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【いらっしゃいませ‼︎ またお越しくださいませ?? ③】



試着⁉︎

村岡紗奈が勤める紳士服店の売り場のレイアウトは、店のドアから入ると、右手にカジュアルコーナー、左手から奥までL字型のようにビジネスコーナーが広がる。
レジカウンターは店の中心より奥にあり、裏口と売り場を繋ぐドアから程近かった。

レジの近くには、雑貨類のコーナーがあった。
雑貨類はハンカチやベルト、ソックスや下着類があり、什器にフックで引っ掛けるように陳列されている。
レジ近くという理由は、万引き防止の為の配置だ。
レジカウンターが無人になることはなかなか無い。

ソックスと下着は、お求めやすい価格設定のものがある。
これらの商品は、個包装されている訳ではなく、商品が剥き出しになっていて、メーカーより什器に引っ掛けるためのフックが取り付けられて入荷する。
トランクスやボクサーパンツは、メーカーから折りたたまれている状態で、紙の帯で型崩れが無いよう固定されつつ、専用のミニハンガーに掛けられた状態で入荷する。
勿論、個包装のソックスや下着類もあるが、値段は少々高くなった。

繁忙期の昼過ぎ。
紗奈の担当するレジカウンターもそこそこ忙しかったのだが、下着類のコーナーで不審な動きを繰り返す30代半ばと思われる男性に気付いた。
こちらの視線に気付かれないように、紗奈はレジで接客をしながらも、その男性に注目した。
トランクスコーナーをウロウロしては、一旦離れて、また戻る。
また、ウロウロしてはその場を離れ、その男性の行き先は、レジの近くを通り、裏口へ通じるエリアだった。

実は、売り場から裏口へ通じる通路を進むと、すぐ横に従業員とお客様共用のトイレがあった。
お客様がトイレに行きやすいように、売り場と裏口を繋ぐドアは、常に開けっぱなしにしていた。
『トイレに行った……?』
紗奈は男性の不審な動きと、トイレに行く行動に疑問を持ち始めた。

その後、男性が売り場に戻ってきた瞬間を、レジ業務の合間に、タイミングよく目撃できた紗奈。
男性の手には未会計のトランクスがあった。
どこの店でも、未会計の商品をトイレに持ち込むことは禁止されている。
『万引きしようとしてる⁉︎』
男性はまた、トランクスコーナーで不審な動きを繰り返した。

程なくして、接客を終えた男性マネジャーがレジに来た。
紗奈はこの状況を説明した。
万引き対応は、会社のマニュアルで基本、店長やマネジャーなどの男性社員が対応することになっている。

マネジャーはさりげなく、男性の背後に回り込み、商品整理をしながら様子を見ていた。
それに気付かない男性は、またトイレに向かった。
マネジャーが気付かれないように後を追った。

紗奈はこの展開に緊張していた。
『マネジャー1人に対応を任せて良かったのだろうか?』
接客中の店長に知らせに行きたくても、レジにもすぐお客様が来て、紗奈がレジから離れることは難しかった。
レジカウンターには紗奈のサポート役で、この日、カジュアル担当のアルバイトの子が入っていたが、お客様の対応のために、紗奈同様にレジから離れて店長の元へ行くのは難しかった。

数分後、険しい顔をしたマネジャーと、無表情の男性が無言のまま一緒に売り場に戻ってきた。
男性は、未会計のトランクスを持ったまま、カジュアルコーナーに行き、そこで赤ちゃんを抱っこしていた妻らしき女性と合流した。

マネジャーはトランクスコーナーに行き、商品の確認をして、紗奈の元に来た。
レジのお客様が途切れたタイミングで、マネジャーが声を掛けてきた。
「村岡さん、信じられないよ。あのお客、トイレの個室で未会計のトランクスを試着してたんだ。それも1枚じゃなく、多分5枚も」

「えっ⁉︎」
思わず大きな声を出してしまった。

マネジャーの話は続いた。
「トイレの個室から出てきたとき、トランクス2枚手にしてたからさぁ、注意して、何をしてたか訊いたら、どのサイズが自分に合うのか分からなくて、何回か試着してたって言うんだよ。で、今、売り場を確認したら他に3枚、不自然にハンガーから外れかかって、クシャクシャになってたトランクスがあったんだよね。多分、それも履いたやつだと思う。あの辺に立ってたからね」

「えーっ⁉︎」
非常識にも程があるだろうと思った。
トランクスの試着なんて、有り得ない話だ。
しかも、試着というか実際に履いたトランクスを、悪びれもなく買い取らずに売り場に戻す⁉︎

「マネジャー、そんなの売り物にならないじゃないですか‼︎ 弁償ものですよね?」
「うん。今、カジュアルコーナーに奥さんがいるから、お金をもらってくるって言ってたんだけど……」

改めてカジュアルコーナーを見たが、もう男性と赤ちゃんを抱っこした妻の姿は無かった。

ちなみに、トイレでマネジャーに発見されたとき、男が手にしていたトランクス2枚は、丸めるようにしてカジュアルコーナーの棚から見つかった。

他のお客様が、この着用済み(使用済み?)のトランクスに触れたりしてはマズいので、急いで撤去することになった。
マネジャーも紗奈も「気持ち悪い」と、撤去のために触れることを拒みあった。
結局、レジの陰で、こっそりジャンケンをして、負けたマネジャーが撤去した。

店の売り物が、客によってダメにされた場合、当然、弁償を求める話になるのだが、今回はマネジャーも紗奈も詰めが甘く逃げられた。

残された着用済みのトランクスは、店の判断で勝手に廃棄出来ない。
それは本社・商品部の徹底した在庫管理によるのもあるが、他にも様々な理由があり、手続きをして「自損」扱いとし、棚卸し後に処分する。
損失は、店の損失扱いとなる。

店長から、この件の対応ミスを叱られたマネジャーと紗奈。
あの男性に対し『もう2度と来るな』と思いながら、後日、始末書を提出していたマネジャーだった。

紗奈は、トイレでトランクスを試着した理由は、本当に自分のサイズが分からなかったからなのだろうか? と思った。
トランクスにもサイズ表示はされている。
M~LLサイズまで扱っていて、具体的なウエスト表記は、トランクスの型崩れを防ぐための紙の帯に記載されている。
サイズが分からなければ、販売員は皆、メジャーを持ち歩いているので、ウエストサイズを測ってもらうか、それこそトイレに行って、今、自分が家から履いてきた下着のサイズを見れば良かっただけだと思うのだが。

謎が残る、衝撃的な出来事だった。

この物語について

ここで綴るエピソードは、私・星屑が一昔前、紳士服業界で実際に体験・経験したことをベースに、多少の脚色をして、回顧録的な物語としたものです。

試着によるトラブルも度々ありましたが、トイレでトランクスを試着されるとは思いませんでした。

通常の試着なら、売り場のあちこちにあるフィッテングルーム(試着室)を利用するものですが、下着の試着は勿論、受け付けていません。
断り書きをしなくても、トランクスやボクサーパンツは試着対象外が常識でした。
この男性も、どこか悪いことと分かっていたから、トイレで試着という発想になったのかもしれません。

想像を更に膨らませれば、気に入ったら万引きしようと思っていたのか……?とも疑ってしまいます。
弁償する意思表示をしたにもかかわらず、隙をついて逃げ帰ったのは、万引き同様に悪質でした。
でも、そんなことをする男性に妻子がいたことも個人的には驚きでした。
妻は、自分の旦那が何をしていたのか、知っていたのでしょうか?
謎のままです。





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