Good morningが嫌い、おはようが好き(エッセイ)

 Good morning. この単語が苦手だ。
 翻訳するとおはようなのだが、直訳すると「良い朝」である。
 しかし、考えて欲しい。良い朝かどうかは、日による。家族と喧嘩して、もやもやしたまま何処かへ行かねばならない朝もあるだろう。昨日の嫌な事を引きずったままの朝もあるだろう。それらをすべて、無理やり包み込んで「良い朝」に染め上げてしまうのだ。これは、正直どうなのだろうか。
 ここまで読んでもらって、なんとなく察していただいた方もいるかもしれないが、筆者は物凄く朝が弱い。そもそも、人類の喜びとは、それ即ち睡眠であると信じている人間である。起きる、という行為が既に精神的に辛い。
 起きてから、人間としての最低限を守るために、いくつかの面倒ごとをすませる。髪はきちんと整えて、ムダ毛があるなら処理する。一体誰が自分の事を見ているのだろう、と疑問にも思うが万が一に備え、一通りはやる。
 そして、外に出る。眩しい日差しが今日も目をチカチカさせる。子供達の元気な声を聞いて、ついついあの頃思い描いたものと、今を見比べてしまう。それを振り払って、エレベーターに乗ると先客がいる。そして、こう言うのだ。Good morning、と。
 どうだろうか。これが果たして、グッドなモーニングだろうか。筆者は、断じてそう思わない。
 それに比べて、おはようは良い言葉である。調べた所、歌舞伎役者達のあいさつであった、「お早いお付きでございます」が鈍ったものらしい。おはようは、語源からして「朝早くから大変ですねえ」というニュアンスが感じ取れる。個人的には、こちらの方が肌馴染みが良い。
 同じ朝の挨拶でも、国によってここまでニュアンスが違うものか。Good morningからは、自分の楽しい感情を相手とシェアする事で、一日をポジティブに迎えよう、というような意図を感じる。一方で、おはようは相手に対する同情の気持ちだ。おたくも大変ですねえ、というような響きだ。
 この話を総合すると、日本人は朝がそんなに好きではないのではないか、という疑惑が生じてくる。朝に起きる、早起きする事に対する同情。
 いや、英語の方も実はそんなに朝は好きではないのかもしれない。けれど、クヨクヨしてもしょうがないから、テンション上げていこうぜ!というような感情かもしれない。
 Good morningとおはようの差というのは、嫌な事に対する乗り切り方の差なのかもしれない。相手を気遣って同情する日本と、相手を励まして元気になってもらおうとする英語圏。どちらの考え方も素敵だと思う。
 ただ、繰り返しにはなるが、個人的にはおはようの精神の方がしっくりくる。嫌な事があった時は、手を引かれるよりも優しくそばにいてほしいのだ。やはり、筆者も日本人という事か。
 ちなみに、この文章を書いているのは夜中の3時。今から寝ます。
 おやすみなさい。
 

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