TRAD(旧AKASO)でウンザウンザを踊れなかった

2017年3月30日。
ぼくは大阪府大阪市北区堂山町16-3にいた。
umeda AKASOという名前の空間だ。その翌日からumeda TRADと名前を変えるライブハウスに、ぼくはいた。

この日はバンドマンとしてではなく裏方としてライブハウスに行っていた。
1年目のぼくらは少しでも名前や顔を売りたくて、遮二無二にライブハウスやイベントに行っては挨拶しまくっていた。挨拶回りにこういう表現使うのかわからないが、まわりに回っていた。挨拶界の羽生結弦だ、と誰かが言ったとか言わないとか。
AKASOにも『カミコベでみた円広志の夢想花くらい回るぞ』と意気込んで乗り込んだ。


1年目、正確にはバンドマンになって9ヶ月経った時だった。
仕事のかたわら月10本くらいライブを続け『自分のステージングも多少はマシになってきたかな?』なんて甘っちょろく思っていた時期だったと思う。
誰にも知られていない地下で、誰にも負けたくないし負けないと青臭く思い、同じように地下でもがくライバルたちに対してほんの少し手ごたえを掴み始めていた世間知らずの男が1人。ちょっと目線を上にあげてライブをみた。

正直圧巻のひと言だった。
根本的なライブハウスのデカさから、多種多様な出演バンドのパフォーマンス、ライブハウスに集まった満員御礼の人々が熱狂する様、全てがバンドマンとして体験したことがないものだった。

おいしくるメロンパンや空想委員会がテクニカルな演奏でお客さんを沸かしたかと思えば、オメでたやヒスパニも負けじと熱量高いライブを披露して場を盛り上げまくる。
憧れていたライブハウスがそこにあった。


そんな出演者の中でも特にぼくの目を引いたバンドが1組。バンド名は「バックドロップシンデレラ」歌・演奏・MC・ステージでの立ち振る舞い。イベントの中でも、特に印象に残るライブだった。
ぼくはというと、ダイバーキャッチのセキュリティのポジションで、誰よりもステージに近い出演者の真下、誰よりもステージに遠い人間だった。お客さんが楽しそうにウンザウンザを踊る様と、それを作り出すステージ上のバンドを、微動だにできず見ているだけの人間だった。少し出てきた自信は粉砕され、自分の実力と現状をまざまざと見せつけられた気がした。

『4回転の挨拶回り決めるゾ』なんて意気込んでいたぼくだったが、演者ではなく裏方という立場の違いや、そもそもバンドマンとしても自分とは違いすぎるスケールのライブに完璧に圧倒され萎縮しきり。半回転もできぬまま挨拶もそこそこに逃げ帰るようにイベント終了後AKASOを立ち去った。

キラキラと輝くステージと自分の置かれている状況の、夢と現実の狭間で死ぬほど情けない思いをしながら肩を落として帰ったその日から約6年。あの日みたステージで、あの日みたバンドと明日ツーマンライブさせてもらいます。

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