政治の勉強をする:政府がなんで「お肉券」なのか、ちゃんと考えてみる

いまの政府の対応は、全く意味がわからない、ように見える。

政府がなぜその行動をとるのか、僕たちは本当に真面目に考えた方がいいんじゃないかなと思っています。

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政治は"僕たち"を向かない

政府は"僕たち"のほうは向いてないかもしれない。でも、政府は味方=中規模以上の社長たちの方を、かなりちゃんと向いてるように僕には見える。

つまり政府は、"僕たち"じゃなくて、「社長層/資本家をちゃんと味方につけよう。そうすれば、自分たちはやっていけるのだ」とすごく合理的に判断しているんだと思うんですよね。

コロナへの対応、お肉券、お魚券、GoTo、アベノマスク…。僕らには全くふざけているように見える。でも、上記の施策において、政府は正しく、支持層からの要望に応えているんだと思うんです(社長層の気持ちを真に想像するのは難しいけど…)。

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僕たちは正しく切り捨てられている

今の各党支持率。

自民は40%前後だけど、その他はほんのわずかです。なにをしたって、今の支持層がまるっとどこかに寝返ることなんて、ほとんどありえない。だから政府は、僕らの方なんて向かなくても、ちゃんと今の味方のほうを向いて彼らを大事にしていれば、ちゃんと政権を握り続けることができる。

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つ今の政府=自民党にとって、僕たちは、政権を維持するうえで必要な存在ではない。あるいは、どれだけ批判しようと、彼らの足元を揺るがすことはない。

だから僕らは、「自民党が政権を握り続ける」ための戦略上で、"すごく正しく切り捨てられている"んだろうなと思うのです。

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さて、じゃあなぜ政府は、社長層の方を向くのか。

それは、もちろん僕たちが投票に行かないからですね。でも、じゃあ投票にいけ!というならそれは全く短絡的で、ここが一番難しい。

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「投票に行けない」とは、どういう意味なのか

なぜ僕は、「投票に行け」というのが短絡的だというのでしょうか。

それは、「投票に行け」という言葉がそもそも、あまりに偏った層にしか届かないメッセージだからです。もちろん、今の僕たちの投票率は低い。例えば20代の投票率は、以下を見ると33.85%です。

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だけれども今、そういう数字では見えないもっと手前の場所で、そもそも、多くの人たちは「投票に行け」ない。

「投票に行け」ないということが、一体どういうことなのか、考えたことはあるでしょうか。

例えば、「投票に行く」という発想そのものを持つことができないとしたら?その意味が分からないと思ったなら、ぜひ一度以下の記事を読んでほしい。

まさに問題は、この「想像力が奪われている」ということにある。こうした田舎では、とにかく文化と教育への距離が絶望的に遠いがゆえに、それらを想像することじたいから疎外されているのだ。

まわりに誰も投票にいっている人がいない。選挙の仕組みを知らず、あるいは知っていても、どこか遠い世界の出来事だと思っている。投票所の場所を知らず、投票券が販促チラシと同じように見える。

そういうあまりにリアルな世界が確かにこの国には今、ある。

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あるいは生活のなかで、「政治」なんてことを考える余裕がない人だって、たくさんたくさんいる。

上間陽子さんの「裸足で逃げる」には、シングルマザーとして子どもを育てながら、昼も夜もなく働き続ける沖縄の女性たちのことが綴られている。ちょっと上記のnoteでは意図が違うが、なんとなくその様子が伝わるかもしれない。あるいは鈴木大介さんの「再貧困女子」を読めば、あまりに壮絶な貧困というものに向き合うことになるだろう。

その彼ら/彼女らの生活の中に、政治のことが含まれる余裕はさて、あるでしょうか。

そんな世界のなかではむしろきっと、「10万、ありがたい!政府は頑張ってくれてる!」って、思っている。そんな人、ものすごい、ものすごい数いる。

「投票に行け」と叫べる僕たちの偏り

こうしてnoteで、こんなに長い文章をさくさくと読んでしまっている僕たちは、限りなくマイノリティです。twitterを見て、各国のコロナ対策を比較して政府を批判できる人なんて、僕らが思うよりきっと、ずっとずっと少数派なんです。

以前、偏りすぎた僕たちへ、という記事を書いたことがあります。

自分のまわりにいる人たちが、この日本という国の標準だと僕たちは思い込みがちです。

でも、例えばtwitterを使っている人たちなんて、20代で6割。(全体のうち)情報を得たり発信する目的でtwitterを使っているのは、たった3割だそうです。( https://gaiax-socialmedialab.jp/post-30833/ および https://markezine.jp/article/detail/31391

そんな偏りにすら気づかず、「投票に行け」と堂々といえる僕たちは、一体どれだけ強者なのでしょうか。

ここを根本的に解決しないと、僕たちの違和感は一生解決されないはずです。

それどころか、非正規労働は次々に増え続ける=こういう非常時に(資本家目線で)簡単に切り捨てやすいし、学校で政治は教えられないし、労働者は本当に考える時間すらない。

政府は信じられないくらいしたたかにやってると僕は思う。

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投票にいける世の中をつくるのは誰なのか

そもそも、「投票にいける世の中」を誰かが創らなければ、誰も投票なんていかない(いけない)んです。

もちろん、それは本当は国の役目です。

民主主義の責任は、主権をもつ国民ひとりひとりにある。しかし民主主義国家を自覚するからには、それをちゃんと機能させるために、国は「国民の責任を喚起する」責任があると僕は思います。

いま、民主主義なんて全く機能していないんです。

学校で政治を(あるいは議論の仕方を)教えず、非正規労働を拡張して若者から時間とお金を奪い、投票のオンライン化も推進せず。この国は国民から、民主主義の成立に最も必要な「国民の民主主義への責任」そのものを、長い長い時間をかけて奪ってきたのだ、と僕は思っています。

なぜなら、そうすれば「国民が怖くない」から。

投票にいかない国、自分の頭で考えない国民を、したたかに国は作ってきたのです。そんな、国民が全く関わっていない政治なんて、独裁と一体どこが違うのか。

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僕が首長になることを考えてみたりする。

首長に一体何ができるのかなんてさっぱりわからないけど、そのときはもしできるなら、学校で政治のことが教えられるようにしたい。誰もが自分の頭で考える力を身に着けてもらいたい。なるべく選挙に来てほしい。そのために必要なことをちゃんとやっていきたい。そして投票する権利を持つ人々から時間を奪うなんてことは絶対にあってはならなくて、むしろ適切な民主主義のためには十分に思考と生活の余裕があることが大事なはずで、そのためにあらゆる手を打ちたい。全然具体的に書けない。笑




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