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山井君と神様(短編小説)
「山井君、編み物なんて出来るんだね。」
「俺をなんだと思ってる?」
俺の頭に被せられたニット帽を眺めながら、彼女が失礼な事を言ったので、俺は思わず強く言葉を返す。
「ごめんごめん。そうじゃなくてさ。山井君、野球一筋ってイメージだったから。なんか意外で。」
「手先は器用な方でね。じゃなきゃ、ピッチャーなんて出来ないさ。まあ、今後は出来ないんだけど。」
「そんな事ないよ!」
見舞いの花束から、ふっと3枚ほど花びらが落ちる。彼女の声のせいだと言っても、誰も疑わないだろう。それほど強い声だった。
俺は言葉を返す事が出来なかった。治る見込みは無かった。髪の毛を全て捧げても治療に取り組んできたのに、このザマだ。俺は内心、自虐くらいさせてくれよと思っていた。
「…私は絶対治ると信じてるから。」
「そんな時間があるならさ、自分のために使ってくれよ。俺より長く生きるんだからさ。」
「…帰る。」
彼女は唇をギュッと噛み締め、目から溢れるものを堪えながら出ていった。俺にはもう、泣く体力すら残っていなかった。
「真面目に生きてきたつもりだったけどなあ。」
俺はサイドテーブルに置かれた作りかけのマフラーに手を伸ばした。しかし、うまく掴めない。指に力が入らない。布すら持てなくなったかと、俺は絶望した。
そのまま夜になる。俺はうまく眠る事さえ出来ない。起きて苦痛に耐えるしかない。もう死んでしまいたい。そう思っていた。けど、俺の復活を信じてくれる人がいて、そのために生きなきゃいけない気がしていた。
「そんな事は、ないぞよ。」
「…え?」
「苦しみから解き放たれても、いいぞよ。」
俺はとうとう頭がおかしくなったと思った。目の前に白髪の老人が、音もなく現れたのだ。
「人に生きる理由なぞない。よって死ぬ理由もないのだ。そちが生きる事に価値を感じないのであれば、死を救いとするがよい。」
「け、けど…。俺には俺を待ってくれてる人が…。」
「もちろん、それも素晴らしい考え方ぞよ。しかし、君の人生は君のものぞよ。君が最も幸せだと感じる方へ行くが良い。」
「…俺、俺、もう解放されたい…。痛いのから、苦しいのから、解放されたい…。」
「それが君の願いであれば叶えてしんぜよう。ただし、願いを叶えた後に取り消す事は出来んぞ。良いな?」
「…。」
僕は目を瞑った。夕方の彼女の顔が思い浮かぶ。僕は涙を流す。小さな一雫だ。これっぽっちの力しか残っていない。
「…野球…。」
「はて?」
「…野球、もっとしたかったな…。」
「しかし、生きててもまた野球をする事はあるのか?」
「…無い…なあ…死なせて…くれ…。」
「良いぞよ。願いを叶えてしんぜよう。さあ、この紐を引っ張るのだ。」
俺は紐を思い切り引っ張る。テレビが切れるように目の前が真っ暗になる。
痛みも悲しみもなくなる。
「いやあ、騙されるものだねえ。神様なんていないのに。」
「本当、入院を引き延ばしても介護が辛いだけですからね。こうやって自分から酸素維持のプラグを抜いてくれて、助かるますよね。」
「ああ。証拠も残らない。さて、仕事をしようか。回診するからカルテを出してくれ。」
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