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紙をおよぐ魚

しみ、という虫がいる。「紙魚」と書く。

古い本をひらくと、たまにいる。

涙のしずくの形をした小さな虫だ。僕は銀色のものしか見たことはないのだけれど、銀色のものはセイヨウシミといい、古くはヨーロッパから、ヒトの移動とともに世界に広がってきたのだそうだ。

本を綴る糊の部分などを好むそうで、だから「紙魚」と書く。別名「雲母虫(きららむし)」。

僕は美しい見た目だなと思うのだけれど、きっと検索はしないほうがいい。

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紙魚という生き物があらわれたのは遠くはるか昔で、3億年前頃から同じような形をしているらしい。三葉虫が誕生したのが5億3000年前、恐竜が出現したのが2億5000万年前、霊長類は6550万年前。

僕たちの祖先・アウストラロピテクスが生きていたのが400万年前だというから、想像も及ばないほど昔から彼らはこの地球といっしょに暮らしてきたことになる。

一体、どんな景色をみてきたんだろう。

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さて、紙魚はやはり長らく僕たちの文字とともにあったようで、俳句では夏の季語になっているそうだし、紫式部も1000年前、源氏物語に彼らを登場させている。

「紙魚といふ虫の住処になりて、古めきたる黴くささながら、あとは消えず、ただ今書きたらむにも違はぬ言の葉どもの、こまごまと定かなるを見給ふに、げに落ち散りたらましよ、と、うしろめたう、いとほしき事どもなり」(四十五帖・橋姫)

父の遺文が残る手紙が紙魚の住処になってしまって、古くてかび臭いのだけど、と書いてある。

学者のことを嘲って、「紙魚」と呼んだりしたこともあるようだ。

「紙魚(しぎょ)のいうところもゆえなきにあらず」(雨月物語「貧福論」)

「あの紙魚(=本食い虫たち)が言うことにも、一理なくもない」といったところか。

紙魚は光が苦手だそうで、光のもとでは、影をもとめて逃げ出すらしい。日陰者の本食い虫。うらやましいほど正鵠を得た比喩じゃないか。

その後も、詳細は寡聞にして存じ上げないけれども、江戸時代には城戸千楯が「紙魚室雑記」という本を残していたり、最近でも、12人の古書店主に古書業界について聞き記した「紙魚の昔がたり」などにもその名前があがっていたりする。

なんとなく、紙魚をモチーフとして取り上げたくなる気持ちはわかるような気がする。

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言葉でいっぱいの紙のまの宇宙を、銀色の涙のしずくの形をして、紙魚は泳いできたのだろうと思う。

日本でさえ、1年に75,000冊(2017年)を超える本が出版されているという。この1年に出版される本ですら、僕たちは一生をかけても読み切ることなんてできない。

でも彼らは違う。本や紙や、あるいは文字というものが生まれたはるか昔から、この先、はるか未来にかけても、この世に本という媒体が残る限りにおいて、脇目も振らず本にのめりこみ、多読乱読を重ねていく。

なんて羨ましい生き方だろう、思う存分、思想にうずもれて、歴史にうずもれて、さらにこれからも毎昼毎夜、誰かが描く新しいもしもの世界が生まれてゆくのだ、僕も一緒に泳いでみたいものだと思う、彼らのいる海。

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彼らが眼差してきた、ひとという生物の生物史を思う。3億年分の世界を見見渡し、ひとという生き物の思想や歴史や社会を読み溜めてきた彼らの眼差しで、いまの僕たちを眺めるとき。

一体、彼らは何を思うのだろう。

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