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今、ガラテヤ人への手紙?
フェイク、だったり、のろい、だったり、耳に触る言葉。しかも2000年も前のトルコの一地方の教会にあてて書かれた手紙。なんで今、日本で、読む?
ちょっと先のほうになるけれど、「愛をもってたがいに仕え合い」と「互いに、かみつき合ったり、食い合ったり」と並んで言葉が記されています。この、どちらが私たちの今の生活を言い表しているのか、とても気になります。以下、パウロの手紙から引用。
兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。
律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。
気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。(ガラテヤ5章13-15節)
どちらがお互いの関係の原理になっている? これがパウロの問いかけですし、パウロの願いは、「愛をもって互いに仕え合いなさい」。
これが、たんに言葉だけのスローガンとか、戒め、に終わらず、実際にそんな人間関係を築いて生きていくために、この手紙が書かれています。土台は、自分が神に愛されていることを実感していること。
そんなに長くはない手紙ですが、最初から読み始めると、当時の事情が分からないままに、当事者に向けての手紙の本文になってしまって、まったくちんぷんかんぷんに陥ります。
私も、最初は本当にさっぱりわからないでいたのですが、背景をひとつひとつ解きほぐして説明を聞いてきて、ようやく自分なりの理解を持つことができるようになりました。そして、互いに愛し合う共同体を広めることの大切さもわかってきたのです。
互いにかみ合うのじゃない、仕え合う関係を築くこと。そんな関係が広まっていくこと。この手紙がそのために役に立つはず、と思うのです。