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【いらっしゃいませ‼︎ またお越しくださいませ⁇ ⑥】

嫉妬心はネクタイコーナーで

紳士服店でスーツ・ワイシャツ・ネクタイを購入するとき、選ぶ順番がある。
まずはスーツを選び、試着し、サイズが合えば、裾上げなどのための採寸が行われる。
次に試着室を出てから、ワイシャツ選びとなる。
実際に購入を決めたスーツの上着に、売り場のワイシャツを挟み込んで、スーツに合う色柄なのか確認しながら選ぶ。
ワイシャツが決まったら、最後はネクタイ。
購入予定のスーツの上着に、購入予定のワイシャツを挟み込んだ状態で、売り場にあるネクタイを上着に挟み込まれたままのワイシャツの上に置き、スーツとワイシャツ共に、色柄が合うネクタイか確認して決める。

村岡紗奈は、衣料品や雑貨を販売する企業で、紳士服事業部の正社員として、現場である店で勤務している。
正社員ゆえに、普段は店の経理事務・総務・レジカウンター業務メインで担当しているが、商品知識も持ち合わせているので、状況によってはマルチに接客販売も担当する。

店の人員構成は、店長・マネジャー・紗奈の正社員組と、パートさんやアルバイト達がいる。

紗奈が昼の休憩に入っていると、スーツ担当の女性パートさん(50歳)が、予定より遅れて休憩に入ってきた。
彼女は今までの人生、他社を含めて紳士服の世界で働いてきた。
正社員達より年上で、経験豊富で、接客技術もある。
どこの会社でも、スーツや礼服を中心に担当してきたようで、逆にカジュアルには疎かった。

その彼女が疲れた表情で休憩にやって来た。
接客が長引いた為に、休憩時間が遅れたのだが、それは誰にでも、よくあること。
紗奈が声を掛けた。

「接客、お疲れ様でしたね」

「イライラしたわ〜」

話を聞けば、ネクタイ選びで時間が掛かったという。

お客様は30歳前後の男女で、夫婦かどうかまでは分からなかったらしい。
パートさん的には、「彼氏と彼女よ」と言っていた。

紳士服の知識は、ある意味特殊だ。
簡単そうなアイテムも、いざトータルコーディネートしようとすると、好みの色柄だけで選べば崩壊する。
好みの色柄は、ある程度尊重するが、必ずしも着用する本人に似合うとは限らない。

販売員は、自分の好みを薦めるよりも、基本、お客様に似合うかどうかを考えつつ、スーツ・ワイシャツ・ネクタイの色柄がバランスを取れている商品を勧める。

ネクタイというアイテムは、女性からすると簡単に選べて、プレゼントしやすいものだと思い、自分の好みの色柄だけを考えて購入する人もいる。
相手がどんな色柄のスーツとワイシャツを着ているのかを考えずに購入されるので、もらった側は困惑するというケースもよく聞く話だ。

スーツ担当のベテランパートさんの話は続いた。

「スーツとワイシャツ選びまでは、男性も女性も、『私たち、詳しくないのでお任せします』と言ってたの。だから、似合いそうなものを提案して、その中から選んでもらってたのよ。でもね、ネクタイ選びの段階で、彼女が暴走したのよ」

「暴走?」

「そう。『ネクタイは私が選んであげる〜』って言って、選んだスーツとワイシャツ無視で、自分好みのネクタイばかり持ってくるから、全然、スーツに合わなくて。彼氏も困ってるのが表情に出てたんだよね〜」

「まぁ、普段から仕事でスーツ着ていれば、着こなしに詳しくなくても、彼女よりは知識もあるだろうし、好みもあるしね」

「そうそう。ネクタイって、一番難しいアイテムなんだから。男性にしたら、スーツに合う色柄のネクタイっていうのは基本だけど、次に『自分好みのネクタイじゃないと』って人、多いからね〜。スーツに合うネクタイの中から、自分好みのネクタイを選ぶのが男性の楽しみでもあるんだから」

その後のパートさんの話はこうだった。
パートさんは、合わないネクタイばかりを選ぶ彼女に困惑する男性へ助け舟を出し、購入するスーツとワイシャツに合うネクタイを2本、売り場から持ってきて、スーツの上着に挟んだワイシャツの上にネクタイを置いた。

「このように置いてみると、スーツに合うかどうかイメージしやすいですよ」と。

男性は「なるほど〜」と言って、売り場から気になったネクタイを持ってきて、自分でスーツに合わせてみた。
パートさんによると、この男性が選ぶネクタイの傾向が見えてきたという。
ストライプ系のものが多かった。
しかし、彼女が選ぶのはドットタイ(水玉)ばかりだった。
しかも、選ぶ色もスーツと合わなかった。

結局、男性は「店員さんに選んでもらおう」と言って、いくつか提案してもらったが、彼女はそれを良しとしなかった。
「若い私が選んだものより、他人のおばさんが選ぶ方が良いわけー⁉︎」と言い出し、パートさんが提案したネクタイを全て却下した。

その内、男性と彼女は険悪ムードになり、彼女に負けた男性はパートさんに謝りながら、彼女が選んだネクタイを購入したという。

いくつもの紳士服会社を渡り歩いたベテランパートさんは、紗奈に言った。

「村岡さんも、ネクタイ選びのとき、彼女連れとか奥さん連れのときは気を付けたほうが良いわよ〜」

「気を付ける?」

「そう。客の連れの性格によっては、ネクタイ選びになると、販売員に対して嫉妬心むき出しになる人もいるから。アドバイス聞き入れてもらえないときは、諦めることも必要よ。売り場で喧嘩されても他のお客様の迷惑になるしね」

「嫉妬されるなんてあるんですか?」

「あるある! 今日のお客さんの彼女だって、それに近い行動だったわよ」

この時は、お客様の連れから嫉妬心むき出しにされるなんて、他人事程度に聞いていた紗奈だったが、後にそういう経験を何度か味わった。
その度に、このパートさんの言葉が思い出された。

物語について / 実際のところ

この物語は、実際に経験・体験したことをベースに、多少の脚色をして回顧録的な物語にしたものです。

紳士服の世界で仕事をして学んだことの1つは、自分の好きな色が必ずしも自分に似合うとは限らないということでした。
まぁ、これは婦人服にも当てはまることなのですが。

ネクタイというアイテムは、意外に選ぶのが難しいアイテムです。
お客様自身の好みも強く出るアイテムなので、妻や彼女が選ぶネクタイに、ダメ出しする男性もいました。
他に、その場では彼女が選んだネクタイを購入したものの、後日、ご本人の男性が1人で来店され、ネクタイの商品交換された方も実際にいらっしゃいました。
「彼女が選んでくれたけど、好みじゃなくて……」と。

あるお客様は「自分でネクタイ決めると、みんな似たような柄になっちゃうから、店員さんに決めてもらって、バリエーションを増やしてるんだ」という方もいらっしゃいました。

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