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41.ローマ2:28-29 神の祝福を受けるにふさわしい人
28,外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。
29,かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます。
なぜユダヤ人であることが重要だったのでしょう
か。 アブラハムの子孫に神の祝福の約束があるからです。ユダヤ人は「割礼」という証拠で、自分がアブラハムの子孫であると信じています。
しかし、パウロは、真のユダヤ人とは、外見的ではなく、内面的に割礼を受けた者であると言っています。霊的にこそ神との交わりを妨げるベールを取り除かなければならないのです。
キリストだけがそれを取り除くことができる、とパウロは言います。そして霊的に割礼を受けたその者に対して神からの称賛があるのです。
この点においては、ユダヤ人と異邦人の差は全くありません。
民族的、宗教的伝統によっては結局このアブラハムに約束された神の祝福を受けることはできず、ただ、キリストを信じる信仰だけが祝福を受け取る方法として与えられているのです。
考えてみましょう:心の中に、他者との交わりを妨げるものはないでしょうか。神との関係を妨げるものは、あなたのうちにはもうないでしょうか。