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構想10数年、決意からの留学準備まで🇬🇧

とにかく全てのタイミングが揃った

海外への憧れは小学生ぐらいからありました。ただ未成年たるもの親の許可とお金が必要で私の両親はそれを許可しませんでした。
英語は普通に学校の授業のみです。好きでもなければ嫌いでもない、という感じです。

高校生・大学生は普通に勉強に勤しみ、学校生活が楽しくて、海外へ留学!という頭にはなりませんでした。旅行は好きなので海外へ行った際や大学のワークショップで外国の方とコミュニケーション取らねばならない際など、うわぁ英語分かんないな、、、勉強しなきゃな、、、、 と毎回思いつつ、特に何もせずというありきたりを過ごしていました。

社会人になり、やっぱり海外に行きたい、と思い返し、ただただ沸々と思いだけ募っていきました。

だって忙しいんだもの、社会人。
私は大学院まで行って就職したので、なんとなく年齢の負い目を感じていました。会社に入った時には既に25の歳。早く一人前に、認められるまでは、自分のデザインが出来るまでは、と、結構ガムシャラに働きました。業界も時世もあるかと思います。徹夜や家に帰れない、ことは無いけど基本毎日終電、その前に帰れたら万々歳的な。

私の仕事は建設業(私はインテリアデザイン)なので新築案件だとインテリアデザインが関わりだしてからでも5、6年掛かります。建築設計の方やディベの方はもっとですね。そう、その周期が今回ちょうどよく、自分でやってきた大切な案件が全て終了し、実績も十分出来、次のステップに行きたい、と切実に思い、そしてそれが実現可能な絶好のタイミングだったのです。

きっかけは転職をしたい=とにかく今の会社を辞めたかった

7、8年ぐらい働いた時点で職・会社を変えたい、と思うようになりました。デザイン会社といっても大企業の子会社だったので、きっちり組織でなんでも親の言いなり、また日本でのインテリアデザインの立場は弱小で、ディベからも建築設計からも現場からも当たりが強い。
=あくまで個人の見解です。その立場立場で色々事情と大変さがあると思います。悪しからず。。。=
夜も遅いのは当たり前で平日は夜の予定入れられず、土日もどちらかは対応出来るように空けておく、の日々。なのに給料が低い。社内の面倒ごとにも年齢重ねて巻き込まれること多くなり、身も心も疲弊しきっていました。

そんな時30前半で不眠症に陥りカウンセラーに仕事を変えないの、と言われました。その時は自分が初めて主体となって携わってきた案件が幾つも真っ只中で、これだけはやり切りたいという思いが強く、終わったら考えようと思って生きてました。

数年後、案件も無事に終わり、よし転職先を探そう、と思った時に求める年収を見ていると、資格か英語かもしくは他の何かが必要不可欠であることを実感しました。
私は何も持っていないぞ、、、、、、と。一方で、
英語さえ出来れば職も世界も年収も広がる!英語さえ出来れば日本を出られる!と安直に行き着いたのが本気で留学を考え出すきっかけでした。

そんな中でのパンデミック

転職と留学を天秤にかけて人生を悩んでいたら、あのパンデミックです。全てを変えましたよねーあれは。
私は自分の会社の安定さを実感した出来事でした。
仕事は変わらず進み、私は会社に行ってました。ただ同時にリモートワークが出来るように瞬時になり、今までデスクトップだったのがすぐにノートPCとネットワーク(セキュリティ)が整えられました。何不自由なく。
むしろ仕事が止まっている人もいて家で待機しているだけ、の人も。それでも毎日変わらず会社に行って仕事こなしてる人も、なんと給料は今までと変わらない、という。良いのか悪いのか、自分の会社の安定具合を実感したものです。やってる側からすると旨みなんて微塵もなかったですね。

コロナも落ち着き日常を取り戻しつつある時に、改めて転職と留学を天秤にかけました。会社の安定具合も実感し、このままいれば食いっぱぐれることはないと。ただその気持ちも所詮持って1年でしたね。環境を変えたい、という思いは無くならず、強くなる一方でした。
無料の留学セミナーを聞いてみたり、友人の友人が留学エージェントだったので相談してみたり。
そんな時、自分の状況を省みると、案件終了は見えてる、年齢も40で勤続16年で実績は十分、ここで一年勤続しようが休もうが変わらない、あと20年働くにも生きるにもとにかく英語が欲しい、退職金で留学金が払える!そしてパリオリンピックがある!!
と条件が全て揃ってしまっていたのです。ここまで揃っていて実行しない選択肢はなかったのが正直なところです。

ここからはもう勢いです。辞める月を熟慮し、逆算してエージェント数社に相談しに行きました。確か11月ぐらいだったかと思います。
決めることが山ほどあると思い準備の月がいると思ったので、動きの速度を早めました。そこからの行動の速さには自分でもよくやり切ったなと笑
出発時期←退職金や役所や家の手続き←退職日←有休消化←会社に言う時期を練りに練って、12月の正月休み前に会社に言うことを決意。

12月末には行き先を決め、学校をいくつか紹介してもらいました。
同時に休み前に上司と部長に辞めることを伝え、最終出社日も有休フル消化の為、1月末であることを分かってもらいました。

1月上旬には学校を決め、私は2箇所に分けたのでそれぞれどれぐらい行くか、住まいはどうするか出発はどうするかを毎日のようにやり取りしつつ詰めていきました。
同時に同僚に辞めることが伝えられ、引き継ぎとお世話になった方々への挨拶をしていました。

そんなこんなで会社の最終出社日と留学先への支払いがちょうど1月末でした。

何も知らなかった同僚からすると、辞めると聞いて正味2週間ぐらいで去っていったという。そんなのでもうまく辞められたのは、やはりタイミングが良かったとしか言いようがないのかな。

留学準備期間としてはエージェントに相談しだして1ヶ月エージェントを1つに決めてから出国まで6ヶ月です。
ここまで長くなってしまったので、このことは別のトピックとして詳しく書きたいと思います。
ただ言えることは6ヶ月は一番準備期間としてちょうど良いと思います。
行く期間にもよるとは思いますが、一年程度であれば、バタバタしすぎず、適度に休暇を楽しみつつ、しっかり準備して出国できます。少し念頭に置きつつ計画練ってみて下さい(^ ^)


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