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【いらっしゃいませ‼︎ またお越しくださいませ⁇ ⑧】
下心の指名
村岡紗奈は、衣料品と雑貨販売の企業で正社員として働いている。
紳士服事業部に所属し、現場である紳士服店を複数経験している。
紗奈が入社して2年目の頃の出来事。
この店では、パートさんを含め、紗奈が最年少だった。
とはいえ、正社員として年上のパートさん達に、仕事中は割り切って、指示を出すこともある。
繁忙期の夕方。
店内は激混みだった。
普段の紗奈はレジカウンター業務や店の経理事務をメインに担当しているのだが、この日は、レジ担当として雇って3ヶ月ほど経ったばかりのパートの女性にレジを託し、紗奈もスーツの接客をしていた。
紗奈が接客・販売を終えたタイミングで、近くに20代半ばと思われる男性2人組がスーツコーナーを歩いていた。
商品を見つつも、落ち着きない視線で、挙動不審だった。
万引き防止の観点からも、紗奈は声を掛ける。
「いらっしゃいませー、スーツをお探しですか?」
男性2人組は顔を見合わせ、困ったような表情をして、紗奈をスルーした。
接客を嫌ってスルーされることは珍しくない。
特に、まだ20代前半の紗奈の場合、お客様からスーツや礼服の接客を任されることは少なく、断られることの方が多かった。
しかし、それは、中高年以上のお客様に多く、同世代のお客様からスルーされることは珍しい。
紗奈は付かず離れずの距離をキープしながら、時折、「よろしかったらご試着してみませんか?」「サイズお探ししますよ」などと声を掛けたが、スルーは続いた。
『万引き?』
そう警戒しながら訊いた。
「お仕事用のスーツをお探しですか? 結婚式などで着用されるスーツですか?」
やっと、男性の1人が口を開いたが、想定外のことを逆に訊かれた。
「あのー、この店に、若い女性店員さんいますよね? その人にスーツの接客お願いしたいんだけど」
『はぁ⁉︎ この店で最年少は私ですが!』という言葉を何とか飲み込み、紗奈が答えた。
「他に若い販売員ですか……レジ担当者のことでしょうか?」
2人組はレジカウンターにいたパートの女性、金井を見ると、「あ!あの人です!」と答えた。
金井は童顔で紗奈より若く見えたが、実は紗奈より年上で、30歳になる女性だった。
紗奈の顔が老け顔という訳ではないのだが、金井が童顔すぎた。
レジ担当で採用された金井は、スーツの知識はゼロで、接客販売もカジュアル商品しか経験が無かった。
紗奈は「申し訳ございません。彼女はレジ担当で、スーツの商品知識と接客をまだ学んでいませんので、お客さまのご要望にはお応え出来ません」と断った。
これは意地悪でもなく、事実だ。
スーツのサイズは特殊で、直しも裾上げだけとは限らない。
商品知識とスーツの採寸知識ゼロの状態で販売させることは不可能だ。
男性は言った。
「それでもあの人にお願いしたいんです。他の人なら買いません!」
明らかに、下心の脅し文句。
「買わない」と言えば我儘が通ると思っている。
こういう客に対し店側としては、ストーカーなどを警戒して、男性店員を対応させることが多かった。
紗奈は『別に買って頂かなくて構わない』と思いつつ、「少々お待ちくださいませ」と言い、接客中の店長の元へ行き、簡潔に状況を説明した。
しかし、その間に、パートさんの1人(45歳)が、接客しながら、この男性2人組に声がけをして、男性客の要望に警戒もせずに、レジにいる金井の元へ案内してしまった。
気付いたときには、金井は困惑状態で男性達は喜んでいた。
店長が自分のお客様を待たせる状態で、慌ててレジに向かった。
残された店長のお客様を紗奈が接客フォローする。
男性2人組は、店長からも紗奈と同じ理由で金井の接客を断られたが、「他の人の接客なら買いません!」と言った。
下心ありありで、販売員を指名する客なんて今まで見たことが無かった。
そのやり取りを見て、男性達を金井の元へ連れてきたパートさんが店長に言った。
「店長、私が金井さんの補助に入りますから。それなら問題ないでしょう?」
その言葉に、男性達は店長の返事を待たずに喜び「お願いします」と言った。
店長も、これ以上、自分のお客様を待たせられないと、渋々承諾した。
パートさんは今の接客が終わり次第、金井と共に接客することを男性2人に約束し、待ってもらった。
男性達も金井に接客してもらえるなら、いくらでも待つと言った。
金井がレジから離れると、正社員である店長・マネジャー・紗奈のいずれかがレジカウンターに入らなくてはいけなくなる。
基本、レジカウンター業務と事務の担当責任者である紗奈が、レジに入ることになった。
紗奈も店長も、この状況に気付いたマネジャーも当然、憤りに近いものをそれぞれ感じていた。
紗奈は、自分が年上に見られたことも含め、イライラしていた。
店長やマネジャーは「ここはそういう店じゃないんだ」と思いつつ、パートさんが勝手に金井の接客話を客と進めたことに憤っていた。
正社員的には、こういう勘違いの客から販売員を守るのも影の役割だ。
閉店後、店長からパートさんに厳重注意が入ったが、昔ホステス経験のあったパートさんは反論した。
「良いじゃないですか! 私が補助に入ったんだし。売上にもなったんだから〜」
「そういう問題じゃありません! ここは下心で指名するようなお店じゃないんですよ」
板挟み状態となった金井は、更に困惑し、店長に謝った。
それを見た昔ホステスだったパートさんも、渋々店長に謝った。
この物語について / 実際のところ
一昔前、実際にあったことをベースに、多少の脚色をしています。
度々、勘違い感覚で来店し、ハラスメントやストーカー的な行動を取る男性客がいました。
今回は、その内の1つです。
当時はまだ、「ストーカー」「セクハラ」という言葉が一般的になって間もない時代でしたので、こういう客に対しての対応は、店長の判断力や対応力、理解力にかかっていました。
この男性2人組は、紗奈の受け答えしていたメガネ男子と、無口な男性でした。
そしてメガネ男子は、無口な男性の付き添いでした。
無口な男性の下心を応援するため、付き添ってきたのでした。
下心ある指名を認める前例を作ってしまった、昔ホステスだったパートさんの罪は重いと感じました。
スーツの仕上がりで、後日来店した際も、「金井さんお願いします」と指名。
その後も度々来店されては、金井を指名し、結果、金井がレジから離れることになり、その間、正社員の誰かが自分の仕事を後回しにして、レジに入るという非効率な状況に陥りました。
ちなみに、ベテランパートさんレベルになると、以前の接客技術の評価から、お客様が顧客状態になり、指名されるケースがありましたが、それは問題にはなりませんでした。
ベテランパートさんの接客技術を気に入っての指名で、下心ゼロだからです。
また、そういうお客様の多くは、希望する販売員が不在だったり、他のお客様を接客中だった場合、金井を目当ての男性客のように我を通すことはなく、他の販売員の接客でスーツを購入されるか、時間や日を改めて再来店される方達でした。
ちなみに、当時金井は、既に他の男性と結婚前提の交際中で、後に結婚しました。