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【いらっしゃいませ‼︎ またお越しくださいませ⁇ ②】


自慢のつもりですか?

紳士服の世界にも繁忙期はあり、その時期は入荷作業も接客も忙しくなる。
そして、繁忙期ゆえに、はじめましてのお客様も多く、様々な人が来店する。

この日は広告効果もあって、夕方以降もそこそこの来店数だった。
売り場の販売員(店長、マネジャー、パートさん達)は全員、常に接客中だった。
だからと言って、レジカウンターも同じレベルで忙しいとは限らない。

ビジネス衣料(スーツ・礼服・ジャケット・スラックス・ワイシャツ・ネクタイ)の売り場が混雑し、販売員が接客に追われていても、販売員の接客をあまり必要としないカジュアルコーナーのお客様が少なければ、レジは少し余裕があった。

ちなみに、カジュアルコーナーで接客が必要なのは、試着や裾上げが必要なカジュアルパンツやジーンズが中心となる。

そんな状況のとき、店にやって来た60代くらいの男性が、スーツコーナーを一通り歩いてから、村岡紗奈の担当するレジカウンターへ威圧的にやって来た。

総合窓口的な役割でもあるレジカウンターは、時に、クレーム受付窓口と化す。
紗奈は、この男性があまりにも威圧的に見えたので、クレームかと身構えた。
混雑しているスーツコーナーから来たということは、『他に販売員はいないのか?』という内容では? と瞬時に予測した。

男性に対し、まずは「いらっしゃいませ!」と営業スマイルでレジカウンターから声掛けをした。
男性は必要以上に大きな声で、紗奈に言った。
「ちょっと、おねーさん! この店は安物スーツばっかりだな! 10万円以上するスーツは無いのか?」
こんなことを言われたのは初めてだった。
過去に、必要以上の値引きやサービスを付けろと要求されるケースはあったのだが……。

紗奈は引き気味になりながらも答えた。

「はい、当店のスーツは、お求めやすい価格帯から5万円台の物を扱っていますので、10万円以上はーー」

「俺はなぁ、来週、市議会議員と会うんだ! こんな安物なんか来て行ったら恥を掻くだろ‼︎」

いえいえ、当店はあなたに絶対に買ってほしいなんて言っていませんが?
それとも冷やかしですか?
実は、市議会議員に会うことを周囲に自慢したくて、わざと威圧的で大声で話してますか?

瞬時に想像した紗奈。
男性の話は続いた。

「おねーさん、10万円以上するスーツを売ってる店、知らねーか? あー、こんな地方の店の子に訊いても、知る訳ねーか!」

確かに、この店は地方都市にある店舗だが、本社は東京で、上場企業。全国展開も推し進めている。

多分、若い紗奈を見て、全国転勤可能の正社員とは想像も付かずに、バカにしてきたのだろう。
仕返ししたくなった紗奈は、営業スマイルで答えた。

「私、東京本社のある店舗から異動してきた正社員なので、競合他社の情報も持ち合わせていますが」

男性の態度が変わった。
都会という地域に弱いのか?

「おー、そうか! じゃあ、どこに行けばいいんだ?」

「お客様が希望される価格帯のスーツは、郊外型の紳士服店では難しいと思いますので、市内の百貨店に行かれた方が良いと思います。百貨店の中に、イタリアブランドの◯◯◯というお店があります。世界的に有名で、著名人も着ているもので、ファッション雑誌にも載るブランドです」

「いいねぇ〜。値段は?」

「ネクタイ1本で2万円以上、ワイシャツ1枚でも5万円台だったと記憶しています。スーツは軽く10万円を超え、20万円以上も沢山あったはずですよ」

悪気ない微笑みで説明を終えた紗奈に対して、男性はおとなしくなった。
実は高すぎて予算オーバーなのだろうか?

「……そ、そうか。そこに行けば、良いんだな?」

「百貨店には、もちろん、他のブランドショップもございますので、お客様のご希望される10万円以上のスーツは、選べるほどあると思いますよ?」

「……分かった。百貨店に行ってみるよ。おねーさん、ありがとうな!」

『勝った!』と紗奈は思った。
小馬鹿にしてきた男性は、離れて待っていた妻らしき女性と店を出て行った。

それまで他のお客様の接客中だった店長が、レジにやって来た。

「村岡さん、あの人、何だったの?」

「10万円以上のスーツ無いのか?と言ってきたので、百貨店にあるイタリアブランドのショップを勧めておきました」

「村岡さん、今度からそういうお客さんが来たら、接客中でも俺に回していいから」

紗奈は、叱られたと思ったが、店長はニヤリとして続けた。

「俺に回してくれたら、店のスーツにゼロを加えて、値上げして販売するから」

紗奈は笑って言った。

「その手がありましたね」

勿論、実際にそんなことは出来ないが、店長らしい冗談だった。

この物語について

ここで綴るエピソードは、一昔前、紳士服業界で実際に体験・経験したことをベースに、多少、脚色して回顧録的な物語となっています。
過度なサービスを威圧的に求めるお客様は度々いらっしゃいましたが、安物ばかりだと難癖つけて、小馬鹿にしてきたお客様は初めての体験でした。
しかも市議会議員に会うのに、10万円以上のスーツじゃないと恥を掻くと言われたとき、「市議会議員は、見ただけで相手のスーツの価格が分かるのか?」とツッコミを入れたかったのですが、さすがにそれは心の中に留めておきました。

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