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入院して気がついた二つの大事なこと

数年前、卵巣に腫瘍がみつかり手術をした。
実は腫瘍は随分と前からあった。
でも、良性ということで薬物治療をずっと続けていたのだ。

ところが、新たに腫瘍ができ今度は良性か悪性かわからない。だから卵巣ごと切って調べましょうということになったのだ。

さて、手術のため私は入院。病室は四人部屋だった。
私がみんなと仲良くなって、仕切りのカーテンもせず、顔を合わせておしゃべりしながらご飯を食べているのをみて夫が驚いていた。
「こんなの、男性部屋ではありえない」と言われたけど、そうなんですかね?
女のコミュ力ってすごいよね。

一人は、まだ20代の若い子だった。
癌になる前段階の細胞が見つかったので手術で切り取ったとのこと。彼女はお姉さんを子宮頸癌で亡くしたとのことだった。

「自分が姉の死んだ年齢になったって気がついたんですよ。で、なんとなく気になって会社の健康診断のオプションで頸癌健診受けたら見つかったんです」

「私、あまりその手のことは信じませんが、これだけは姉が助けてくれたような気がしてならないんです」と言いながら、お姉さんのことを彼女は涙をこぼしながら語ってくれた。

もう一人の方は、十年近く癌と戦っていると話していた。
かなり弱られていて、自力でお風呂に入れないほどになっていた。
その日、看護師さんにベッドで足を洗ってもらっていた彼女が、私をみて「いいでしょ?」と笑いながら「今日はお天気がいいわね」と話しかけてきた。
本当にその日はいい天気だった。
そのとき、彼女がぼそっと漏らした言葉を、私は一生忘れないと思う。

「これで健康だったらな」

薬物治療をしていたとき、何度も考えた。
毎日薬を飲んで、定期的に病院に通う。良性とはいえ病とともにある生活がときどき無性に悲しくなるのだ。
薬も病院も知らない毎日が送れたら……って何度思ったかしれない。

病とともに生きるのは、つらい。
ましてや、それが死に直結しているとなると、そのつらさはどれほどのものか。
天気がよくて、足を洗ってもらって、こんなに気持ちがいいのに、私は病とともにある。これさえなければ……というその人の気持ちは痛いほどに伝わってきた。
十年、入退院を繰り返している彼女にとって、健康でいられる毎日がどれほど尊いものか。

彼女の言葉に私は落ち込んだ。
まだ検査の結果が出ておらず、良性か悪性かわからない。これから私も「これで健康だったらなぁ」と思うような毎日を送ることになるんじゃないかと考えたら絶望的な気持ちになったのだ。

そのとき、もっと大事にすればよかったと思ったことが二つある。

一つは人の縁。

私は人の縁に恵まれた人生を送ってきたと思う。
多くの友人に恵まれてるし、付き合いも長い。長いゆえにいろんなことが話せる。
ありがたいことだと思う。

多くの男性にも出会ってきた。
出会いがないってよく聞くけど、私はいろんな男性に出会って、いろんなことがあった。
でも、女性と違って男性はほとんど離れていった。今も付き合いがあるのは片手で数えられるほどだ。

彼らとの別れは決して良いものではなかった。
仕方ないのかもしれない。女性と違って男性の友人は難しいし、異性の友人なんていない人だって多い。
離れざるおえない事態になることもあるだろう。ただ私の場合、その離れ方が悪すぎた。

もっと大事にすればよかった。
憎むような人は誰もいなかった。
友人として関係が続いたか否かはわからないけれど、ただ縁があったことを最後は喜び合えるような別れ方をするべきだったな、と思ったのだ。

もう一つは日常。

病院で思い出すことは特別なことではなかった。
家族旅行とかイベントとか、そんな特別な記憶ではなく、同じように繰り返された、私の作った晩御飯を夫と娘と一緒に食べてる日常ばかりだった。
旅行先で美味しいものたくさん食べたのに、外食もたくさんしたのに、不思議だけど何も思い出せない。
家のテーブルしか思い浮かばなかった。
そして、それが何よりの私の幸せだったことに気がついた。

元気なときは、日常とは違う場面にあれだけ幸せを感じるのに、どうして病気になったら日常ばかり出てくるんだろう。
出てくるたびに、あの何でもない毎日をもっと幸せと思えばよかった、と思った。
あのテーブルに座りたい。私の作ったご飯をみんなで食べて、特別じゃない話がしたいって心の底から願った。

日常を大事にする人は強い、と聞いたことがある。
昔はよくわからなかったけど、今はなんとなくわかる。
いずれ、人は死ぬものだし病の床につくもの。
そのときに、日常をどれだけ大事にしてきたかは、そのときの心の支えになる気がする。

最後に、とても強いと思わされた言葉があったので書いておきたい。
私が入院していたのは婦人科なんだけど、産院と同じ病棟だった。
だから抗がん剤治療でシャンプーハットしてる人と、赤ちゃんを抱っこして歩いてる人が廊下ですれ違うのだ。
見舞い客が「これ、どうなんですかね。別にしたらいいのに」と言ったときのこと。

癌治療を受けている彼女が「私はこれでいいと思いますよ」と言ったのだ。

「人は生まれて、そして死んでいくものなんだって、そうやって回ってるものなんだって、ここに来るとわかるんです」

消える命があり、生まれてくる命がある。
その自然の摂理から、誰も外れることはできない。

理屈ではわかる。
でも、これはまだ私には言えそうにない。