どこに行きたい?
ヨーグルの〆切がダブルでやってきた。
いろんな出版社と仕事をしているので、どうしても〆切が重なってしまう。
彼の様子を見に行った。でも返事がない。
書斎のドアを開けてびっくり。
なんと、彼が床に倒れている。
私の悲鳴のような声に、彼がぼっかり目を開けた。
「あっ、寝てた」
紛らわしいっ(怒)ええかげんにせーよっ!
「どうして床で寝てんのよ!ベッド行きなさい」
本の間を縫うようにして、身体を伸ばしていたヨーグル。
以前は、こういうときのために書斎に仮眠用のソファーベッドを置いていたのだが、床にどんどん本を置いていく彼が「このベッド邪魔」と処分してしまった。
「ご飯は食べたの?」
「食べてない。食べたくない」
朝も昼も食べてないようだ。お茶しか飲んでないらしい。
私の周囲の男性だけかもしれないが、仕事で時間に追われたら彼らが真っ先に食事をおろそかにするのは何故だろう。
食事と睡眠は基本中の基本なのに。
彼の好きな蒸し鶏を用意した。
トマトやキュウリの夏野菜を切る。今が一番おいしい季節よね。
これまた旬のオクラは胡麻和えにする。
フォロワーさんが「家族に大好評」と紹介していた「至高の煮卵」を作ってみたのだが、これが今は彼の大好物。フォロワーさん、素敵なレシピをありがとうございます。
ばくばく食べる彼が一息つくように「はーっ」とため息。
「年かな。頭がなかなか働かない」
驚いた。初めてこんな弱気な彼を見た。
いつも何も言わずに黙々と書き続けてるのに。
ヨーグルは20代の頃、しょっちゅうネタが浮かんだと言っていた。
それを書き留めたノートは今も彼の手元にある。
考えるスピードが速すぎて書くのが追い付かなかったのだろう。書き殴るような筆跡で、正直、彼にしか読めない代物だ。
もうあのときの彼はいないのかもしれない。
「そりゃ、20代のころのようにはいかないでしょ」と笑ったものの、私は一抹の寂しさを覚える。
そして、ちょっと腹も立った。
税務署から予定納税額の通知書がきたのだ。
税金は税理士さんにお任せしているし、納税額についても事前にきいていたが、それでもあまりに高額なのでびっくりする。
所得税に住民税、そして消費税(売り上げが一千万以上になると消費税が発生するらしい)。
今度は所得税の前払いときた。
こんなボロボロになるまで眠らず食べず書き続け、その結果が自分が使うお金以上に高い額の税金っておかしくないか?
「今年の年収がいくらになるかわからないのに、どうして来年の税金を今から払わないとダメなの?」
高額な税金を一気に支払うのは大変だから、前払いさせることで負担を分散させるのが狙いらしいが、私はそんなふうに思えなかった。
「お父さ~ん。〇〇ちゃんと××ちゃんたちとフランスで女子会することになったの~。お小遣い、前借りさせて~」と、不良娘たちがたかっているみたいだ。
私は性格が悪い。
「支払ったぶんは来年の税金から引かれるから」と彼は言うが、どうせ来年は再来年の税金も前払いさせられるんだから同じことだ。
しっかり食べて、私と話していたら彼の血色もよくなってきた。
とりあえず、ホッとする。
「今の仕事が落ち着いたら、日本から出ること考えてみたら?」
ヨーグルが「また、その話?」と呆れたように言う。
その声には、いつもの彼らしい張りが戻っていた。
「前にも言っただろ?僕はここにいるって」
「でも、このまま日本にいても、あなたの負担は重くなることはあっても軽くなることはないわよ」
「じゃ、凛子はどこに行きたい?」
……どうしてここで私が出てくるの?
「凛子が行きたいところを知りたい。凛子はどこに住みたい?」
えーっと。
日本です。恥ずかしいけど、日本です。
書いてて笑ってしまう。
結局、私ができることはネットで愚痴ることぐらいなのね。情けない。
日本から出ていく術も勇気もない私。
初めて「生きにくい」と感じた。
自分はここからどこにも行けないというのは、こんなにも窮屈なものなのか。
「僕はここにいる。でも、税金ばかりじゃ確かに癪だな。原稿が終わったら買い物にでも行くか。凛子は何が欲しい?」
何にも欲しくない。
あなたと一緒に小説の話をするのが一番楽しい。
ヨーグルが「服でも買えばいいのに」と笑う。
「あなたこそ何が買えば?」
「僕は何もいらない」とヨーグル。
なんだ。私と同じじゃないの。
「映画に行こうか」
「そうね。見たいものある?」
「宮崎監督の新作がみたい」
「ヨーグルって、ジプリ好きだったっけ?」
「そういうわけじゃない。でも、おそらく監督の最後の作品になるだろうから、映画館でみておきたい」
そのあと二人でランチして、私たちはきっと本屋に行くんだろう。
そして二人で、本を手にしながらあーだこーだと小説の話をするんだろう。
シンプルで、あんまりお金がかからない(笑)
でも、それが最高に幸せな私たちのデートコースなのだ。