E.F.シューマッハ「スモールイズビューティフル」(1986)

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ドイツ生まれのイギリスの経済学者・E.F.シューマッハによる名著をやっと読了。インドをはじめとした途上国の開発にも携わり、「人間の顔をもった」技術を世界的に展開しながら、仏教にも接近しながら「仏教経済学」などの概念を展開させたシューマッハ。その圧倒的な実践をベースにした切実な警鐘は、世界中に影響を与えました。

シューマッハの指摘は非常に簡潔。
・石炭や石油は再生不能財であり、根本的に他の財とは異なる
・環境は有限である一方、経済は、無限の成長を追い求めてしまう
ここに持続可能性はないため、適切な方向に推し進めるようなエコシステムを設計しなくてはならない、というのがシューマッハの指摘です。

「われわれは永続性の経済学を学ばなくてはならない」(p.43)

しかしここでシューマッハが極めて他と一線を画しているのは、その実践性。永続性を携えながらも、「人間の顔をもった技術の開発は、いったい可能だろうか?」(p.197)。こうした問いを据えながら、教育や経済、制度、技術に至るまで、極めて広い領域に実践的な提言を行っているのが本著の特徴。シューマッハの実践の履歴は、現代にも十分に通底する強さを持っているように思われます。

特に取り上げるべきは、彼が提唱した「中間技術」という概念でしょう。その根本にあるテーゼは、以下のようなものです。

「世界中の貧しい人たちを救うのは、大量生産ではなく、大衆による生産である」(p.204)

シューマッハは、発展途上国に対して、大規模資本の投下により、最新技術を使った工場を作ることは、資本家による所有を推し進めると強く批判しています。これにより、たしかに全体の量の上では「たくさんの売上があがる」ことになるでしょう。しかし、その機械は自分たちで直すこともできず、その技術は自分たちのものではない。こうしたものをいくら増やしても、それは人間の顔をもった技術だとは言えないのではないか。また、それは一部の所有者にだけ多くの富をもたらす構造になっているのではないか…。

これをもとに、大量の資本を必要とする工場やロボットは避け、自分たちで制御でき、自分たちで顔が見える技術を使って、可能な限り完全雇用を実現していく必要があるとシューマッハは説いています。

「科学・技術の方法や道具は、
 -安くてほとんどだれでも手に入れられ、
 -小さな規模で応用でき、
 -人間の創造力を発揮させるような、
 ものでなくてはならない。」(p.44)

中間技術が提示する、技術を人々自身が担いながら、その水準をあげていこうとする極めて民主主義的な立場は、イリッチのConviviality(自立共生性)とも強く響き合います。その極めて現場目線にたった、人々の自由な幸福、経済、自然環境とを両立させようとする立場からは、現代の私たちでも、本当に多くの示唆を得ることができるでしょう。

「人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである(small is beautiful. )」(p.211)

21/03/21
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