1話 独り
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
「嘘だ嘘だ嘘だ。」
白い壁と白い床、天井に包まれているような廊下。ただ少女の呪うような声が響いている。少女は壁側に寄せて置かれた、焦げ茶色の長椅子に震えながら座っていた。その隣には視線を床に落とし、壁に寄りかかっている焦げ茶色の髪をした女性が立ち尽くしていた。
「落ち着いて。理真ちゃん。」
その女性の声に俯いていた少女は顔を上げた。絶望に染まる瞳からは大粒の涙が溢れ、肩まである長い髪の前髪部分を濡らす。顔を上げた拍子に零れた涙は、首元にある制服のリボンと黒いチェックのスカートに滴り落ちて、染み込んでいった。
「おばさん。あたし、これからどうすればいいの?」
涙声で言う少女に、女性は戸惑いながらもはっきりと言った。
「ごめんね。あたしの方では息子も大学に行ってるし。…そう。龍也よ。だから、ごめんね。ちゃんと様子も見に行くし、何かあったらいつでも行くわ。ある程度は姉さんやお兄さんが貯めてきたお金があるし…これからのことは少しずつ決めていきましょ?」
これから決めていく?何をのん気なことを言っているのだ?
三日前の昼過ぎ、私の両親は買い物に行くと言い残して出かけて行った。その約三時間後、私の母の妹、叔母から電話が来た。父と母が交通事故に遭ったと。
叔母夫婦はすぐに車で私の家へ来て、病院へと急いだ。しかしもう、父と母は息を引き取っていた。冷たく、痛々しい傷が残る顔。この傷も、治ることはない。
医者は泣き叫んで父と母の手を握る私に、「二人とも、数か所骨が折れていた。」と私に言った。骨が折れていても、それは既にどうでも良いこと。二人はもう、動かないのだから。
翌日、通夜を終え、葬式も終えた。経過した日数はたった三日。私は頭の中が混乱していて、これからの生活のことを考える余裕など全くなかった。しかし人間は収入がなければ生計を立てていくことができない。
思い切って叔母に火葬場の廊下で、これからの生活をどうすればいいか尋ねると、「私はあなたを引き取れない。」と言われてしまった。完璧に突き離された。
生前、母は私に「私たちに何かあったら、美華子叔母さんを頼りなさい。」と何度も言っていた。結局、私は一人になってしまった。父と母が死んだと共に、私の人生も死んだのだ。
まだ火葬した熱が残っている骨壷を玄関に置き、夜の闇に包まれた家の中に向けて言った。
「ただいま。」
いくら待っても、父と母の声が聞こえてくることはない。大きく深呼吸をすると、知り合いに頂いた百合の匂いで頭が痛くなる。ただでさえ痛いのに。
私はもう一度家の外に出て、「忌中」と書かれた紙が貼り付けてある一戸建ての私の家を見上げた。家の中から漏れる光りは一つもなく、家は夜の世界に溶け込んでいた。ため息をついて玄関に入ると、二つの骨壷を両腕に抱えてリビングへと向かった。そしてダイニングテーブルに白い骨壷をそれぞれ、父が座っていた場所、母が座っていた場所のテーブルの上に置いた。
しばらくすると私は台所に行き、賞味期限を二日過ぎたレトルトカレーを見つけ出した。母がいつも使っていた鍋に水を入れ、ガス台に置く。レトルトカレーを袋ごと乱暴に入れ、火を点けた。
ふと米を準備していないことに気づき、炊飯器を開けた。そこには三日前の夕食になるはずだった米が入っていた。私はそれが悪くなっていようが、いまいが関係なく皿によそった。
レトルトカレーを何分熱したか分からない。今の私には時間の感覚がないのだ。一分も十分も同じように感じる。
私は両親の骨壷に見守られて、カレーを口にした。味もはっきり言って分からない。けれどむしゃくしゃして口の中に詰め込む。もう口に入らないと喉が訴えてくるのも構わず詰め込み続ける。狂ったように頬を伝う涙。
「う…うわぁぁぁ。」
思わず顔を両手で覆って声を出して泣いた。悲しさと気持ち悪さで吐き気が襲ってくる。辛うじて口の中のカレーを飲み込むと、皿に残っていたカレーは全て生ごみとして捨てた。これ以上、食べられなかった。
風呂にも入らずピンクの長袖のTシャツと灰色のズボンを着ると、自分のベットの中に潜り込んだ。ぎゅっと目を閉じて、眠気が迎えに来るのを待つ。ときどき家が自然と軋む音を立てる度に体がびくっと跳ねた。布団を頭の上まで被り、私は静かに呼吸をする。
――これからどうなるの?
無駄に思考が働こうとする。
ずっと一人?それは無理に決まっている。やはり施設に行かなければいけないのだろうか?でも私は十七歳。高校三年生だ。施設に入ったとしても、いられるのは数カ月。
大学は?行けないの?…行けるはずがない。これから両親が残した遺産に手を出すことになるのだ。大学に行けるほどの余裕は全くない。
なら就職するの?こんな就職難の時代に、私みたいな無能な高校生を受け入れてくれる企業なんてあるはずがない。
アルバイトしないと、ヤバいよね?そうだ。両親の残した遺産も、いつか底をつく時が来る。その時に備えて、私は働かなくてはならない。
――一人で生きていけるの?
絶対に無理だ。一人なんて。でも叔母は私を引き取れないと言った。一人で生きて行くしかない。
お金は?将来は?本当に一人で生きていけるの?
思い切り布団を足で蹴り飛ばした。はらはらとベットの下に落ちていく。私は起き上がり、ベッドから降りて自室を出て行った。向かった先は一階の洗面所。鏡に写った私は目元の隈が酷く、やつれていた。鏡の下に目をやると、父・母・私のコップと歯ブラシが置かれている。もう何もかも嫌になって、私は右手にはさみを持ち、肩まであった髪を全て切った。
無我夢中で切った。全てを捨て去るつもりで切った。この悪夢から解放されるために切った。
しかし髪が男子のように短くなった私は、外見が変わっただけで、抱えている問題は形すら変わってはいなかった。ただ散乱した自分の髪を見渡して、私はどうすることもできなくなり、はさみを床に落とした。集めて捨てればいいものを、なぜか私は後退りをする。しまいには洗面所から逃げ出し、玄関へと向かい、靴を履いてドアノブに手を掛けた。
「忌中」と書かれたドアを破るように開けると、そのまま鍵も閉めずに私は道路へと走り出した。
こんな所からはもう、逃げてしまおう。誰も私を知らない所へと逃げてしまおう。これは全て夢なのだ。父も母も死ぬなんて、そんなことはありえない。悪い夢を見ているのだ。私がこんな不幸になることなんて一生ない。私は死ぬまで幸せに暮らせるのだ。そう。全部夢。だから、伸ばそうと決めていた髪を切ったのも全部夢。
息を切らせながら、閑散とした住宅街の細い道路の真ん中に立ち止まった。
「全部夢だ。」
そう言い聞かせて、自らの髪に触れた。相変わらず、短かった。
――そうだ。どこへ逃げても、何をしても、私の抱えている問題は消えることはない。私が不幸になってしまったという事実は変わらない。
私は嗚咽を漏らしながら住宅のブロック塀に寄りかかり、地面にへたり込んだ。
だれも助けてくれない。どうすればいいのだろう。
ぼんやりと考えていると、若い男の声がした。
「あの。大丈夫?」
辺りは暗くて、私を見下ろしている男がどんな表情をしているのか、全く分からない。しかし男の方は私がはっきり見えているようで、立ち止まって私にじっと顔を向けている。
「何してるの?こんな時間に。親さんに怒られちゃうよ。」
親?もういない。だから私は一人なんだってば。
「あ。禁句だった?ごめんごめん。」
反省の意を示しているようには見えない口調で男は言った。私は立ち上がり、男を置き去りにして道路をとぼとぼと歩き始めた。
「大丈夫です。もう帰りますから。」
「小学生もいろいろ大変だねぇ。」
私は自分の耳を疑った。この男、私を小学生だと思っているのか。思わず一度背を向けた男に振り返った。
「あの、小学生って?」
「あれ。小学生じゃないの?」
「高校生です。」
「ちょっと違うだけじゃん。そう怒らないでよ。」
笑えない。また男に背を向けようとした時だった。突然男にTシャツの襟を引っ張られた。
「え。」
気がついた時には、私は既に道路の上に倒れ込んでいた。ざらざらとした地面が肌を刺激して痛みが走る。私を倒した男は何も言葉を発することなく、腰のベルトから黒い銃を持ちだした。意味が分からず私はただ男を見上げていた。
男は右手に銃を持つと、いつからそこにいたのか、向かいの人間に銃口を向けた。どうやら私と男が会話をしていた時に背後にたたずんでいたのを、男は始めから気づいていたらしい。しかし男に銃を向けられた人間は、夜の闇でアウトラインしか識別することができず、男か女かも分からない。
すると突然、銃を向けられていた人間が、男の左腕にナイフを刺した。
「あ!」
私は思わず悲鳴に近い大声を出してしまった。男は銃の引き金に手を掛け、男か女かも分からない人間にこう言った。
「早くどこかに行っちゃいな。今日はやり合う気分じゃないから。」
アウトラインが戸惑うような動きをすると、男の腕からナイフを抜いて夜の闇へと消えて行ってしまった。
地面に滴り落ちる血。私は銃を腰のベルトに挟んだ男に、立ち上がって言った。
「ち、血が出てます。」
「知ってるよ。」
「びょ、病院に。というか、どうして銃なんて。」
「いろいろあってね。」
男はのん気に答えて、道路を歩き出した。
「あの、血が。」
歩く男を追い駆けて困り果てながら言い続ける私。
「うん。知ってる知ってる。」
「病院に行かないと。」
「大丈夫大丈夫。」
「あの。」
私に返事を返すものの、男は止まることなく歩いて行ってしまう。
「オレ、こういう事情だから、交番とかに行けないんだよね。ごめんね。」
銃を持つような仕草を真似しながら、男は言う。
「あの、私迷子じゃないです。」
「あ。そうなの?んじゃ、帰ったら?」
「もう、帰らなくてもいいんです。」
私が男の背中に向かって言うと、やっと男は立ち止まり、私へと振り返った。やはり顔はよく見えない。
「何で帰らなくてもいいの?心配してる人がいるでしょ?」
「…いないんです。もう。」
叔母が心配している?私は既に叔母への信頼をなくしていた。心配してほしいとも、様子を見に来てほしいとも、一緒に将来のことを考えてほしいとも、もう何も思わない。
「興味ある。」
「え?」
男が平然と言った。
「話、聞かせてよ。何でそんなに自暴自棄になっちゃってるのか知りたい。ついておいで。」
また歩き出した男。私は男について行こうか迷った。知らない人について行ってはいけないと言うが、今の状況では顔すら分からないのだ。しかし私は男について行ってしまった。彼は銃を持っていたが、不思議と危険なオーラは感じられなかったのだ。
約何分経っただろうか。私はフラフラとしながら男の五メートルほど後ろを歩いていた。スニーカーを地面に擦るようにして一歩一歩前に進む。男の後ろ姿を見ていて二つだけ気がついたことがある。男は長身だ。私より20cm以上背が高い。そして髪は茶髪のようだ。二つとも街灯の僅かな明かりで判断したため、確かだとは言えない。
男が私を導いたのは、私が小学生の頃に通学路として通っていた住宅街の、やや幅が広い道路だった。一体、この男は私をどこに連れて行くのだろうか。そう思っていると、男は突然工場への角を曲がり、私の視界から消えた。
「あの!ここ、工場ですよ?」
男が向かおうとした先にあったのは、小学生の頃、みんなで「お化けがいる」と言って騒いでいた工場だった。十年以上前に会社が撤退してしまったと父から聞いたことがある。そのため外観はトタンが剥がれていたり、黒ずんでいたりと悲惨な状態だ。小学校高学年の男の子たちは、通学路でもないのに学校が終わるとこの工場に来て、お化け探しをしていた。その悪ガキたちの中の一人が私の幼馴染でお化け探しが終わると、私のことを「てるてる坊主」と言ってよく馬鹿にしていたものだ。馬鹿にされた私は逃げる幼馴染を怒って追い駆けるものの、足が遅くていつも息を切らして座り込んでいた。今も走ることが苦手なのは変わっていないし、悪ガキだった幼馴染とも同じ高校だ。そう言えば、サッカー部の部長だったような気がする。
男は私を見て笑っているようだった。
「ここがオレの巣。」
「え…ここに住んでるんですか!?」
「うん。」
そう答えると、男は工場の大きく口を開いたような入口の中へと入って行った。仕方なく、男の後を追って私も工場の中へと入った。中には工場として使われていた頃の機械や机が剥き出しのコンクリートの地面の上に置かれ、赤茶けた壁で覆われている。頭上で風によって回っている換気扇が月明かりに照らされていた。建物の中とは言え、風通しが良過ぎる。この男はこんな場所に住んでいて、体調を崩さないのだろうか。
「ごめんね。汚いけど許して。」
私が工場内を見渡している間に、男は事務所のような所のドアを開け、中に入って電気を点けた。
「オレ、よく珍しいものを見つけると拾っちゃう癖があるけど、まさか人間を拾う日がくるとは思わなかったね。」
やはり以前、ここは事務所として使われていたのだろう。先程の工場とは比べ物にならないくらい居心地が良い。しかし居心地が良い分、男の生活感がにじみ出ている。汚れたソファーの前のテーブルにはごちゃごちゃと何かの資料が置かれている。テレビの上には遠目から見ても白いほこりがかかっているのが分かる。
「で、話聞かせてよ。」
男が私を見た瞬間、私は思わず呼吸が止まった。明るい場所に来たため、男の顔が明らかになったのだ。茶色の少し長い髪の隙間から見える、綺麗で鋭い瞳。高い鼻に少し意地悪そうな唇。たちまち、自分の顔が赤くなるのが分かった。
「大丈夫?隈、ひどいね。そんなに辛いことでもあったの?」
「え?あ、はい…。」
「もしかして、オレのとこ警戒してる?」
「い、いえ。違います。」
なぜ私は私情をこの男に話さなければいけないのだ?私に対する好奇心か?しかし私の抱えている話は好奇心を持つ者に軽く話して良いようなレベルの話ではない。この男にも、ある程度の覚悟をしてもらわないと困る。
「話したくないなら、別にいいけどさ。…誰か大切な人、死んだの?」
「え、どうして…。」
「君、百合の匂いがするから。」
男は部屋の隅に置かれているデスク用の椅子に座り、私にソファーに座るよう促した。私はソファーに座ることに多少躊躇したが、立っているのも…と思い、ソファーに仕方なく座った。
「あの、私、三日前に父と母が交通事故で死んだんです。」
「…そうだったんだ。」
「ごめん」と言うように、男は目を細めて私を見た。
「叔母がいるんですけど、私を引き取れないと言われてしまって、でも私、もう高校三年生なんです。施設に入ったとしてもきっと数カ月しかいれないし。父や母が残したお金や保険金はあるんですけど、いつそれが無くなるかも分からなくて。」
「…そっか。」
私は涙が堪えきれなくなって俯いた。一体私は何をしているのだろう。この男に話しても何も変わらないのに。
「で、髪切っちゃったんだ。」
「え?」
「ボサボサだから。」
この男は私がどう見えているのだろう。気が狂った高校生?しかしこの男、先程から目の色変えずに私をずっと見つめている。
「なんで人間って、そんなに悲しむのかな。」
「え…。」
どうして悲しむ?この男は私の話を聞いていなかったのか?
「だって、父親と母親が亡くなったんでしょ?いずれ自分より先に死ぬんだから、それが少し早かっただけじゃん。それに君はもう大人だし、自立できるんじゃない?叔母さんだって引き取れないって言ったかもしれないけど、姪っ子のためだったら、いろいろ協力してくれるでしょ?」
「そうですけど…。」
「ごめん。オレ、アンドロイドだから、家族とかそういうの知らないんだよね。」
「…は?」
今この男、何と言った?今自分がアンドロイドだと言ったのか?
「うん。はっきり言って、オレに話しても何の解決にもならないね。」
「あの…アンドロイドって?人工人間ってことですか?」
自分でも驚くほど、突然涙が目の奥に吸収されていった。ぽかんと口を開けて男を見つめる私を、彼はただ平然と見つめてくる。
「Yes.」
「人工人間、なんですか?」
「Yes, I am.どうせ信じないでしょ?でもほら。さっきの傷、もうないでしょ?」
男はナイフで刺された左腕を私の目の前まで伸ばし、見せつけてきた。
「あの、近過ぎて焦点が合わないです。」
「あ。ごめん。」
私は男の左腕をくまなく見回した。しかし傷は見当たらなかった。…もしや、本当は刺されていなかったのか?しかし確かに地面に血が滴り落ちていて、刃が3㎝ほど肉を裂いて深く刺さっていた。
あれから三十分程度しか経過していないのにどうして?驚異的な治癒力と言うべきか?それとも機能と言うべきか…?
この男がアンドロイド…。
私はもう一度彼の姿を下から上へと睨みつけた。もしかしたらこの男がアンドロイドというのは有り得るかもしれないと、私は心の中で思った。だが現実的には人工人間を造るのは不可能だ。日本でも、いや、世界中どこを探したとしてもこんなに精巧なアンドロイドを造ることができる国は絶対にない。
第一に何なのだ?この男の容姿。こんなフェロモンのような物質・気体を撒き散らすようなアンドロイドを造るなんて、日本らしくない。Made in Japanなら、髪は茶髪ではなく黒髪だろう?
しかし顔をよく見ると端麗で精密過ぎて、何だか違和感がある。やはりこの男は人間ではない!
「何じっと見てるの?」
「日本にそんな技術があったんですね。」
「ねぇ。オレも造られてびっくりだよ。」
男は優しく笑みを浮かべた。
「あなたは何で造られたんですか?」
「え?オレ?…オレは特に何の目的もなく政府に造られた、ガラクタ同然のアンドロイドだよ。もっと性能がいい奴はたくさんいるし、そういう奴らは直に政府に雇われてるけど、オレみたいな三流アンドロイドになると放し飼い状態だから、お零れのスパイの仕事とか貰って金稼いでるだけかな。結局、材料費が大量に掛かっただけで造られる必要なんてなかったんだよ。…で、なんでオレの話になってるの?」
「すいません。」
私はソファーで体を丸めて軽く頭を下げた。
「さっき襲いかかって来た奴は、オレと同じ三流アンドロイドだよ。血の気が多いアンドロイドの種類だから、この前オレがアイツから仕事を奪ったことで、かなり腹立ててたんだろうね。まさかナイフを刺してくるとは。」
「仕事横取りしたら、誰でも怒りますよ。」
「オレが悪いって言いたいの?」
男に思い切り睨まれて、思わず目を逸らした。
「そうだ。そんなに金に困ってるんだったら、雇ってあげてもいいけど。」
「わ…私をですか?」
「うん。住み込みでオレの仕事の手伝い。生活費は全部オレが出してあげる。どう?」
「え。」
この男…アンドロイドとこの工場で同居?絶対に無理だ。ストレスで死んでしまう。血の気の多いアンドロイドの種類と他のアンドロイドを馬鹿にしていたが、お前も充分血の気の多いアンドロイドだ。
「あの…私はちょっと。」
「一週間くらいは待つけど?」
「はい?」
「すぐ答えを出すのは難しいでしょ?一週間後にまたここに来な。その時まで答えを出してくれればいいから。」
私はもう既に答えを出していた。だが男はその答えに納得してはくれなかったようだ。答えを出せと言うより、考え直せと言う方が男の思考にきっと近かったと思う。
とりあえず、一週間後にまた来るということにして、私は工場を後にした。もう私の感情の嵐は落ち着き、時間の感覚が戻りつつあった。家についたのは午前二時を過ぎていたと思う。落としたままにしていたはさみを片付け、散乱していた自分の髪をまとめて捨てた。自室に戻り床に蹴り飛ばしたままだった布団をベッドの上にきれいに掛けると、その中に潜り込んだ。最後に時計を見たときは、針が午前二時半を指していた。あとは何も覚えていない。
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