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10/10はドラムの日(エッセイ)


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noteを見ていたら、今日10/10はドラムの日だと知りました。なんで?語呂合わせにもなっていない。まあ、お祭りなんだし深くは考えない事にする。

昔ドラムをやっていた。今でも時々パラディドルとかエイトビートとか、簡単な事をやったりする。学園祭でドラムを披露した事もある。

しかしこの、「ドラムをやっていた」という言葉、口に出すのがものすごく気恥ずかしい。というか、「自分如きがドラムやってたって言ってええんか?」という疑問に脳内が支配されてしまう。

ドラムというのは、とても奥が深い楽器だ。全ての楽曲の根っこの部分なので、ドラムがダメだと全てが終わる。「この曲、いい曲なんだけど、ドラムがちょっと…。」みたいな曲はない。ドラムがダメなら、もうその曲はダメな曲になってしまう。そのくらい難しく、大切な楽器だ。スキルもものすごく求められている。

だから、自分のスキルを考えた時に、気後れが発生してしまう。好きだからこそ、真剣にやっていた時期があったからこそ、ドラムをやっていたとは言えなくなってしまうのだ。

このような、本当に好きだからこそ好きとは言えなくなってしまう現象は、何かに打ち込んでいる人あるあるなんだと思う。ライトな好きは割とストレートだが、ヘビーになればなるほど捻くれてくる。そしてそのさらに先に行くと、真っ直ぐに好きと伝えられるようになるのだ。その状態は、ある程度極められた自分に対する好きでもあるのだ。僕は結局、そこまでたどり着けない中途半端なドラマーだったのだ。

へっぽこなドラマーだった。元々リズム感がないので、人前で叩くときは必ずメトロノームをイヤホンで聴きながら演奏していた。手首も結局柔らかくならなかった。けど、音楽はもっと好きになったし、ドラムも好きだった。いつの間にか、叩かなくなってしまったが。

家にはまだ電子のドラムセットがあって、スイッチをひねればいつでも叩ける状態になっている(上の画像です)。けれど、全然叩かなくなってしまった。これが大人になる、という事なのだろうか。毎日、よく分からない事で忙しくなって、こんなザマになって。

まあ時々ドラムは叩いていこうかな、と思います。出来る限り、頑張っていこうかなと。下手くそで腕も錆び付いているドラマーですが、まあ誰に聞かせる訳でもないので。

p.s.
全然話変わるんですが、スティックってこだわってます?結構折れるんで、安いやつとか貰ったやつしか使ってないんですけど、やっぱ高い方がいいんですかね?

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