成人式の思い出(エッセイ)
成人式に行かなかった。
深い理由がある訳ではなく、あちこち引越ししてきた子供時代だったので、どこの成人式に行けばいいのか分からなかった…というのは言い訳で単純に友達がいなかっただけです。悪いか。
なので、ゆっくり朝寝坊するつもりだったのだが、何故か父親に叩き起こされた。
「上野でやってるミイラ展を見に行こう。」
父の発した言葉が信じられなかった。息子の成人式の日にミイラ展連れて行くか?ミイラで成人をお祝いするのか?
とはいえ、やる事がなかったので父親に連れられ、ミイラ展を見た。エジプトのミイラや、即身仏を見た。即身仏は、座ったままミイラになっていて、表情までしっかりと残っていた。ガラスケースの中に押し込められて、本当に仏になれたのだろうか。いや、悟ってしまえば肉体なんてものは必要ないのかもしれない。肉体なんかに拘っちゃって、修行が足りんなあと向こうで笑っているかもしれない。
ミイラ展から帰ってくると、僕は昼寝をした。寝不足だったのだ。しかし、そのまま夜まで眠る訳には行かない。その日、ライブに行く予定があったのだ。
神聖かまってちゃんというバンドのライブなのだが、この日は特別だった。長年メンバーだったちばぎんがこの日をもって脱退するのだ。たからたっぷり寝て体調を整えようと思ったのに、予定が狂った。
父親に頼み込み、会場近くまで送ってもらった。会場は、異様な雰囲気に包まれていた。ライブ楽しみ!という気持ちと寂しさが入り混じっていた。
ライブはいつも通りといえばいつも通りだった。の子のMCは長くて退屈だけれど、曲が始まってしまえばスーパースターだ。グダグダのMCと凄まじい曲。神聖かまってちゃんらしいライブだ。
「いつだって終わりは来る。」の子はこの言葉を連呼していた。しつこいくらい連呼していた。さっきまでミイラを見ていた僕は、その差にクラクラした。肉体だけ永遠になったミイラと、今日この場で全てを終わりにしようとしているちばぎん。永遠にならないという選択を取ったちばぎんの最後を見届けようと思った。
ライブはあっという間だった。ちばぎんゆかりの曲が演奏され、終わったんだと思った時。の子が突然怒鳴るゆめという曲を歌い出した。客も釣られて歌い出す。
「終わらせねえぞ!終わらせねえぞ!」そう言うの子の姿は、駄々をこねる子供のようにも、運命に抗う勇者にも見えた。
終わりは来る。の子の言う通りだ。それを拒んだミイラの姿は、お世辞にも美しいとは言えなかった。けれど、それを分かっていても、終わらせねえぞと叫び時を止めようとするの子の姿は、あまりにも惨めで美しかった。本当にちばぎんにやめて欲しくないんだな、と。
けれど、やっぱり時は進んでいって、ちばぎんはステージ袖にはけていって、ライブは終わった。
足掻く事は美しい事ではない。綺麗に終わらせる事こそ美しい形だと誰もが思っている。その中で、足掻いてミイラのようになるという事。かっこよくも美しくもないが、心を打つ。ああやって生きたいと思った。そう思えただけでも、価値のある成人式の日だった。