫だよ。理真ちゃんなら変われるよ。それに徐々にでいいよ。引き返したくなったら引き返していいし、自分と見つめ直すいい機会だと思って。」
「でもさ、時給100円はちょっと足りないよ。」
「…あーあ。帰ろうかな。」
 セナはわざとらしく立ち上がると、浜辺の砂に半分埋もれていた私のローファーを手に逃げ出した。
「ちょっと!待って!靴返してよ!」

私は気づいていなかった。私が名前を名乗った時、セナは何か確信したような目を私にずっと向けていたのだ。


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