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【映画感想】野淵昶『怪談牡丹燈籠』(1955年)

皆様、ごきげんよう。弾青娥だん せいがです。

今回の記事は、3回にわたる特集記事を組んで取り上げた演劇人・映画監督の野淵昶のぶち あきら(1896-1968)が生涯最後に完成させた映画『怪談牡丹燈籠』への感想文(とプラスアルファ)です。

※その特集記事については、以下のリンクから閲覧可能です。
※内容は曖昧に書いてはいますが、ネタバレ防止のため、映画の感想は、以下のリンク集の後から始めて参ります。

この度の主題である映画『怪談牡丹燈籠』は東千代之介、田代百合子を主なキャストに据え、1955年7月12日に東映から封切られた作品です。

東千代之介
田代百合子

映画と聞くと1時間半は超えるものと思いがちですが、本作品は1時間を切る、56分の作品です。監督と脚本をつとめた野淵昶の体力面の衰えと関連付けざるをえない長さではあります。

しかし、この『怪談牡丹燈籠』は、女優の美しさを引き出すのに定評のある野淵昶が、銀幕界にさよならを告げるうえで最高の作品となっています。そして、どちらかというと幻想とは縁遠い作品を数多く手がけてきたにもかかわらず、和のファンタジー要素をふんだんに詰めこんだ野淵昶の異色作でもあると言えます。

怪談とタイトルにあるものの、「夜に一人で見てお手洗いに行くのが怖くなる」ほどのおぞましさはありません。怖さより、この世に生きる人間の愚かさの醜さが時たま顕著に表に出てくる作品でした。

主人公である、浪人の萩原新三郎(演:東千代之介)は、お露(演:田代百合子)と恋仲でした。ところが、父のとある疑いが原因でお家が断絶し、賭場通いをするようになった新三郎は別の女性のお国(演: 浦里はるみ)と新たに恋仲になってしまいます。

この二人の女性は口論を繰り広げ(お国の狡猾な醜さが目立ちました)、言いくるめられる格好になります。新三郎との恋は叶わないと悟ったお露はゆくゆくは幽霊となって、彼のもとを何度も訪れるようになります。

お露にとって生前に叶わなかった恋の逢瀬が叶う瞬間もありました――その甘いひと時は、新三郎の店子である伴蔵(演:山口勇)が覗き見ましたが、彼の目には骸骨と話したり、それと抱擁したりする新三郎の姿が見えました。何が何だか分からなくなって不安に駆られた伴蔵は、妻のお峯(演:凰衣子)にもその様子を見せるも、彼女の目には新三郎の姿しか映りません。ここの一連の場面は、私が冒頭だけ読んだことのある漫画『喰姫-クヒメ-』(2016年~2018年連載)に登場する悪役が男性の目には美女に見え、女性の目には怪物にしか見えないというのを連想的に思い出させました。

怪談映画のお約束と言える場面は、この映画で数多くあります。それゆえ、映画の古典教科書を見ているような印象を受けました。怪談より、もっとおどろおどろしいホラー(私は苦手ですが)に慣れてしまっているせいでしょうか。

『怪談牡丹燈籠』は、女性の美しさを引き出す匠である野淵昶が手掛けた作品であるがゆえに、幽霊になったお露は恐ろしさより(妖しい)麗しさが顕著に映ります。あとは、令和の世に生きる現代人が失いつつある、または失ってしまった人情味が何度も垣間見られます。

さて、最後は思わぬ形で命を落とすことになる新三郎――「新三郎、後ろ!」という往年の喜劇的フレーズを叫びたくなりましたが――は、この世から別れを告げ、霊界のお露と再会し、映画は終わります。終盤の台詞や展開は野淵昶の晩年のキャリアを思わせるものもあり、超絶個人的にはその点で少し涙腺を刺激されました(感動的な形で涙腺を刺激する怪談はある意味新しいかもしれません)。

本来であれば、もっと具体的に内容を語りたいところですが、これからご覧になりたい方のためにお楽しみを残すべく、私からの感想は以上とさせていただきます。(注意として、5年以上におよぶ野淵昶研究の影響もあって、かなりの贔屓目の評価が入っていることも申し上げておきます。)

なお、以下のリンクで示しましたように、野淵昶の作品では唯一、動画配信サービスのU-NEXTで観ることのできるタイトルです。U-NEXT会員の方で1950年代の邦画に興味のある方はぜひ観てください。こちらの記事を最後まで読んでくださった方でありましたら、今回を機に無料トライアルを検討するのもアリだと思います。

京都府立図書館に所蔵されている台本には製作意図が次のように記されています。

 怪奇幻妖な雰囲気を盛り上げて冷風凄気を喚び、観客の心担原文ママを大いに寒からしめる幽靈映画を製作致したい。

東映京都撮影所『怪談牡丹燈籠』

正直、映画の封切りから70年近くを経た私が見たところ、その製作意図は果たせてはいないと言えます。時間的な乖離がありすぎるのも原因でしょう。しかし、『怪談牡丹燈籠』においてこの世とあの世の境界が曖昧になるのは、この世と夢の世界のそれが不明瞭になるのを描いたアニメ映画『パプリカ』を少し思い出させました。と同時に、『怪談牡丹燈籠』は、かなりの極論でございますが、ファンタジー作家のロード・ダンセイニの戯曲を上演したことのある野淵昶による「野淵流・映画ファンタジー」だと言えるかもしれません。

素直に申し上げると、三遊亭圓朝の「怪談牡丹燈籠」の内容をまだしっかり読み込んでいないという浅学のため、今後の課題として、野淵昶のこの映画との比較をしたく思っています。

ちなみに、監督の野淵昶は東千代之介と関わったのは1955年のこの映画が初めてではなかったという情報を、東千代之介のファンの方から頂きました(情報提供に重ねて感謝申し上げます)。『東千代之介 東映チャンバラ黄金時代』に掲載されたインタビューによると、前年の1954年の河野寿一監督作『雪之丞変化』で、自信をなくしていた東に野淵が演技面で助けの手をさしのべてくれたとのことです(野淵はずっと現場で演技を見ていたようです)。

あいにく野淵昶と東千代之介の直接の関わりは『怪談牡丹燈籠』が最後になったようです。が、野淵との間接的なつながりは続きます。野淵に師事していた沢島忠が監督を務める「ひばり捕物帖」シリーズに東は出演します。また、東は月形龍之介を先生と呼んで慕っていましたが、この月形は野淵と舞台と映画で20年近くの付き合いがある人物でもありました。

最後に、野淵昶の他の作品(ただし、個人的見解により1949年の『幽霊列車』を除く)ももっと見られやすい形で配信されることを願いつつ、この記事を締めさせていただきます。お読みくださった方々に深謝をいたします。ありがとうございます!


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