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カリオストロの城を映画館で見てきた雑感(エッセイ)

今回は本当に雑感なので、見た直後の勢いのままに書いていく感じになっており、文章のまとまりとかはぐちゃぐちゃです。その辺、ご了承ください。

まず、伏線の貼り方が丁寧だなあと。「女の子が信じてさえくれるなら、泥棒は空を飛ぶ事だって、湖の水を飲み干す事だってできるのに…。」というセリフで今後の展開を全てネタバレしている。けど、その後に「女の子が信じてくれたから空だって飛べるさ!」の場面で観客を誘導して、「ああここに繋げたかったのね!」とミスリードする。本当に重要なのは「湖の水を飲み干す」の部分なんだよね。

で、この「女の子が信じてさえ〜」のセリフはもう一つ重要な意味を持っていると思っていて、それはこの作品のテーマが「信用」なのかなと思ったからなんですね。相手に信用してもらうためにはどうすればいいか?誰も信用しない人間は最後どうなるか?とまあ、つまるところこの作品の根底にあるのは信用という事なんだと思ったんですね。

信用する事、もしくは信用される事はめちゃくちゃ難しいし面倒くさい。ルパンがクラリスの所に初めて来た時も、クラリスは拒絶の意思を示します。「この人は私を助けてくれると言っているけど、本当にそうなのか?」という事ですね。まあ自分を助けてくれた人を傷つけたくないという気持ちもあるでしょうが。それに対してルパンは花と万国旗で更なる優しさを示し、「空だって飛べる」という言葉を有言実行した事で完全にクラリスの信用を勝ち取ります。以降、クラリスの信用はルパンがずっと勝ち取ってる訳ですね。

一方、カリオストロ伯爵は基本信用してる人がいません。作品を見ていて気付いたのは、この人ジョドーの事使いすぎだろ、と。作中だけで何回も失敗しているジョドーを色んな場面に使いすぎてる。これって、他の人を信用できてないからだと思うんですよね。他人の頼り方が分からない。だから何回も失敗するジョドーくらいしか頼れない。クラリスにも暴力や薬で支配するアプローチしかできない。伯爵の心の中には諦めがあって、それは「自分の血は汚れている」という部分から来ている感じがしますね。「俺の手は血まみれだ」ってセリフありますけど、半分くらいはご先祖が悪いですからね。

実はこれ、同じ事はルパンにも言える事です。かの有名な大泥棒の孫ですから。でもルパンと伯爵が決定的に違うのは、ルパンは自分の人生をきちんと生きられている。ルパンは祖父を尊敬はしていますが、祖父に人生を縛られている訳ではありません。ただ自分が好きな事/興味のある事に忠実なだけです。そこから生まれる人生への満足度や経験値が、そっくりそのまま人を信じる事/人に信じられる事に出ちゃってるという事なんでしょうね。卵が先か鶏が先かみたいな話ですが、もっと言うと自分を信じているか?という事ですね。

そこ行くとクラリスは芯があって自分の人生を生きようとしているように感じますね。カリオストロの過去に縛られず、自由に生きたいと願っている。カリオストロ伯爵からすれば、それはあまりにも呑気という事なんでしょうけど。

あとは何だろ、うん。結婚が正当なもので事を世界に示すためにテレビを入れる、っていうロジックそのものは分かるんだけど、あの演出じゃ世界ドン引きやろ…。なんかもっと華々しい感じにしないと、と思ったけどそしたら薬を飲まされてるクラリスが浮くわ。沈黙のクラリスが浮かないような演出を考えさせられたプランナー可哀想すぎる。

もうひとつ。銭形の部下はどこに属しているのか最後までイマイチ分からなかった。埼玉県警の人たちなの?なんでそれをICPOが動かせるの?意味が分からないわ。

とまあそんなところで。あ、ランダムで当たるアクリルキーホルダーなんですけど、幼少期のクラリスでしたね。可愛い。カリオストロ伯爵だったらアクキー叩き割ってたんで良かったです。

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