あなたみたいになりたい
前回の記事で、キョウと話していると男に生まれたかったと思うことがあると書いたけれど、もっと書けば、キョウみたいになりたいと思ったことがある。
キョウみたいに「この人、面白過ぎない?」みたいな返しができる人になりたかった。
キョウの言葉の打率に憧れた。言葉のホームラン、でもそんなところに飛んじゃうの?みたいな。だから楽しい。
その面白さは多くの人を魅了し、いつも彼の周囲は人でいっぱいだった。彼が会社を興したときも、たくさんの人が集まった。
面白いのは彼みたいな人と会話をするのは疲れそうだけど、彼の場合、不思議と話しやすいところ。ホームランなのに、ぐるりと回ってちゃんとボールが私のところに返ってくる。
彼が饒舌に語ってるように見えて、実は彼が相手から言葉を引き出していることがわかる。
キョウみたいに話せる人になりたくて、彼の言葉を躍起になって盗んで自分の言葉にしようと(せこい)していたことがある。
でも、娘に「お母さんってもしかして毒舌家?」と言われ、下手に真似しても単なる毒舌にしかならんということに気がついた。
言葉だけ盗んでも駄目なんだよね。
ああいう返しができるために、相手の言葉を瞬時にどう分析しているか、一度、彼の身になって体験したいなと思う。
ちなみに、最も私に「彼みたいになりたい」と思わせた男性は夫だ。
結婚して間もないころ、夫がゲノムについて教えてくれたことがある。
そのとき、夫のいる世界が羨ましいと思った。
文系の私がもつ単なる理系コンプレックスなんだろうけど、「何故?」に満ち、学ぶという点で刺激があるのは理系だと思う。
学びのうえで文系理系は関係ないという意見もあるだろうし、文系の学問が理系のそれより劣ってるとは思わないけど、学生時代、政治学を学んでいた友人が「例えば医学なんかは学べば学ぶほど進化も発展もどんどんするし、よりよい世の中に繋がるんだろうけれど、政治なんていくら学んでもよくならない」と話していたことが忘れられないのだ。
文系の勉強って進化や発展と結びつけるのに時間がかかるイメージがある。また時として、進化よりも人の愚かさに目を向ける機会のほうが多い気もする。
それから、これも文系の私の勝手な思い込みなんだけど、例えば科学や化学、生物学や医学、数学など、理系科目を深く理解できる人は、この世界がより美しくみえているような気がする。
少なくとも「大学への数学」を愛読していた元彼は、数字の世界にこの世の美しさをみている人だった。その美しさが理解できる彼が羨ましかった。
夫はとても長生きしたい人だ。
一日でも長く生きて、人類がどれだけ進歩しているのか見たいんだそうな。
30年後とか50年後の家電なんて今とは比較にならないぐらい便利になってるだろうし、医学はさらに発展してるだろうし、夫が愛してやまない宇宙はもっと身近なものになってるかもしれない。
もう50歳になる夫だが、年金や少子高齢化の未来に憂えるよりも、宇宙がどうたらこうたらと熱く語る姿をみるたびに、私もこんなふうに未来を楽しみにすることができたらなと思う。
っていうより、これ文系理系関係なく、たんに夫の性格かもしれないけど。
最後にヨーグルみたいになりたいなと思う。
ヨーグルみたいな小説家になりたい。
先日、〆切が過ぎて必死になって原稿を書き上げた彼が興味深いことを話していた。
「〆切が近づくと判断力がさえるというか、決断力が強まるというか、このパターンでいくぞ、ってどんどん決めることができる。しかもその選択がはずれない」
正直、私にはよくわからなかった。
私は小説を書くとき、すごろくや積み木みたいに少しずつある事柄から次へ次へと積み上げていくパターンでしか考えたことがないからだ。
だから、ヨーグルみたいに「どのパターンを選択したらいい?」と悩むことはない。私が悩むとしたら「次のパターンが思い浮かばない」だ。
彼がいろんなパターンを考えているのは、彼のノートをみていてもわかる。このノート、出会ったころはお願いしたら見せてくれたんだけど、いつごろからか閲覧禁止になってしまった。
だから、内緒でこっそり見てるんだけど(コラッ)圧倒される。分岐点がいっぱいで、物事が様々に枝分かれしていて、まさに「どれにしよう」状態。
面白いことに分岐したあとで、また合流したりゴールが同じになったりするものもある。まるで数学の問題を解くみたいだな。
彼のこの思考を、どうにかして盗みたいんだけどなかなか難しい。
「君の名は」みたいに入れ替わってみたいな。
でも私は彼らみたいになりたいけれど、彼らにはなりたくない。
だって、きっと彼らになったら、私は倒れてしまう。
だから、これからも側でそっと観察させてね。