夫に叱られたこと(後編)でも夫に「叱ったんじゃない。注意したんだ」と言われました
「お義父様は遊んでばかりいたわけじゃない。ちゃんと働いてた。ただ転職が多かっただけだ」
父を庇う夫にイライラしました。ムスッとしたままの私に夫は諭すように言葉を重ねます。
「りんこさんがとても努力家なのは一緒にいてよくわかる。僕はあなたのそういうところに助けられてきたからね。りんこさんの努力は、たまたま運とつながった。でもあなたのような人でも、運がなくて努力が実らなかった人もいる」
ぶち切れた。
「私に運なんてないわっ!」
自分でもびっくりするぐらいの大声で怒鳴っていました。
「あの男が父親になった時点で、自分に運がないことは私が一番よく知ってる。だから私は誰よりも努力したのよ。運がないから頑張るしかなかったの! 頑張らなかった人たちなんてほっといたらいい。自己責任だわ」ヒステリックにまくしたてる私。
「世の中にはいろんな人がいる。働きたいのに働けない人だっている。どれだけ努力しても自分の力ではどうにもならないことだってある。健康だってそうだし、時世なんてまさにそうだ。努力不足でまとめられないだろ」冷静な夫。
子供のころ悔しくてたまらなかった。遊んでばかりいて勉強できない子に限って、ちゃんと働いているお父さんがいて、家のことをしっかりやってくれるお母さんがいる。もし私に彼らのような環境が与えられたら……そんな意味のないことまで考えた。
「どうして、運のいい人は自分の努力だけでここまできたって思いがちなんだろうな。支えてくれた人の存在が目に入らないんだろう」
夫がいかにも情けないといったような声を出す。
「それから、僕は『自己責任』という言葉は嫌いだ。その言葉を出すと話はそこで終わってしまう」
実は夫のいうこと、私にはよく理解できていました。
夫も私も超氷河期世代だからです。子供の人数が今では考えられないぐらい多かった私たちの世代。大学受験は受験戦争といわれるほどでした。いい大学に入れば、大企業に就職できていい生活が送れる……子供時代にそんなことを教えられた私たち。でも受験戦争を終えた私たちを待っていたのは未曽有の就職難。私たちは、努力が実らないことを残酷なほど叩き込まれた世代でもあります。
ふとあることが気になりました。
「あなたはどうなの? 自分のことを運がいいって思う?」
夫は即答。
「僕はめちゃくちゃ運がいい。受験もそうだし仕事もそう。それにりんこさんに出会えた。出会いは運以外の何ものでもないからね」
驚きました。
なぜなら、私の中で夫こそ私以上に「運の悪い人」だったからです。
夫は小学生のとき学習机を買ってもらえませんでした。お金がないからではなく机を置く場所がなかったからです。だから夫はずっと食卓机で勉強していました。
地方で育った夫は中学も高校も地元の公立で、学校のレベルは高くありませんでした。実家は裕福ではないので私立には通えないし、塾や予備校にも行けなかった。
夫は賢い人です。元彼たちと同じ大学の出身ですが、彼らとは比較にならないほど夫は頭がいい。
だから、昔、自分に思ったことと同じようなことを考えずにはいられませんでした。もし夫の実家が元彼たちのように裕福だったら、小学生のときに塾に通っていたら、私立の中高一貫の名門校に通っていたら……。
でも、夫はそんな私の考えを笑い飛ばします。
「どの親に生まれようと僕は今と変わらない。たぶん、家が裕福でも僕は塾や予備校には通わなかっただろうな」
「どうして?」
「一人で勉強するのが僕には一番合ってるから」
あぁ、あとね、と言葉を続けた。
「お義父様はお酒ばかり飲んで騒いでたって言うけど、それをいうなら僕は本ばかり読んでる。騒ぎはしないけど」
確かに、夫は時間さえあれば本を読んでいる。父のように会社帰りに呑んで帰ってくることはないけれど、本屋には寄って帰ってくる。
「たとえ、どれだけ時間があっても僕は外でお酒を飲んで騒いだりしない。好きじゃないからね。ただ、お義父様はそれが好きだった。それだけの違いだよ。ちゃんと僕もお義父様と同じように自分の好きなことを楽しんでる」
夫は私に寂しい思いをさせていると思ったのでしょうか。突然「有給をとるよ」と言い出します。
「二人で遊びに行こう。食べに行きたいお店があるって言ってたね?」
確かにここ最近、デートしてませんでした。だから嬉しかったです。
ところが。
次の日から、夫が朝早く仕事に出るようになりました。休みをとるために仕事を前倒しで片づけたようです。
夫、ありがとう。そして、すみません。反省しました。
私もあなたのように、どんな親のもとに生まれても私は変わらないと言える強さを育てたいです。親ガチャなんて言葉を笑い飛ばせるぐらいになりたいです。
あとね。
あなたに出会えた私はとても運がいいです。