2023年4月27日
昨日は書きすぎた。今日は軽めでいきます。
行きつけの映画館で『薔薇の名前』(ジャン=ジャック・アノー監督、1986年)のリバイバル上映をやってたので、観に行きました。映画版は初めてだけれど、中学生の頃にウンベルト・エーコの原作(東京創元社、1990年、原著1980年)を読んで以来、ずっと好きなのです。
やはり改めて観ると面白い。真相も展開もけっこう覚えていたので、中世という時代のことを考えるときの得体の知れなさや不気味さ、不穏さがそのまま映像になった感じがして、大変わくわくしたのでした。
何より、ショーン・コネリーの理知的な雰囲気がウィリアムにぴったりだったし、クリスチャン・スレーターの純粋で無垢な美少年性が大いに生かされてましたね。
改めて考えると、シャーロック・ホームズへのオマージュ(「バスカヴィル」のウィリアム、「アドソ」≒「ワトソン」)があるし、ウィリアムの名前は「オッカムのウィリアム」から来ているんだろうし、大図書館のイメージと長老ホルヘ≒ホルヘ・ルイス・ボルヘス(『バベルの図書館』)とか、ニヤリとさせられる部分が多いわね。
原作ではアドソと村の娘のラヴシーンはずいぶん抽象的で凝った文体だったけれど、映画ではかなり際どくて官能的な描写でした。映画は全体的に重苦しくて暗い画が続くので、終盤のシーンと合わせて、赤々とした灯りの効果も生かしつつ、物語のキーとなるシーンであることを示したのではないかしら? あと、タブー感をよりいっそう増すためでもあると思う。修道院という場所やアドソの幼さ、修道士であることも含め。
しかし、映画は小説よりも縮めてあるので、神学論争とか信仰とか情勢のディテールがあまり細かくない。その代わり、エンタメとしても楽しめる出来でした。
若い頃のクリスチャン・スレーター、可愛すぎませんか? 現実感のない「永遠の美少年」って感じとも違って、こういう、あどけないんだけど、確かにこれから成長しますよって感じの男の子。アドソのイメージにぴったり。
久しぶりに原作を読み直してみようかしらん。中世のキリスト教神学についての本を読んでもいいかも。普通に中世ヨーロッパ史を勉強してみてもいいかも。