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暗闇の中で夢を見た(短編小説)

どれほど素晴らしい夢を見たとしても、昼頃になればどんな夢だったか忘れてしまう。日々は時計のように回るのをやめない。役割が何なのか、明確でなくとも。

月曜日、首筋にピリリとした痛みを感じながら働いていた。昨日寝違えたのかもしれない。痛みのせいで集中が切れていて、作った資料はミスまみれだった。調子が悪いので、仕事を明日の自分に託して早く帰る事にする。

飯を食い、風呂に入り、眠る。そんな事を繰り返していると、一体自分が何のために生きているのか分からなくなる。今、心から楽しいと思えなければ、生きている意味はないんじゃないか?眠るのがそんなに楽しいなら、永遠の眠りについたらどうだ?そんな声が内側に貼り付く。

幼少期、眠るのが怖かった。そのまま死んだらどうしようと思っていたからだ。死ぬって怖い事なのかな、と考えたら眠れなくなっていた。今は、明日が怖くて眠れない。残してきた仕事が多すぎる。明日は消灯まで帰れないだろうな。

気がつくと朝になっていた。僕は昨日の夢を全て覚えていた。あまりにもはっきりと覚えているので、自分でも驚いた。会社にいっても、会議に出ても、昼飯を食べても、夢の内容はこびりついたままだった。

夢の内容はこうだ。雑多な街の中で、美しい女の子に道案内を頼まれる。僕は道案内をしながら、女性の事がだんだん好きになる。僕がその女性に告白しようと思った時、彼女は小鳥になり、どこかへ羽ばたいていく。僕は自身の性欲のせいで彼女を傷つけたと思い、彼女に謝罪しようと後を追う。何とか彼女を捕まえるが、彼女は小鳥のままでいる。

と、いう夢を見た。そして業務時間中、ずっとその夢について考えていた。集中できないせいで業務は全く終わらず、気がつけば消灯時間になっていた。

家に帰ってからも僕は、なぜ彼女は小鳥のままでいたのだろう、と考えていた。そして、結局のところ興味を持たれていない相手が何をしようとも、無意味であると気づいた。謝罪でさえも、所詮はひとり遊びに過ぎないという事だ。

ならば僕が出来ることは、思い切り責め苦を浴びる事だ。思い切り恨まれて、どんな目に合おうとも自分が悪いと思う事だ。後は、あまり誰とも関わらないという事だ。謝罪というのは、社会からの断絶という罰を逃れるための詭弁に過ぎないという事だ。

そんな事を考えていたら、首筋の痛みがどんどん酷くなっていった。僕は一睡も出来ないまま、会社に向かった。電車の中で、僕は責め苦の果てについて考えていた。責め苦の果てには、悟りがあって、その悟りを伝えて事が大事なのではないか?でも、何の罰もなくとも責め苦を受けて悟りを開いた奴の方が偉いに決まってる。誰が罰を受けるに値する人間の言葉に、耳を傾けるというだろうか。

そうだ。僕はまだ夢の中でしか罪を犯していない。それなのに、なぜこんな責め苦を受けているのか。水曜日だというのに、僕は今週誰とも話していない。会社でも話していない。よく見てくれよ、僕の人生には「」は使われていないのだ。

ならば今、より責め苦を受ければ悟りを開けるかもしれない。そして、多くの人が僕の言葉に耳を傾けてくれるかもしれない。もっと苦しみが必要だ。もっと痛みが必要だ。

僕は持っていたソーイングセットから縫い針を取り出し、眼球に突き刺した。右目が見えなくなる。針を抜いて左目に刺す。左目も見えなくなる。

目が見えないのでみんなの顔は見えないが、僕の方を向いてくれているのが伝わる。僕の事で声を上げてくれているのが伝わる。そうだ、もっとだ。もっと責め苦が必要なんだ。

僕は全身のあちこちに針をさした。血がダラダラと流れていくのを感じる。どんどん力が抜けていく。キャップを閉じていないコーラのように、体から覇気が抜けていく。

きっとそれは余計なものだったのだ。僕は誰かにどこかに連れて行かれた。もう耳もよく聞こえない。6回は針を刺したから。

暗闇の中で僕は全てを失った。死んでるのと同じになった。けど、心がとても満たされていた。皆が喜んでくれるのを感じていられたから。

僕はこの暗闇の中に、ずっとずっとずっと居たかった。初めから僕の居場所はここだったと思う。

目が見えなくても、眠る事は出来る。夢を見る事もある。見えていた頃の記憶を辿って、脳が色や形を見せてくれる。小鳥になった彼女もいた。小鳥のままだった。君も小鳥でいる事に、居場所を感じているのかもしれない。それでいい。それでいいんだ。

僕は暗闇の中で、光を見つけた。

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