【あおぎりメモリアル】エピソード“我部りえる”
はじめに
今回のお話は、少々主人公に対するバイオレンスな要素が含まれます。珍しく悪役がいます。そんな展開は受け入れられない。解釈違いだと思われる方は読まれないようお願いします。ちなみにご主人様は不幸な目にはあいません。
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幼少期には、誰でも初恋の人がいるものだと思う。先生だとか、有名人だとか。大概そんな初恋は時間と共に風化して、「そんなこともあったなぁ」なんて思い出話になるものだろう。そんな中で、自分は近所の “りえるおねぇちゃん”に淡い恋心を抱いていた。幼児の頃には、“りえるおねぇちゃんと結婚する。”と、よく言っていたらしい。
小学校に上がり、そういう言動が恥ずかしいものだと自覚できるようになったころ、好きな気持ちを抱えたまま、恥ずかしさから強がりを言って、りえるおねぇちゃんを困らせたものだった。
ある日、小学校が終わり近所を走り回って遊んでいた時に、盛大に転び痛みに泣きそうになっていた。そんなタイミングで、高校から下校中のりえるおねぇちゃんに出会う。
「大丈夫?」そう声をかけてくれるりえるおねぇちゃんに、子ども扱いされていることが悔しくて、もう大きいから平気だもん!と大声で反論した。「そっか、キミは強いね〜。りえるは、多分泣いちゃうな〜。」そう、あっさりと返され、何となく自分がガキっぽく感じて、自己嫌悪したのを覚えている。
別の日、友達と街中でかくれんぼをしていたのだが、調子に乗って独りで入り組んだ路地裏に隠れてしまったのが運の尽きだった。普段、入り込むことのない場所だったため、土地勘がなく見事に迷子になってしまったのだ。日も暮れ薄暗くなってきた路地裏は、不気味な雰囲気を漂わせ、否が応にでも不安を煽る。
どれだけ歩いても抜け出せない路地裏。ついには行き止まりにぶつかり、もう二度と家に帰れないと思い泣きそうになっていた時、「おーい、どこにいるのー?」と、りえるおねぇちゃんの声が聞こえた。ここだよー!と大声で叫ぶ。しばらくして、りえるおねぇちゃんの走る足音が聞こえ、それにひどく安心して、わんわんと大泣きしてしまった。
「よかった〜、おばさんに頼まれて探しに来たんだよ。ダメじゃないこんなところまで独りで入り込んだら。」そう言って、ふわりと抱きしめてくれた。その感触に、思わず顔を上げ、りえるおねぇちゃんの顔を見上げる。やさしく微笑む顔がそこにはあった。その後、泣き疲れて寝てしまったため、りえるおねぇちゃんがおんぶして連れ帰ってくれたことを知った時には、しばらく羞恥心でりえるおねぇちゃんと顔を合わせることができなかった。
その日から、自分の子どもっぽさを自覚し、いつかりえるおねぇちゃんを守れるくらい、強い人間になると決意した。その気持ちは今でも続いている。
中学に上がるころ、りえるおねぇちゃんは大学に通うため、遠方で独り暮らしを始めた。忙しいのか、実家に戻ってくることはほとんどなく、中学の3年間はりえるおねぇちゃんに会うこともなく、大学で恋人ができたりしてないか不安になりながら、そんな気持ちに負けないように自分を磨き続けた。
無事にあおぎり高校に入学し、しばらく経ったある9月の日。
この日は、このクラスに教育実習生が来るということで、クラス内がざわついていた。
ちらりと聞こえた話しでは、あおぎり高校OG、かわいい系美人、巨乳などなど、思春期男子の心をくすぐるワードのオンパレードだった。
そんな男性陣を見る女子たちの視線は、冷ややかなものだが。
朝のホームルームを開始するため、担任が入室してくる。
「おはよう。早速耳に入っている生徒もいると思うが、今日から2週間教育実習生が来る。特にそわそわしてる男子ども、迷惑かけないように気をつけろよ。あまりひどいようなら、俺と放課後に特別生徒指導をみっちりしてやるからな。」担任のそんな言葉も、思春期男子の耳に届いているのかどうか。
「じゃあ、自己紹介してもらうから、しっかりと聞くように。」そう言って担任がドアに向かって「どうぞお入りください。」と声をかける。
ドアを開け入ってきた人物を見て、驚きのあまり固まってしまった。
そこにはスーツに身を包んだ、りえるおねぇちゃんが居たのだ。
「みなさんはじめまして。教育実習生の我部りえると言います。」呆気に取られて、りえるおねぇちゃんを見つめていると、視線がぶつかる。その瞬間、にこりと笑いかけられた。周辺の男子どもは「俺に笑いかけた?」と、騒いでいる。
「コスメや可愛いグッズが好きなので、女の子とそういう話で仲良くなりたいです。教師を目指して頑張っているので、短い期間ですがよろしくお願いしますね。」そう挨拶を終えた。
担任から「それじゃあ、出席と今日の連絡するからよく聞いておけよ~。」と話があり、驚きのホームルームは終了となった。
ホームルーム終了後、担任と共にりえるおねぇちゃんは引き上げていったので、話しはできなかった。その後ろを、ぞろぞろと男どもが追っていき、担任に追い返されるところまでがお約束だろう。
学校が終わり、りえるおねぇちゃんの教育実習1日目も終了した。ちゃんと話す機会は無かったが、一生懸命実習に取り組む姿に尊いなぁという感想を抱く当たり、初恋をこじらせているなと自覚して苦笑いをする。
最初は男子どもの騒ぎ具合を冷ややかに眺めていた女子たちだが、りえるおねぇちゃんとコスメの話しで的確なアドバイスをもらったり、恋愛相談にのってもらったことで、懐く生徒が増えたようだ。口コミで、りえるおねぇちゃんに話しかける女生徒が休憩時間ごとに増えていく様はさすがの一言だった。ちなみに男子生徒は、りえるおねぇちゃんに注意され指導されたことで、何かに目覚めた一部の集団。それ以外の男子は思春期らしい反応をするか、大人しく見ているかのどちらかに別れているようだった。
帰宅後、夕食を済ませ、そういえば夜の勉強のお供にエナジードリンクを買い忘れていたことを思い出し近所のコンビニに出かける。家を出たタイミングで、丁度実家へ帰宅したりえるおねぇちゃんに遭遇する。「あ、なぁに?こんな時間から出かけるとか感心しないぞー?」日中の教師然とした姿とは違って、少し気の抜けた感じだ。
える姉こそ、こんな時間に帰宅とは、教師も大変だね。
さすがにりえるおねぇちゃんと呼ぶわけにもいかず、照れ隠しにえる姉と呼んだが、肝心のえる姉は、「ん〜?昔みたいにりえるおねぇちゃんって呼んでくれないのかなぁ?ん?」と言ってくる。
なんだか異様な圧力がある。さすがにプライドもあるので、ここで負けるわけにはいかない。
さすがにこの歳になってまでおねぇちゃんとは呼べないよ。
心の中で呼んでいるので、それで許してほしいところだ。
「ふーん、そっかー。あーあ、あの頃の可愛いキミはどこに行っちゃったのかなぁ。」そう責め立てるように言われて、何故か心に刺さるような感覚があった。
勘弁してよ。熱狂的なファンの男子が沢山出来たんでしょ?そういうのはそっちに言ってあげなよ。
そう言った瞬間、える姉はあからさまに落ち込んだ様子で、「熱狂的なファンねぇ、なんでそんなことになっちゃったんだろ。」そうぼやく。
える姉の熱心な指導に感動したんだと思うけど?
そう伝えると、「それだけならいいんだけどね。いきなり踏んでくださいとか言い出す子が居て困ってるんだけど。なんとかしてくれない?」そうすがるような目で見つめてくる。本当にこの人は、人の心をかき乱すのが上手い。
高校1年生の男子だから、どこまでできるかわかんないけど、える姉のためならできることは協力させてもらうよ。
「ふふっ、身の丈を理解しつつ、頼もしいことをいうようになったね。いつの間にそんなに頼りがいがあるようになったのかな?」
そんなにからかわれると照れるから、勘弁してよ。
そう返す。える姉が本気でそんなことを言っていないことくらいはわかる。
「そう?りえるおねえちゃんはキミの成長を感じられて、嬉しく思ってるんだけどなぁ〜。ね、ご褒美欲しくない?」
そんなことを言われると、さすがにドキリとしてしまう。
教師がそんなこと言っていいの?一応生徒なんだけど。
お互いの世間体を気にしてそう返す。正直、からかわれているとわかっていても、非常に魅力的なお誘いではある。
「まだ正式な教師じゃありませんー。それに久しぶりに帰ってきたから、お話したくて。ダメかな?」そんなことを言われてしまえば、こちらも断ることは難しい。
わかったよ、なら少しだけね。
そう応え、える姉に招かれて、家にお邪魔することになった。
「でも、久しぶりね。教育実習のこと内緒にしてたからびっくりしたんじゃない?」
コーヒーをもらいながら、そんなことを言われる。
そうだね、正直とても驚いたよ。でもえる姉に会えて嬉しかった。
「もう、そういう所はずいぶんとませちゃったんだね。」
特に変わったつもりはないし、むしろえる姉だから素直に応えてるんだけど。
コーヒーにミルクと砂糖を投入しながら応える。
「ホントにぃ?他の女の子にもそんなこと言ってるんじゃないの?」笑顔で言われてるのに、なんだか怒られてるような圧力を感じる。える姉の額に青筋を幻視した。
そんなつもりはないんだけど。
「先生や他の生徒たちの話しを聞いてると、とてもそうは思えないんだけどなぁ。」
いったいどんな話しを聞かされたのか、すごく気になるけど。目標に向けて一生懸命やってるだけだよ、他人に対しても誇れる自分でいたいと思って関わっているだけ。
「昔を思うと、本当に変わったよね。入試で学年主席、スポーツテストとかも全体の平均値で見れば、かなり高水準じゃない。しかも、先生や他の生徒からの評判もいいとか、どれだけハイスペックになっちゃったのよ~。」
そうは言うけど、える姉があおぎり高校で学生してた頃は、もっとすごかったって聞いてるよ?
「いや、それは噂が一人歩きしてるっていうか。」
そう?多くの男子生徒だけじゃなくて、一部女生徒や男性教諭が下僕になったとか。
学力でも全国で上位だったとか。2年生の時点で生徒会長に推薦されてたとか。しかも、おばさんに聞いたら全部本当の事だっていうじゃん。
「うぅ~、それ大半が黒歴史だから思い出させないで~。」
空白の3年間を埋めるように、お互いにあった出来事を話していく。
そうして、1時間程度会話を楽しみ解散することになった。
それから、特に問題もなく2週間が経過した。える姉は実習期間を終え、大学へと帰っていったのだった。
月日が過ぎ、2年生へと無事に進級した。そして、える姉も本日からあおぎり高校に赴任するそうだ。今回はサプライズ無しで、昨日実家で報告を受けた。さっそく担任を受け持つらしく、少し緊張しているようだった。
始業式が体育館でおこなわれ、担任の発表があったのだが、なんとえる姉は、うちのクラスの担任だった。この学校のシステム上、2年生の担任は、その学年の生徒のことをよく理解しているということで、そのまま3年生まで継続される。まぁクラス替えはあるため、必ずクラス担任になるわけではないが、それでも交流する機会は増えるだろう。近くにいれば、それこそ助けてあげられるチャンスも巡ってくると思い、一人闘志を燃やすのだった。
クラスへと移動し、最初の挨拶が始まった。
「今日からみなさんの担任になります。我部りえるです。新任でまだまだ足りない部分も多いけれど、みんなのことを支えられるように、みんなと一緒に成長していけるように頑張ります。勉強のこと、進路のこと、あ、もちろん恋愛とかのプライベートな相談や女の子は美容関係の相談も乗るから、気軽に話しかけてくれると嬉しいです。まずは、今年1年よろしくお願いします。」
そんなえる姉の挨拶に、一部の男子は熱烈な拍手を送っていた。女子もおおむね肯定的な反応を返しているようで安心した。
その後は、何の変哲もない自己紹介パートとなり、いくつかの連絡事項の後、解散となった。
教室を出た後、える姉の後ろ姿を見かけたので、思わず声をかけた。
える姉!
「こーら。学校ではえる姉じゃなくて、我部先生でしょ?」
振り返りながらそう嗜められる。配慮が足りずやらかしたことに、羞恥心がひょっこりと顔を出した。
「・・・。そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だよ。で、どうかしたの?」
える姉の話題転換に感謝しつつ、
いや、特に用があったわけじゃないんだけど、担任になってびっくりしたから声をかけただけ。
「そっかー。あ、そういえば他の先生から頼まれてたんだけど、後で話があるから。帰りに職員室寄ってくれる?」
特に問題は起こしていないはずだが。
そんな不安が顔に出ていたのか、「心配しないで。悪い話じゃない“はず”だから。」
そんな言い方されると、余計不安なんだけど。
「ふふふっ。それなら早めに来てね。」そう言って去っていってしまった。
視線を感じ後ろを振り向くと、多数の男子と一部女子が羨望の眼差しでこちらを見ていた。いたたまれなくなり、そそくさとその場を退散する。なぜだか負けた気分になってしまった。
荷物を持ち、職員室を訪れる。
すいません、我部先生いますか?
近くの教員にそう声をかけるとすぐにえる姉がこちらへやってきた。
「お、早いじゃん。感心感心。」
そりゃあんな言われ方すれば、気にもなるよ。
そう反論したところで、「場所変えるからついてきて。」と言われる。
近くの生徒指導室に案内され、そこでえる姉と二人で面談となった。
「実は呼び出したのは、頼みごとがあってね。まぁりえるも他の先生から頼まれて、それを助けてほしいってことなんだけど。」
そりゃ、こっちの手に負えることならどれだけでも手伝うけど。
「ほんと?無理そうなら断ってくれてもいいからね。」
とりあえず、内容を教えてよ。できるかどうかはそれを聞いて考えてみるから。
「それもそっか。えっとね、実は生徒会の顧問になりまして。」
新任なのに?
「うぅ、前任の先生が異動でいなくなっちゃったじゃない?他の先生はもう受け持ちがあるから、動かせないって言われちゃって。“OGで生徒会もしてたから大丈夫でしょ。他にいないからお願いします。”って、頼まれちゃって断れなかったの~。」涙目になりながら、そう訴えかけてくるえる姉。
なんとなく話しが見えてきたけど、それで頼みたいことって?
「うん、それでね、できたら生徒会の手伝いをしてもらいたいな~って、キミ部活やってないでしょ?他の先生たちからも、内申点にも影響出るし、もったいないから何らかの活動に参加させるようにって言われちゃって。」
確かに1年の時の担任にも、同じような話しをされた気がする。
内申点にも影響があるなら、そろそろ何らかに所属しなければとは思っていたが、える姉の手助けもできるなら丁度いいのかもしれない。
具体的に手伝いって何をすればいいの?
「実は、副会長をお願いしようと思って。」
・・・副会長?確か当選した先輩がいたよね。
「それがねー。その子が親御さんの都合で転校になっちゃって、本来は本人が後任を指名するって校則で決まってるんだけど、急な転校だったし、担当教員は異動だし、春休みに入っちゃったしで、タイミング悪くできなかったんだよね~。」
そうだったんだ。でも他の3年生を差し置いて、副会長になってしまって問題ないの?
「それは心配ないと思う。自主的にやりたいって子なら去年の選挙に出てるだろうし、受験生だから勉強に集中してもらいたいっていうのが、教員側の判断だよ。」
そっか、我部先生の頼みだし、そういうことならどれだけ力になれるかわからないけど、引き受けさせてもらうよ。
そう返事をすると、える姉は安心したのかホッとため息をついた。少し油断したその様子に、心臓がドキリと跳ねた。
「それじゃあ、詳しい説明は明日にでもさせてもらうけど、それでいいかな?」
かまわないよ、我部先生はまだこの後仕事あるの?
「そうだね、明日のオリエンテーションの準備もあるし、もう少し残るかな。それがどうかした?」
そっか、いや何でもないよ。ちょっと気になっただけ。
「ははぁん、さてはりえるおねぇちゃんと一緒に帰りたかったな?」
図星を突かれ赤面する。
まぁ、せっかく帰ってきた幼馴染だし。時間が合うなら一緒に帰れるかと思っただけ。あと、ちゃんと先生って呼んでるんだから生徒として扱ってよ。
「ふふっ、可愛いこと言ってくれるなぁ。こんな年上のおばさん捕まえて、幼馴染って呼んでくれるんだ。」
おばさんって、える姉はそんなに言うほど歳離れてないでしょ。
「まぁそれでもこっちは社会人だしね〜。キミの周りの若い子に比べたらやっぱりおばさんだよ。」
さすがにえる姉でも、そんな言い方は怒るよ?それに、える姉にはえる姉の魅力があるんだからそんなに卑下しないでよ。寂しいじゃん。
「ごめんごめん。そんなに怒られるとは思わなかったな。」
当たり前です。昔からお世話になってる恩人にそんなこと言う人は、たとえ本人でも許しません。あと、生徒と先生からいつもの関係に戻ってるんだけどいいの?
「まぁ、ここでは二人きりだしいいでしょ。1年目でいきなり担任になっちゃったからプレッシャーでナーバスになってたかも。しっかりしないとね!」
無理する必要はないから、辛いときは言ってよ?
「キミには、もうすでに十分教師として恥ずかしい姿を見せてるんだけど。」
今は、ただの幼馴染なんでしょ?
「そういうことスマートに言えちゃうとか、本当に他の女の子に言ったりしてないよね?」
背中にゾクリと寒気が走る。える姉の背後にうっすらオーラのようなものが見える気がする。フッと、圧力のようなものが霧散したと思うと、
「まぁ、それだけキミも成長してるってことかな。まだまだ可愛い子どもだと思ってたけど、カッコよく成長してるんだね。」そんな誉め言葉を受けて、照れてしまった。
「そういう可愛いところは相変わらずなんだけどなぁ。」
その後、また明日ということで解散し、える姉は残った仕事を片づけに戻っていった。
帰宅後、日課のジョギングをして家にたどりついたタイミングで、える姉と顔を合わせた。丁度、帰ってきたところみたいだ。
おかえり。
そう声をかけると、向こうも気づいたようで、
「ただいま。さっきぶり~。」そう言って、手をひらひらと振ってくる。
思ったよりも早く帰れたみたいだね。
「ふふん、りえるにかかれば明日の準備くらいどうってことないアルヨ~。」
どや顔とアニメキャラのものまねが飛び出した。これが出るときは、機嫌がいい証拠だ。
さすが、優秀な教員は一味も二味も違いますな。
「そうアルね、さぁもっと崇めるといいアル~。」
はいはい、疲れてるだろうから早く休んだらいいよ。
「む~、優しくない。もっと労え~。」
慣れない担任業務1日目で、特に疲れているようだ。
はいはい、どうしたらよろしいでしょうか。
「うむ、苦しゅうない。とりあえずお家に入ろ。」
そう促され、える姉と一緒に家にあがらせてもらう。ジョギングのあとで軽く汗をかいているのだが、まぁいいか。
で、担任初日はどうだったの?
リビングで椅子に座りながらそう声をかける。
今日はママりえるおばさんもいるみたいで、夕飯の準備をしているようだ。
「ん-、自分の受け持ち生徒の前で言うのもなんだけど、いい子ばかりで安心したかな。まぁ、不安なんてなかったけどね。」
学校でナーバスになってたかもと言ってたのは、どこの誰なんだか。
「また、あなたはそんな風に言って。本当は前日まで不安で泣きそうになってたくせに。」
ママりえるからそんな暴露話が投入される。
「ちょっと、ママ!一応りえるの受け持ってる生徒なんだから、そこは内緒にしてよ。」
「普通は受け持ちの生徒を家に上げたりしません。上げた時点で秘密もなにもないでしょうが。」
ママりえるの正論が炸裂する。
「ごめんね?うちのりえるが迷惑かけちゃって。」
いえ、むしろ助けになれるなら迷惑なんて思わないので。
「まぁ、昔からそうだけど、ほんといい子だこと。そろそろ年頃なんだし、彼女の一人でもできた?」
突っ込んだ話題を振ってくるママりえるにタジタジになる。
い、いや、残念ながら交際したいって思える女性がなかなか現れなくて。ずっと憧れて目標にしてる人はいるんですけど。
嘘は言っていないはずだ。
「あら、そうなの?りえるの話しだとかなりモテそうだから、引く手あまたなのかと思ったけど。」
残念ながら、そういう浮いた話はまったくないんです。
「ママ!りえるの生徒そそのかさないでくれる?!」
着替えを済ませたえる姉が降りてきた。ラフな部屋着でちょっと目のやり場に困る。
「コラ、思春期の男の子の前にそんな恰好で出てくるんじゃありません。」
あ、お気になさらず。気にしませんので。
「んー?りえるの恰好は魅力的じゃないってことかな?」
どうしろと?さすがにあまりジロジロと見るのは良くないと思ってるんだけど。
「女の子の体をマジマジと見るのはダメだけど、まったく見ないのもそれはそれで怒られるんだよ。」
非常に理不尽な話しだと思いつつ、チラリとえる姉の姿を見る。
下はハーフパンツで大胆に脚を出し、髪は一つ結びにして後ろに流している。そして何より目を引くのは、Tシャツだろう。元は何かのキャラクターのイラストがプリントされていたのだろう。しかし、今はその圧倒的な質量に引き延ばされてしまっている。今日の女子たちとの会話が耳に入ってきたときには「K」という単語が聞こえ、男子たちが声にならない叫びをあげていた。ちなみに、自分もこの時ばかりは声なき叫びをあげた側だった。
すぐに視線をふいっと逸らし、良く似合うと思うよ。と伝える。
「ふふふ、よろしい。」
「こら、若い男の子をからかうのもそれぐらいにしておきなさい。」そう言ってママりえるが、える姉をたしなめる。
「はーい、ごめんなさーい。」そう言いつつ、特に着替えてくるそぶりも見せず、近くの椅子に座るえる姉。
「まったく、この子は。あ、そういえばこんな時間だし、よければ夕飯食べていく?良ければ、そっちのお母さんには連絡しておくわよ?」
いいんですか?
「昔からの付き合いなんだし、気にしなくていいわよ。それじゃあ連絡してくるわね。」
そう言って、ママりえるが離れていく。
「一緒に食事するのなんて、久しぶりじゃない?」
そうだね、最後はたしか、える姉が大学進学が決まって壮行会と銘打って、うちとえる姉の家族で食事した以来じゃないかな。
「そっか、もう4年も前なんだ。そういえば、さっき憧れの人がいるって言ってたけど、ねぇ誰なの?こっそり我部先生に教えてよ。」
いや、それは、ちょっと言いづらいんだけど。
「そう言わずに、ね?りえるも良く知ってる人かな?」
知ってるも何も、える姉のことだよ。
「え?りえるが憧れの人なの?」
そりゃそうだよ、何でもできて、優しくて、非の打ちどころがないって、える姉のことを言うんじゃないの?
「そっか、そんな風に見えてたのかぁ。」
見えてるも何も、周囲の評価はそうなってる。実際そうだと思うし。
「う~ん。」
える姉の中では違うの?
「そりゃ、自分のことだからね。そんなに立派な人じゃないから。それなりに失敗や悩みもあるんだよ。だから、そんなにすごい人間だって思われちゃうのは嫌かなぁ。高嶺の花じゃなくて、身近な存在だと思ってて欲しいな。」
そっか、でも実際人気者だったし。高校までは浮いた話が無かったみたいだけど、大学では恋人とかもいたんでしょ?
「ん~?そこ気になっちゃう~?」にんまりと笑うえる姉を見て、これはまずい話題を振ってしまったかと焦る。
ま、まぁ幼馴染だしね。気にはなるでしょ。
「ふっふっふっ、残念ながらりえるに恋人はいませーん。」
いや、そこ笑って言うとこ?
「そりゃ笑わずにはいられないでしょ。あ、思い出したらムカムカしてきた。」そう言って席を立つと、お酒を持って戻ってきた。
いつの間にかお酒を飲むようになってたのか。
「そりゃ、大学生にもなれば飲む機会もあるからね。」
それもそうか、える姉も成人しているからお酒くらいのむよな。
そう言いつつも、自分は子どもで、える姉は大人という差を見せつけられたようでショックを受けていた。
「キミもあと数年もすれば飲むようになるよ。その時は一緒に飲もうね。」
とりあえず、生徒の前で飲むのは良いんだ。
「今日のお仕事は終わったのー。今からキミとりえるはただの幼馴染です。」
そう言いながら、お酒を飲み始めるえる姉
その後、ママりえるも戻り、パパりえるも帰宅してきたところで夕飯となった。おいしく食事を食べながら、しかし心はどこか別のところに行っていた。今日ほど早く大人になりたいと思ったことはなかったと思う。
翌日
放課後に再びえる姉に呼び出しを受けた。昨日言っていた生徒会についてだろう。
今日は生徒会室で集合らしく、荷物を持って移動してきたところだ。
「お、来たね。」生徒会室の入口でえる姉が待っていた。
我部先生、お待たせしました。で、説明は中でしてくれる感じですか?
「そうだね。あと、なんでそんな他人行儀な感じなの?」
いや、一応公私の区別はつけた方がいいかと思って。
「高校生のくせにそんなとこまで気遣いできるとか、気を遣いすぎ。える姉呼びだけ気をつけてくれればいつも通りでいいよ。他の生徒の子もそんな感じだから。」
むしろ、2日目でそれだけ生徒にフランクに接してもらえるえる姉の人気ぶりに戦慄を覚える。この人、どれだけ人心掌握うまいんだろ。
わかった。それならいつも通りにさせてもらうよ。
「よろしい。それじゃあ、他の生徒会メンバーもいるから早速中で説明と自己紹介しちゃおっか。」
そう言って、生徒会室の中へ入っていく。
中には他に3名の生徒がいた。会長、書記、庶務を担当するメンバーで、3名とも3年生の生徒だった。
「そんなに緊張しなくていい。副会長は会長のサポートがメインだから、負担は多くない。まずは近くで業務内容を学んでくれ。」会長からそう説明を受け、優しそうな人たちで上手くやっていけそうだと思った。
今日のところは説明のみで、今後相談しなければいけない議題や行事の前に打ち合わせをするため、招集があったときに生徒会室へ集合するよう言われ、解散となった。
月日は流れ、6月になった。生徒会の業務に慣れた頃、える姉や生徒会メンバーと一緒に他校と交流会に参加する機会が訪れた。これは地域連合会と呼ばれ、年に何度かそれぞれの学校の状況報告や今年の方針などを発表し、地域全体での連携を相談する交流会だという。
最初の事件はこの日に起きた。交流会が無事に終わり、もよおしたためトイレを探してさまよっている時に、ふと誰かの声が聞こえた。
「お久しぶりですね、りえる先生。」
「えぇ、そうですね。」
知らない男性教員とえる姉が会話をしているようだ。ただ、何となくえる姉の反応が固い気がして、少し様子を見ることにした。丁度廊下の角で死角になっており、少し顔をのぞかせてみる。
「おや、ずいぶんと緊張しておいでかな?そんな時は肩の力を抜くといいですよ。」そんなことを言いながらえる姉の肩を触ろうとする男性教員
「お気遣いなく。それくらいはどうとでもなりますから。」そう言ってスッと距離を離すえる姉。
これは、セクハラの現場だろう。まだえる姉が避けているから実害は無いものの、このまま放っておくのはまずいと思い、死角から姿を表す。
我部先生!ここにいたんですね。会長たちが探してましたよ。早く行きましょう。
そう言ってえる姉とセクハラ教師の間に体を割り込ませる。
「チッ、なんだね君は。今りえる先生は私と話しをしているんだが。」
そう言って、不機嫌さを隠そうともせず、こちらの肩を掴んでくる男性教員。
その手に導かれるまま、振り返りまっすぐ相手を見返す。
それは申し訳ありませんでした。ですが、どうしても我部先生に至急相談しなければいけないことがあるみたいで、あおぎり高校の問題に関わる事なので、ここで失礼させてもらいます。
案に、部外者はすっこんでろ。と伝える。
「ほぉ、それなら教育委員会にも発言力のある私が同行して手伝いましょう。さ、りえる先生一緒にまいりましょう。」
そう言ってえる姉の肩を抱こうとする男性教諭。さすがに、しつこい。
すみません、あおぎり高校の内部情報に関わることもあるので、他校の先生はご遠慮ください。ここで失礼します。
そう告げ、える姉の手を掴んでその場を急いで離脱する。
その間、える姉は終始無言だった。
しばらく移動し、誰も後を追ってこないことを確認する。問題無さそうだったので、改めてえる姉に声をかける。
大丈夫?
「うん、大丈夫。助かったよ。でも、あんな無茶はあまりしないで。」
それで、える姉がセクハラされるのは見てられないんだけど。
「りえるは大人だから、それくらいは自分で対処します。あと外では我部先生でしょ。」ちょっと怒ったようにたしなめられる。
・・・はい、出過ぎた真似をしてすみませんでした。
「・・・ゴメンね。大人げないのはりえるの方だった。本当は助けてくれて嬉しかったよ。この話は、また帰った時にゆっくりさせてもらっていい?今はとりあえず帰りましょ。」
その後、会長たちと合流し帰宅となった。
帰り道の途中でトイレに行きたいことを思い出してしまい、しばらくモジモジすることになったのは、ここだけの秘密にしてほしい。
帰宅後、える姉に家まで呼ばれたため、あがらせてもらう。
「今日はお疲れ様。疲れただろうから、まずはそこに座って。紅茶にする?それともコーヒーを飲む?」
それじゃあコーヒーをもらえるかな。
「はーい、少し待っててね。」
しばらくして、目の前にコーヒーが差し出された。一口飲む。口の中にほろ苦い味が広がる。苦みに渋い顔をしていると、「あ、ごめん。ここにミルクと砂糖あるから好きなだけいれてね。」そういって差し出されたミルクと砂糖をコーヒーに投入する。こうゆうところでも自分がまだまだお子様なんだと痛感させられる。いや、大人でもブラックコーヒーが苦手な人はいるだろうし、ダメだな思考が卑屈になってる。
飲みやすくなったコーヒーをさらに一口飲み、える姉に問いかける。
で、単刀直入に聞くけど、あのセクハラおやじは誰だったの?他校の先生っていうのはわかるんだけど。
「セクハラおやじって言わないの。あの先生は、他校の先生なんだけど、研修会とかでちょくちょく顔を合わせることがあってね。そのたびにああやって絡まれてるの。ただ、教育委員会に太いパイプがあって、逆らうと報復されるって噂があってね。下手に逆らったらダメって他の先生たちにも言われてて。今のところ何とか逃げてるんだけど、最近ちょっとしつこくて。でも、心配しないで?ちゃんと避けて被害に会わないようにしてるから。」
でも、それって根本的な解決になってないよね。
「うっ、でもりえるは大人だし、それくらいは自分で対処できるから。それにりえるをかばうと、キミがあの先生ににらまれちゃう。」
できることは協力するって言ったでしょ。
「それでもダメだよ。これはりえるの問題だから、自分で何とかしなきゃ。」
そういう割には手が震えてたの見逃してないからね?
「・・・やっぱり気づいてたかぁ。」
そりゃ、える姉のことだもの。何年の付き合いだと思ってるのさ。
「ならこの際だし、幼馴染君にいろいろ話し聞いてもらっちゃおうかな。」
それくらいならどれだけでもどうぞ。
そう言って、そこからえる姉の愚痴を沢山聞いた。授業の準備、休日のたびにある研修、新人ゆえに押し付けられる雑務、思ったような教育ができない。そんな愚痴がたくさん飛び出てきた。しかし、セクハラに関する愚痴だけはまったく言ってくれない。その事実に頼りがいがないのかと悔しい思いをしながら、今後はえる姉の様子に変化がないか、より一層注意しようと考えるのだった。
月日が流れ、文化祭の日。
生徒会は、文化祭運営の統括があるため、副会長として奔走している。他のメンバーは3年生なので、最後の文化祭を楽しんでもらおうと、大半の業務を一人で請け負っていた。幸い一人でも少し無理をすればこなせる業務量だったので、校内を走り回りながら、必要な対処をしていく。
そんな時、見回りのため巡回しているえる姉に出会う。
「生徒会の仕事お疲れさま。」
我部先生こそ、見回りお疲れさま。
「疲れてはいないかな。みんなの楽しそうな姿が見られて、りえるも楽しいから。」
そう言ってウキウキしながら周りを見渡すえる姉。
せっかくだから一緒に回ろうと誘いたかったが、
「すいませーん!生徒会の人いますかー!」
そんな声が聞こえた。
「あら、呼ばれちゃったね。りえるも見回りに戻るから頑張ってね。」そう言って見回りに戻って行ってしまった。
業務の大半を引き受けたことを後悔しつつ、呼ばれた方に移動するのだった。
10月になり、後期生徒会選挙の時期となった。この時期から生徒会役員は2年生に移行する。会長から「次はお前が会長になれ」と言われ。立候補したところ、見事に当選してしまった。
える姉からは「これからよろしくね会長さん。」なんて言われ、やる気が出てしまったのはご愛敬だろう。
さらに季節は進み、12月24日
今日は放課後に、クラスのみんなと教室でクリスマス会をしている。
もちろん担任であるえる姉の許可はもらい済みだ。むしろ、「楽しそうだからりえるも参加ね。」なんて言って、生徒よりもノリノリだった。そんな姿を見て、心臓に大きな負担をくらった男子生徒が多数いた。かくいう我が身も心臓が破裂して吐血するかと思った。
この日ばかりはお菓子やジュースを持ち込み、最終下校時間まで楽しく盛り上がった。生徒たちからお願いされてサンタガールのコスプレをしたえる姉の破壊力は、もはや語るまでもないだろう。
終業式を迎え、気づけば大晦日。今年は我部家と我が家で一緒に年を越そうということになり、我が家で全員こたつに入りながらテレビを見ている。大人連中は全員もれなくお酒を飲んでベロベロに酔っぱらっており、そんなダメな大人たちを介抱していた。
親父や母親たちが酔いつぶれた横で、フラフラと揺れながらまだお酒を飲んでいるえる姉がいた。
どれくらい飲んでいるのかはわからないが、そろそろ止めさせた方が良い気がする。
える姉、そろそろお酒飲むの止めた方が良いんじゃないかな。
「んー?だーれにいってるのかなー?」あかん、これ絶対めんどくさい絡みのやつだ。
「そんなとこにいないでー、りえるの隣に来てお酌しなさいよー。」
いや、飲むの止めてもらっていいですか?
「むー。そんなこと言うと、キミの恥ずかしい話しを言いふらすゾー。」
はい、ごめんなさい。すぐ行きます。
酔っ払いえる姉には勝てないと悟った瞬間だ。近くに行き、お酒を注ぐ。
「よーしよーし、苦しゅうない。」そう言いながらチビチビと飲み続ける。
その様子を隣で眺めていると、突然ガバッと視界が塞がれた。何事かと思い頭を動かそうとするが、がっちり固定されている。なんなら顔面がやわらかいナニかに包まれている。
「キミはえらいねー。学校では優等生だし。男女問わず人気者だし。教師にも萎縮せずに対応するし。すっごく優しいし。」そう言いながら頭を撫でてくる。どうやら、える姉の胸元に抱きかかえられているようだ。
あの、放してもらっていいかな?この体制はいろいろとまずいって。
そう言って離脱を試みるが、「だーめ。これは普段頑張ってるキミへのご褒美なのー。」そう言ってさらに強く抱きしめ、頭を撫で続けてくる。
天国に昇るかのような幸せな感触だが、問題がひとつだけあった。
あまりの質量に呼吸がままならないのだ。
呼吸が苦しくなり、とりあえず適当なところをタップする。
「やん!もーどこ触ってるのー?」
どうやらまずいところをタップしたみたいだ。
やばい、酸素の残量が尽きた。幸せな感触に包まれたまま、ゆっくりと意識がブラックアウトしていく。
気が付くと朝になっており、自分以外の大人たちは見事に全員二日酔いでその日は地獄を見たという。気絶してしまったが、あんな幸せな時間が過ごせるなら、たまには酔っぱらったえる姉の近くにいてもいいのかも。そんな邪な欲望を抱く当たり、自分もまだまだ思春期男子なのだろう。
2年生の期間はあっという間に過ぎ、次年度の生徒会選挙で会長に再選を果たした。そのまま3年に進級し、引き続きえる姉が担任となった。
3年生になってしばらく経ったある日の6月のこと。
昨年同様、地域連合会の時期が来た。会合は滞りなく進み、問題なく終了した。しかし、心配の種はまだ残っていた。
昨年のこともあり、会場を巡回していると、階段の踊り場で例のセクハラ教師とえる姉の声が聞こえた。「りえる先生、そろそろ私の気持ちに応えていただいてもいいのではないですか。もうお気づきなんでしょ?」
「すみません。お気持ちはありがたいですけど、お応えすることはできません。」
どうやらセクハラ教師がえる姉にモーションをかけて、断られたところのようだ。
「ふーん、そんなこと言っていいんですかねぇ。あなたの返事次第では、そちらのあおぎり高校に教育委員会から圧力がかかることになりますよ?」
「脅迫ですか?」
「いえいえ、そういうわけではありません。ただ、予期せぬ不正の情報が、突然教育委員会にリークされて、罪のない何人かの教員が季節外れの異動になる、そんな話しも珍しくはないですからねぇ。もちろん、私にそんな力はありませんけどね?」
「くっ、卑怯な・・・。」
悔しそうなえる姉の声が聞こえる。
「ふふふ、私は女性のそういう悔しがる顔が好きなんですよ。それ以上に、私に嫌悪感を抱いてる顔が、涙でゆがむのはもっと好きなんですけどね?で、どうしますか?私はどちらでも構いませんけど。」
「・・・。」
える姉が葛藤している。そんな様子がありありと想像できた。
居てもたってもいられず、階段の踊り場に姿を晒し、える姉とセクハラ教師の間に割り込む。
そこまでにしてもらえますか。大きな声で話されているので、聞くに堪えない話しが聞こえてきたんですが。
「おや?君はたしか去年も。ふっ、子どもは引っ込んでてもらいましょうか。これは大人同士の高度な会話なんですから。」
そうですか。大人の会話にしてはとても下世話に聞こえましたけどね。なんなら、今の話をタレこんでも良いんですよ?
「ふふふ、威勢のいいことで。ですが、どこにタレこむというのですか?たかが高校生風情が、訴え出たところでどこも話しなんて聞くわけないじゃないですか。そもそも教育委員会にコネのある私にかかれば、その程度の話しをもみ消すのにさして労力を必要ともしませんからね。むしろ、反抗的な生徒として、君の学生生活がここで終わる可能性もあることを覚悟しなさい。」
セクハラ教師を睨みつけ、ここからどう立ち回るか必死に脳を回転させる。
ふと、背後のえる姉が制服の裾を掴んできた。振り返るとその手は震え、声も出せないくらい怯えているのに、瞳だけはこちらを心配していた。「キミの将来がだめになっちゃう。ここで引いて。」そう言っているように感じられた。
しかし、りえるおねぇちゃんを守れるようになると誓った思いを裏切ることはできない。ここで引くと、今までの努力が嘘になってしまう気がして、さらに一歩セクハラ教師に詰め寄る。
ご自分がモテないからって、権力をかさにきて女性を脅すとは、本当に情けないですね。同性として恥ずかしいです。人道に悖る行動は、はっきり言わせてもらえばクズですよ。
相手の注意を引くため、強気に挑発する。はたしてこの誘いに乗ってくるか。
「チッ、ガキが調子にのってるんじゃありませんよ。これは少し教育が必要そうですね。」
そう言って突然頬に強い衝撃が走った。おもわず尻もちをつく。える姉は、あまりの勢いに後ろへ押し出され距離が開く。
目を白黒させていると今度は腹部に衝撃と痛みがはしる。
「これは教育的指導です。」
体罰という名の暴行の間違いでは?
乱れる呼吸の間から言葉を絞り出す。
「私が教育的指導と言えば、その通りになるのです。その意味をあなたの体に刻みつけてあげましょう。」
そう言ってさらに腹部を蹴られる。
顔面には1発だけで、あとは目立たない腹部ばかりとは、本当に卑怯なことに関しては知恵が回る。
「減らず口を!」
そう言って何発も腹部を蹴られる。
「やめてください!!」そう言ってえる姉が割り込んでくる。
「りえる先生も観念しましたか。」
そう言ってほくそ笑むセクハラ教師
「お二人とも私に逆らうとどうなるか、これでよくわかったでしょう。それじゃありえる先生これから一緒に休憩できる場所に行きましょうか。少し気分が昂ってしまって。」
そろそろ限界か。そう判断し、セクハラ教師と逆方向に這って進む。
「おやおや?あんなに威勢が良かったのに、ちょっと指導されただけで逃げ出すとは情けないですねぇ。」
セクハラ教師が何かを言っているが、無視して進む。そして目的地に到達すると、とあるものを回収する。
ずいぶんと熱心に教育していただいてありがとうございます。
痛みをこらえて立ち上がり、セクハラ教師に向けてそう声をかける。
「突然なにを・・・。」怪訝そうにこちらを見てくる。
いえいえ、あまりに熱心に教育してくださったので後学のために少し記録させてもらったんですよ。
そう言って手に握ったスマホを見せる。画面は録画したばかりの映像を流している。
「その端末を渡しなさい。今なら許してあげましょう。」そういうセクハラ教師。
ええいいですよ。
そう応えスマホを渡す。あまりにもあっさりと渡すため、える姉もセクハラ教師もあっけにとられている。
ちなみに月並みですけど、その映像はすでにクラウドで保存されてますからね。端末を壊されてもデータはありますし、どの端末でもダウンロードできますから。それとこの足で警察に行かせてもらいます。どうもご指導ありがとうございました。
そう伝え、える姉を回収し、足早にその場を離脱する。蹴られた腹部が痛み、正直辛いがもうひと頑張りと思って耐える。すると、突然の浮遊感がこの身を襲った。
全てがスローに流れていく世界で、泣きそうなえる姉の顔が印象に残った。数舜の後、全身を叩きつけられる衝撃とともに意識がブラックアウトした。
意識を取り戻すと、そこは自宅のベッドの上だった。
見慣れた天井だ。
そう言葉を漏らし、体を起こす。全身に痛みが走るが動かせないことはない。
脚に重さを感じていたのでそちらを見ると、突っ伏して寝ているえる姉がいた。
目元には涙の跡が見て取れる。どうやら泣かせてしまったようで、申し訳ない気持ちになりながら、える姉のさらさらの髪を指で梳く。
「うーん・・・。」むずがるえる姉の目がうっすらと開く。
視線がぶつかると同時にガバッとえる姉が体を起こす。
「キミ!大丈夫?!ここがどこだかわからないとか、りえるが誰だかわからないとかないよね!!」
物凄い勢いでまくしたててくる。
ここは自分の家で、あなたはりえるおねぇちゃんです。
そう答えると、ほっとした様子でえる姉の緊張が解れた。
「もう、あんな無茶なことしないでよ。りえるの心臓まで止まるかと思ったじゃん。」
ごめん。あの場ではあれが最善だと思ったんだ。気絶するとは思ってなかったけど。あの後結局どうなったの?
「キミは、あの先生に突き飛ばされて階段から転げ落ちたの。意識なかったし、頭から血が出てたしで死んじゃったかと思ったんだからね。」
そっか、突き飛ばされたのか。で、あのセクハラ教師はどうなったの?
「あの先生は、あのあと逃げてったんだけど。他の先生がこっちの状況を見つけたみたいで、すぐに警察と救急車が来たの。キミは頭をぶつけてたみたいだからすぐに救急搬送されたんだけど、スマホが落ちてたから中の動画が証拠になって、あの先生はすぐ逮捕されたよ。意識が戻ったら警察が事情聴取したいから、連絡できそうなら連絡してくれって言ってた。」
無事に逮捕されたんだね。良かった。今まで泣き寝入りしてきた人もいるだろうから、これで少しでも気持ちが晴れると良いんだけど。
「そうだね。でも、本当に心配したんだよ。仮にケガしなかったとしても、上手くいかなかったらキミの将来がつぶされてたかもしれないんだからね。」
それでも、える姉を守れるならかまわない。
「かまいなさい。キミはまだまだ社会にも出てない子どもなんだから。子どもたちの未来を守るのは大人の役目なんだよ。」
こんな時だけ子ども扱いするのはズルいと思う。
「それでもよ。こっちは腐っても教師なんだから。って、偉そうには言えないか。あの先生に追い詰められて、子どもみたいに震えることしかできなかったし。」
それは、大人でも怖いだろうから関係ないと思うけど。
「子どもと思ってたキミに庇われて、これじゃあどっちが保護者かわからないじゃない。」
怖いものは怖かったよ。ただ、える姉のためって思えば勇気が出ただけ。
「本当にりえるのため?他の人でもしたんじゃない?」
少なくとも他の人だったら、きっとここまでの行動は起こせなかったと思う。薄情かもしれないけど、恐怖で足がすくんでたと思うよ。
「そっか、でもいいのかな?りえるにそんなことして、独占欲強いから、他の人に同じことしてたら嫉妬しちゃうかも。」
独占欲?誰にでも平等に優しい気がしてるけど。
「そんなことないよ。りえるだって人間だもん、嫉妬くらいしちゃうよ。それが仲のいい幼馴染ならなおさらね。」
その後、える姉は自宅に帰った。夕食を食べ、入浴を済ませ、さぁ寝ようというタイミングでパジャマ姿のえる姉が部屋に来た。
いや、える姉なにしていらっしゃるんで?
「キミは頭ぶつけてるから、今日は要観察です。目を離すわけにいかないので今日は一緒に寝ます。」
その割には、顔赤い気がするけど。
「そういうキミも顔が赤いよ。」
そりゃ、いい歳だし照れもするよ。
「とにかく、ベットのそっちに寄って!」
そう言ってもぞもぞともぐりこんでくるえる姉。
さ、さすがに同衾はまずくない?
「幼馴染だからセーフじゃないかな?」
アウトだと思うけど・・・。
「もう、この期に及んでグダグダ言うんじゃありません。」
ちょっと、そこでそんな大人っぽい声出すのやめてもらっていいかな。
「とにかく、細かいことは気にしないで寝るよ!電気消すからね。」
そう言って部屋を暗くされる。
しばらくお互いに背中合わせで寝ようとする。しかし相手の体温や息遣いを感じ、寝るに寝られない状況だった。
「・・・ねぇ、まだ起きてる?」
起きてるよ。
「今日はありがとうね。」
いや、お礼を言われるようなことはしてないかな。必死だっただけだよ。最後は迷惑かけちゃったし。
「ううん、そんなことない。なんか、昔憧れた王子様みたいだった。」
その割には、悪役にボコボコにされてカッコ悪かったけど。
「カッコ悪いとは思わなかったかな。むしろカッコ良かったし。暴力に頼らずに相手を追い込むところなんか、ドラマの主人公みたいだった。」
なら、える姉はお姫様だね。
「そうだといいな。か弱いお姫様だったら、どんなに良かったんだろ。」
える姉?
「クスッ、何でもない。さっきも言ったけど、りえるは嫉妬深いので、これからキミは苦労すると思うよ。」
それくらい、受け止めてみせるよ。
「ふふっ、よろしくね。頼りになるかっこいい幼馴染さん。」
それ以上言葉をかわす必要はなく、昼間の疲れが出たのか二人してそのまま眠りについていた。
数日後
事情聴取も終わり、ケガも問題なく、医者から復学してよいと許可をもらえたので、数日ぶりに学校に来れた。休んでいる間も、える姉が自宅で授業をしてくれたため遅れもない。
そして、教室に脚を踏み入れたとたん、「会長が来たぞ!おはよう!ニュースになってたけど、大変だったね!」そう言って複数のクラスメートに囲まれる。
「動画がSNSに流れてきてたけど、めちゃくちゃカッコよかった!」
そう言って女子も近づいてくる。
あ、ありがとう。大変だったけど、こうやって無事に戻ってこれて良かったよ。
そう返すだけで精一杯だった。
そこから、あの時はどうだったのか。犯人に蹴られたところは大丈夫なのか。などなど質問攻めにされ、みんながだんだん包囲の輪を狭めてくる。
あまりに迫ってくるため、そろそろ離れてくれと言おうとしたところで、近くにいた女子がバランスを崩し押し倒される形で倒れこんでしまった。
いった~、大丈夫?
一緒に倒れこんだ女子を起こし、そう声をかける。
「朝からなーにーをーしてるのかなー?」
ふと背後からそんな声が聞こえる。それと同時に強烈なプレッシャーと氷水を背中に流し込まれたような悪寒が走る。
「そろそろホームルームだから、席に戻ろっか。ほら、他のみんなも席に戻って~。」
一見いつも通り生徒に接しているようだが、わかる。これはまずい。非常にまずい。
錆びた機械のようにギッギッギッと後ろを振り向く。そこにはいつものように、にこやかに微笑みを浮かべているえる姉
の皮を被った堕天使がいた。
「あなたも席に戻ってね。」
そう声をかけられた女子は不穏な空気を感じたのか、そそくさと席に戻る。
「ほら、キミも早く席に戻って。」
目が笑ってない。
その後、クラスメイトからの囲み取材は無くなった。
その日の晩、突然スマホにメッセージが入った。
「個人指導です。いますぐ家まで来なさい。」
差出人はえる姉。
今日の学校でのことだろう。これ以上機嫌を損ねる前に、すぐにえる姉の家に向かう。
家にあがると、ダイニングでお酒を飲んでいるえる姉を発見する。こちらに気づくと立ち上がって、
「来たな~、ちょっとこっちに来て座りなさい!」そう言って自分の横の席をボフボフと叩く。すでにかなり出来上がっているようだ。
近くに行くがなんとなく座るのが怖くて、立ったままえる姉のつむじを見つめる。つむじすら可愛らしい。
「こらー、早く座りなさいよー!身長差あるんだから座らないと目線が合わないでしょーがー!!」
確かにえる姉はかなり小柄なため、立った状態でも視線が下にさがる。
そんな部分にコンプレックスを感じているようで、そんな所も可愛い。今日は小さな怪獣をみているようで、どうにもお姉さんという感じがしない。
しかし、不可抗力とはいえ学校でやらかして怒らせてしまったのは事実なので、まずは素直に椅子に座る。
「よろしい。」んふー、と鼻息を吐くと、なんとえる姉はこちらの膝の上に背中を向けて座ってきた。
ちょっと、何してらっしゃるんデスカ。
「えー?上書き~。」そう言ってゆらゆらと揺れる怪獣える姉。ナンデスカコノカワイイセイブツワ。
酔ってますね?
そう問いかけると、
「酔ってますね。誰かさんが今日学校で女の子と抱き合ってたので、やけ酒です。」そう言うではないか。
え?嫉妬??
「言ったでしょ?独占欲強いって。」
確かに言ってましたが。
「まったく、油断も隙もない。キミはりえるおねぇちゃんだけ見てればいいの!他の子を見るのは許さないからね~!」特大の青筋が見える。
「とにかく!しばらくこのままでいろ~!」
そう言われてしまえば、こちらとしても否は無いので、大人しくしておく。いろんな感触がやわらかくて、こんなに幸せでいいのだろうか。
そんなことを思っていると、える姉の様子が変わってきた。
ゆらゆらとした揺れがおさまった代わりに、今度は頭がカクンカクンと揺れている。どうやら眠気が来たようだ。
える姉眠いの?
「うーん、眠くないよー。」
そう言うが、声はすでに半分夢の世界のようだ。
もうしばらく静かにしていると、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。
さすがにこのまま寝させるわけにも行かないので、える姉をお姫様抱っこで抱き上げる。たしかえる姉の部屋は変わってなければ2階の奥だったはず。
そうして、抱き上げたえる姉を部屋まで運ぶ。数年ぶりにお邪魔したえる姉の部屋は、記憶にあったころと同じ部分もあれば、ずいぶんと様変わりした部分もある。
昔から可愛いものが好きだったので、ファンシーグッズは数が増えてもそのままの痕跡がある。一方で、おしゃれにも余念が無いのか、美容系のグッズが多く見られた。
あまり女性の部屋をマジマジと見るのも悪いと思い、ベッドに連れていく。える姉を寝かせようとしたところで、ベッドサイドのある写真に気づく。
それはあの小学生の時に迷子になった時の写真だった。あおぎり高校の制服姿のえる姉と背負われて寝ている男の子。
今ではすっかり逆転してしまい、寝ているえる姉を抱きかかえて運ぶことができるようになった。
少しはあの時の誓いを果たせているのだろうか。
「んー。」むずがるえる姉をベッドに寝かせ布団をかける。
おやすみ。そう声をかけ退室しようとしたところで、
「あの頃の約束はまだ有効なのかなー?」とえる姉に声をかけられる。
なんのことか問い返そうと思い振り返るが、える姉は穏やかな寝息をたてていた。どうやら寝言だったようで、問うても答えは返ってこなかった。
そのままえる姉の部屋を後にして、自宅に帰る。
抱きかかえたときに当たった「K」の感触は、ヤワラカカッタとだけ言っておく。
月日は過ぎ、気づけば文化祭の日を迎えていた。
今年も生徒会として奔走することになるかと思ったが、他のメンバーたちが「会長は働きすぎです。こんな日くらいゆっくり楽しんでください。」と言って追い出されてしまった。
さて、いざ楽しめと言われても特にやることが思いつかず、仕方がないので見回りがてら各クラスの出し物を見て回る。
顔を出すたびに「会長これ持って行って下さい。」「会長これ試してみてください。」「会長なんか食べていってください。」と足止めを食らう。特に慌てた用事もないため、各クラスの出し物や屋台の食べ物などを楽しませてもらう。
そしてもらった食べ物を食べながら中庭を歩いていると、「あ、会長が食べ歩きしてる。いけないんだー。」と、からかうようなえる姉の声が聞こえた。声の方に振り返ると、屋台で売られていたイカ焼きを片手にこちらを見ているえる姉がいた。
いや、我部先生も食べ歩きしてるじゃん。
そう反論するものの。
「りえるは先生だからセーフです。」
いや、アウトだから。生徒の模範となるべき教師じゃないの?
「むしろ、先生が率先して楽しまなきゃ!みんなも楽しめないと思って。」いや、たしかにそれも一理あると思うけど。
「とにかく、どうせ他の生徒会メンバーに追い出されたんでしょ?だったらりえると一緒に見回りしようよ。」
去年は一緒に回れなかったため、その提案は非常に魅力的なのだが、職務を放っておいていいのだろうか。
「その顔は、また真面目に悩んでる顔だなー。今日はお祭りなんだから、楽しんでいいの。あなたも生徒なんだし、今年で最後なんだから思いっきり楽しまなきゃ、二度と経験できないよ!」そう言われ、きっとえる姉にもこんな思い出があったのだろうと思い至る。先輩の言葉は素直に聞くべきだと思い、える姉と文化祭を回ることにした。
方々を見て回り、体育館に差し掛かった所で、「おーい!」と呼び止められる。
見ると、縫製部の部長らしき人物がこちらに駆け寄ってくるところだった。
「お二人さん丁度いいところに!」何が丁度よかったのだろうと思い、える姉と顔を見合わせる。
「実は会長たちのクラスから、Mr&Msコンテスト参加予定の二人が来てないんだよ!」そんなことを言われる。
校内放送でアナウンスはしてもらったのか?
そう尋ねるが、「もちろんしてもらっているが、この喧噪だから聞こえてないのかもしれない。」と言われる。確かにそうかもしれない。
「その二人を探して呼んでくればいいの?」そうえる姉が問うと、「いや、今から探して呼んでくるのでは時間的に間に合わないんだ。」
何となく嫌な予感がしてくる。
「頼む、がぶせんと会長で出てくれないか。」
案の定そんなお願いか・・・。
どうしようか悩んでいるとえる姉が袖を引いてくる。
「ねぇ、出てあげようよ。ホントに困ってるみたいだし、今のところ問題もなくて時間もあるし。」
確かに時間はあるが、うーん。
「ね、お願い。それにりえるもMr&Msコンテスト出てみたかったんだ。高校の頃はそれこそ生徒会で忙しくて、文化祭楽しめなかったし。」
そうだったのか。てっきりえる姉のことだから充実した高校生活を送っていたとばかり思っていた。
そういうことなら参加しよう。ただ、何か問題が発生した場合はその場で離脱するがかまわないか?
そう縫製部の部長に伝える。
「あぁ、それで構わないよ。すまない恩に着る。」
そうしてえる姉と一緒に控室まで連れられ、着替えのために一旦別の部屋に通された。
各ペアによってコンセプトは違うらしいが、我がクラスの男性側は魔王を意識した恰好ということで、ねじれて前に突き出た角、笑うと見える鋭い犬歯、カラーコンタクトで瞳は紅く染まり、胸元が開いた変形タキシードとマントを羽織らされた。
なんだろう、この厨二臭のする香ばしい恰好は。
ついでにメイクも施され、急いでステージ袖に押し出される。
どうやらえる姉の方はまだ準備が終わっていないようで、先に他のクラスの出場者が出ていく。
ステージ上では、ペアで揃って何かポーズをとらないといけないらしく、あるペアは抱き合ったり、あるペアは男が踏まれていたり。
・・・まぁ、趣味や考えは人それぞれなので深く追求はしないようにしようか。
そして、最後のペアが終わり、いよいよ次がいないというタイミングで、える姉の準備もできたと連絡が来る。
そして、お互い相手の姿を確認する間もなくステージに上がることになってしまった。ステージ中央に向かって歩いていると、反対の舞台袖からえる姉が現れた。
える姉の恰好を見た瞬間、あまりの美しさに歩くのを忘れて魅入ってしまった。
純白のドレス、頭上に輝くティアラ、白く肘までカバーする手袋、首からデコルテを美しく浮かび上がらせながら、Kをこれでもかと強調して流れていくライン。大胆にわきを露出させた衣装は着る者を選びそうだが、える姉は見事に着こなしていた。そして、どうやってつけているのか謎だが、背中から離れた位置についている純白の翼。
える姉の美しく長い髪が邪魔されることなく下まで流れている。
なるほど、男側が魔王なら女性側は天使ということか。
息をすることさえ忘れそうになる美貌に、完全に視線と意識を奪われた。それは会場の人々も同じようで、水を打ったように静まり返った会場に、える姉は静かに歩を進める。そしてステージ中央で両手を広げて、「おいで」と呼んだ。
そこで、自分も出場者だったことを思い出し、少し早めの歩調でえる姉の元に向かう。
そして、そのままえる姉の広げた腕の中に入りこちらから抱きしめる。
える姉も抱きしめ返してきたので、マントを翻しそのまま抱き上げくるりと回る。その間、える姉から視線を外すことができなかった。
最後にえる姉を着地させ、二人で会場に向かってお辞儀をする。
しばらくの静寂の後、わぁっと会場が沸いた。「がぶせんーー!!!」「かいちょーーー!!!」と応援の声も聞こえる。
会場に手を振りながら二人でステージを後にした。
ステージを降りたところで、生徒会メンバーがやってきた。「会長!楽しんでいるところすみません。実はちょっとトラブルが発生しまして。」そう言ってトラブルの内容を伝えてくる。
急ぎ対処が必要な内容だったので、縫製部の部長に離席するから衣装を返すと伝える。すると「そのまま行っていい。」と言われる。「がぶせんも行く必要があるなら、後で返してくれればいいから。多少汚しても問題ない。」と言われる。その言葉に感謝しつつ、える姉と共に会場を後にするのだった。
無事にトラブルを解決し、衣装も返却し終えた。
しかし、さすがに疲れたのでえる姉と空き教室で休憩中だ。
「楽しかったねー。」
楽しかったけど、さすがに疲れた。
「確かに。でも、それが絶対いい思い出になるはずだよ。りえるこそ、こんな思い出ができるとは予想もしてなかったけど。」
それこそ良かった。える姉と同級生だったらこんな感じだったのかな。
「そうかもね。キミと同級生だったら、今ほど色々悩む必要も無かったのかな。」
それってどういうこと?える姉にそう聞こうとしたタイミングでこちらに向かってくる足音が聞こえる。ここは文化祭会場から離れているし、用がない限り寄り付く人間もいないはずなのだが。
特にやましいことはないのに、なぜかえる姉と一緒に教卓の陰に隠れてしまった。
それとほぼ同じタイミングで空き教室の扉が開く。
「ほら、誰もいないって言っただろ?」
「そうだけど、ねぇここ入っていいの?」
どうやら男女の2人組のようだ。
「誰もいないし、少しの間だけだから。」
そう男が言う。何となく声に聞きおぼえがあり、チラリと覗いてみる。
うちのクラスの奴らじゃないか。しかもMr&Msコンテスト出場予定の二人じゃなかったか。
「でも、コンテストの会長とがぶせん素敵だったよね~。」
見てたのなら、なぜ出場しなかった。
そう思い問いただそうとして動こうとしたが、える姉に引き止められてしまう。
「・・・。(しー)」
静かにしてろということらしい。
「確かに、でもクラスの連中も人が悪いよな。」
「そりゃ仕方ないよ。会長もがぶせんも忙しいもん。ああでもしなきゃ楽しむ暇もなく学校生活終わっちゃうじゃん。」
「それもそうだな。」
二人の会話を聞くに、生徒会メンバー、クラスメイト、縫製部部長あたりが結託して今回の出来事が起きたらしい。
「それに会長はがぶせん一筋って有名だし。いい思い出になったんじゃない?」
・・・聞き捨てならないセリフが聞こえた気がする。恐る恐るえる姉の方を見ると、ニマニマと笑っていた。
恥ずかしくなり顔を背ける。
「あーでもあの衣装着てみたかったな~。」
「がぶせんもよく似合ってたもんな。」
「ふーん、やっぱりあれくらい胸の大きい人が良いんだね。」
「いや、そんなことないって!お前もあの衣装着たら絶対似合ってたって!」
「ふふふ、わかってる。冗談だよ。ね、今回頑張ったんだからご褒美くれない?」
そう言ってなんだか怪しい雰囲気が漂い始めた。
しばらくすると、まぁあれだ。カップル特有のイチャイチャした行動を取り始めた。
える姉を見ると、今度は耳を真っ赤にして顔を伏せていた。案外うぶなのか。
さすがに今更出ていくこともできず、そっとえる姉の耳を塞ぐ。
二人が教室から出て行ったあと。える姉の耳を解放して声をかける。
終わったみたいだよ。そろそろ移動しようか。
「う、うん、そうだね。」
まだ顔が赤い。
そんな恥ずかしいイベントもありつつ、文化祭は無事に終了したのだった。
さらに月日はすぎ、生徒会を引退した後、受験生には避けて通れない進路指導の日がやってきた。
自分の順番が来たので教室に入り、対面にセットされた席に着く。
向かい側には、もちろん担任であるえる姉がいる。
「さて、それじゃあ進路指導を始めようか。」
はい、我部先生よろしくお願いします。
「うん、ちゃんと真面目に受けられてえらいね。」
さすがにこんなタイミングまでいつも通りにはできないよ。
「確かにそうだね。それじゃあさっそく始めようか。進路希望はこの用紙に書いた通り変更はない?」
うん、それで変更はないよ。
「そう、確かにキミの学力ならこのレベルがよさそうだね。でも、本当に大丈夫?それが自分のやりたいことにちゃんと繋がってる?」
今日はいやに聞いてくるね。進路に何か問題があったかな。
「ううん、その進路が本当にキミがしたいことならいいの。」
そう言ってえる姉は席を立った。日が傾き茜色に染まり始めた窓に歩み寄っていく。
「りえるも今にして思えば、そんなに深く考えずに進路を選んでたんだ。ちょうどキミくらいの時にね。でも、すぐにわからなくなったの。本当にこれがりえるのやりたいことだったのかって。それからはずーっと悩んでる。これで本当に良かったの?って。」
文化祭でもチラリともらしていたが、える姉にも悩みや思春期の失敗があるらしい。完璧超人のように思っていた憧れの女性の弱い部分を見て、同じ人間なのだから助けを求めることもあるし、守るべき相手なんだと改めて強く意識することになった。
「だから、キミには後悔しない進路を選んでほしいって思ってる。もちろん将来のことなんてわからないけど、その時の自分の気持ちに正直になれば、少なくとも後悔は小さく済むんじゃないかなって思うよ。」
自分の気持ちに素直に・・・
「そう、だからキミは沢山悩んで、悩んで悩んで悩みぬいて、そのうえで自分の進路を決めるんだよ。それはキミたちに許された特権なんだから。」
そう語る、える姉の瞳はどこか寂しそうだった。
だから、それは違うんだと伝えたかった。
それが学生の特権だって言うなら、社会人にだって特権はあるはずだよ。いつだって人生の選択肢は選べるはずだって、そう思わせてくれたのはえる姉なんだから。
「いつでも人生の選択肢は選べる、か・・・。」
こうして進路相談は幕を閉じた。
あの時、える姉の心には何がよぎったのか。これは未だにわからないでいる。
受験勉強に最大の追い込みをかける時期の12月がきた。
世の中はクリスマスムード一色。そんな中、今日も部屋で必死に勉強していた。そんな時、部屋の入口をノックする音が聞こえる。
誰だろうと思い入口を開けると、そこにはサンタガールなえる姉がいた。
あれ?夢かな?
そう思い扉を閉める。
「おーい、寒いから早く部屋に入れてくれないかなー?」
扉の外からそんな声が聞こえる。再び開けると、やはりサンタガールなえる姉がいた。
「メリークリスマス!プレゼント持ってきたよ。」
そう言って、える姉はスタスタと部屋に入ってくる。
ひとまずサンタガールの恰好は置いておくとして、プレゼントっていう割には手ぶらみたいだけど。
「ふっふっふっ、甘いな。クリスマスケーキに乗った生クリームみたいに甘いなぁ!」
いや全然うまくないからね?
「そんなことはどうでもいいのだー!」
なんかえる姉テンション高くない?
「いい年してサンタガールコスして恥ずかしいとかないからね!全然そんなことないからね!!」
恥ずかしいなら止めてもいいのに。
「もう、そんなこと言わないでよ。せっかくキミのために着てきたんだからさ。」
だからこそ止めてもらっていいんだけど。
「なんでよ!」
刺激が強すぎるんです。勘弁してください。
「もうしょうがないなぁ。」
そう言って一旦着替えに戻るえる姉。
再び戻ってきたときには、暖かそうなもこもこのルームウェアを着ていた。
で、受験の追い込みで死にそうになってる男子高校生の部屋に何用でまいられたのかな?
「だーかーらー、プレゼントを持ってきたんだよ。」
手ぶらなのにプレゼントとはこれいかに?
は、まさかこれが噂に聞く、ワタシガプレz
「える姉の受験対策特別個人授業をしに来てあげたよ。」
はい、そうだと思ってました・・・。
「ん?どうかした?」ニマニマと笑うえる姉。絶対確信犯だこの人。
いいえ、思春期ゆえの悲しい性に凹んでるだけです。
で、受験勉強を見てくれるってことでいいのかな?
「うん、そういうことだよ。」
そしてここから、受験に向けて毎日える姉が指導をしてくれるようになった。
少しだけ時は流れ、お正月。
「あけましておめでとう!」
あけましておめでとうございます。
新年のあいさつをえる姉と交わす。ちなみに両家の両親はさっそく酒盛りを始めている。
酔った勢いで、うちの母親が「そういえばあんた、昔える姉ちゃんと結婚するって言ってたわよね。」なんてことを暴露してくれる。
それを受けてママりえるが、「あら、なら彼の高校卒業と同時に入籍できるように準備しておこうかしら。」なんてことを言い出す始末。大人たちの悪ノリにえる姉と二人して赤面する羽目になった。
お正月も過ぎ、2月に入る。まだまだ受験勉強の真っ只中だが、今日は学校中が浮ついた雰囲気に包まれている。なぜなら今日はバレンタインデーだから。
朝からチョコがもらえないかとそわそわしている男子たち。いつ意中の相手にチョコを渡そうか悩んでいる女子たち。そんな両者の思惑が交錯する学内で、今日もひたすら受験勉強をする。例年通りチョコなんてもらえるはずがないと思い、雑念を振り払うように勉強に集中する。
悔しくなんてないんだからね!
そんな負け惜しみも出ないくらい、受験勉強に執念を燃やしていた。
「元会長、雰囲気が近寄りがたい・・・。今年で最後だから本命チョコ渡すつもりだったのに。」そんなこんなで涙を飲んだ女子も居たとか。
そして下校途中の道で、突然車が横づけをしてきた。何事かと思いそちらを見ると、運転席にえる姉が座っていた。
「そこのキミ!ちょっと乗ってかない?」
あ、ナンパなら間に合ってるんで。
「こらこら、そこはノッてくれないと!2重の意味でね!」
はいはい、おもしろいですね。
「もー、そういうとこは相変わらず冷たいなぁ。ま、いいや。ちょっと乗ってくれる?連れていきたい所があるから。」
そう言われたので、車に乗り込む。
車を運転するとか珍しいね。
「うん、ちょっと行きたいところがあって、パパの車借りてきちゃった。」
ペーパードライバーでしょ?大丈夫なの?
「ふっふっふっ、この近所の峠を軒並み制覇したりえるに死角はない!」
いや、このあたりは平野だから峠なんてないけど。
「もう、今日はやさぐれてるなぁ。」そう言いながら、える姉は車を発進させた。
そりゃ周りが浮ついた雰囲気じゃ勉強にも集中できないものでしょ。
「なるほど、チョコをもらえなくてやさぐれてたのね。」
・・・黙秘します。
える姉にはお見通しだったようだ。
「そこのダッシュボード開けてみて。」
言われたとおりにダッシュボードを開ける。
そこには綺麗にラッピングされた箱らしきものが入っていた。
これって。
「んー、さすがに学校で渡すのはまずいかと思って。ほら、一人だけ特別だとみんなに色々言われるかもしれないでしょ?」
そっか、まさか手作り?
「そうだけど、味の心配してるのかな?」久しぶりに青筋の浮いたえる姉を見た気がする。
いやそうじゃなくて、手作りだったらうれしいなぁと思って。
「そういうことね。ちなみに味についても安心していいよ。ちゃんと確認しながら作ったから。」
える姉それって確認っていうよりつまみ食いじゃなかったの?
「そ、そんなことないかなー」あからさまに視線が泳いでいる。
ま、深くは聞かないでおくよ。で、今から向かってる先はどこなの?
「着いてからのお楽しみ。」そう言われると気になるんだけど。
ま、チョコでも食べて待っててよ。
それからしばらくドライブを楽しんだ。
到着したのは冬の海岸。オフシーズンなだけあり、人はまったくいない。寄せては返す波の音だけが寂しく響いている。
目的地はここでよかったの?
「うん、ちょっと海が見たくなっちゃって。」
そっか。で、なにか話しがあるんでしょ?
「キミもりえるのことわかるようになってきたね。」
まぁ、長年一緒にいるしね。
「うん。ねえ、進路指導の時に話したこと覚えてる?」
もちろん覚えてるよ。高校生の頃進路選びで失敗したって思ってる話しでしょ。
「そう、その話なんだけど、あれからりえるもずっと考えてたの。キミがいつだって人生の選択肢は選べるって言ってたこと。だから、今の仕事を本当に続けてもいいのか改めて考えてた。まだ結論は出てないけど、これについてはもう少し考えてみるつもり。」
そういう言い方をするってことは、まだ悩んでることがあるんでしょ。
「そうだね。でもまだ何も言えないかな。すごく大事な決断だから、これは簡単に決められそうにないね。」
そっか、それで海を見て気分転換したかったってこと?
「それもあるんだけど、何となくキミと遠くに行ってみたかったんだよ。それで気づけることもあるのかなって。」
結果はどうだった?
「うん、何となくわかった気はする。」
それならよかったよ。
「本当にキミってりえるより年下かなぁ。なんだか同い年と話してる気分になるんだけど。」
そう言ってもらえるなら嬉しいかな。そのために頑張ってるとこあるし。
「早く大人になりたいって?」
それは思うけど、それ以上にえる姉に並び立てる男になりたいって思ってるから。
「それならもう十分並び立ってると思うよ。幼馴染としてはすごくたくさん助けてもらってる。もちろん生徒としてもね。」
もっともっと頑張るつもりだから。
「それならりえるも頑張らなきゃ。」
そう言って二人で笑いあう。
寂しい海岸に、暖かな空気が生まれ、そこだけ寒さを忘れたように穏やかな時間が過ぎていた。
さらに時間は過ぎ、今日は3月14日。
そうホワイトデーである。先日、初めて異性から(母親はノーカン)手作りチョコをもらい、そのお返しを考えていたところ、せっかくなら食事を作って振舞おうということになり、我部家にお邪魔して夕食を作っている。
本当ならおしゃれなフレンチなどが作れるといいのだが、いかんせんセンスがないため、簡単にできる中華をメインに作っていく。エビチリ、かに玉、麻婆豆腐、チャーハンなどなど、食べきれないくらいの量を作り食卓に並べる。
残念ながらパパりえるは所用で不在なため、ママりえるとえる姉を含めた3人で食べることになった。
「ねぇりえる、すごくおいしいんだけど、これどうなってるの?」
「りえるに聞かないでよ。わかるわけないじゃない。」
二人でこそこそと話しをしているが、この距離なので内容は筒抜けである。
「これで、この子他の家事もばっちりこなすんでしょ?」
「うん、おかげさまでうちの教室は他のクラスより綺麗でこの間校長から表彰されたくらいよ。」
「ちょっとりえる、本気で婿にとるかお嫁に行かない?」
いやいや、今時の男子ならこれくらいはできて当たり前というか。
「キミそれ本気で言ってる?パパりえるなんてまったく家事出来ないんだよ。勉強もスポーツも完璧って思ってたけど、こんなところまでできちゃうなんて、ほんと競争率やばいはずだわ。」
競争率って?
「キミ学校中の女の子からかなり評判いいんだよ?まぁ一部の噂のせいでまったくモテないわけなんだけど。」
ふーん
「ふーんって、興味ないの?」
いや、まったくゼロかって聞かれたらそうでもないけど。本当にモテたい人にモテなきゃ意味ないっていうか。そういうえる姉だって、モテるはずなのに恋人いないじゃん。この間、2年の男子に告白されてるの知ってるからね。
「げ、なんで知ってるのよ。」
そりゃ、学生のコミュニティなんて狭いから、そんな噂すぐに広まるでしょ。
「あちゃーそっかぁ、学生の情報拡散力舐めてたかも。」
まぁそういうわけでこの話題はお互いさまってことで。
無理やり話題を切る。この先の話はもう少しだけ後にしたいと思ったから。
3月某日
受験は無事合格となり、第1志望に進学が決まった。そして今日は卒業式。
式典では卒業生代表として挨拶をし、クラスの送別会ではみんなと涙ながらに別れを惜しんだ。
そして、校舎を出ようとした瞬間、第2ボタンの狩人と化した女子たちに追いかけまわされ、再び校舎内に避難することになった。
文化祭の時にえる姉と立ち寄った空き教室に入ると、そこにはえる姉がいた。
なんでこんな空き教室にいるんだよ。
「それはこっちのセリフなんだけどー。」
いや、ちょっと追われてて。
「犯罪でもおかしたの?」
そんなわけないじゃん。ボタンを奪われそうになって逃げただけだよ。
「最後までキミは大変だね。」
そういうえる姉はここで何してるの。
「りえるは、ここでキミを待ってたよ。」
え?来るかもわからないどころか、来る可能性も低いのに?
「うん、そうだね。分の悪い賭けに乗ってみたくなっちゃったのかな。でもキミはここにたどり着いた。これって物凄く低い確率が当たったってことで、なんとなく運命的じゃない?」
運命的なんて、えらく詩的なこと言うじゃん。
「キミも本当はわかってるはずだよね。」
・・・。
「キミはいつもそう。りえるが困ってると必ず助けてくれる。ピンチの時には守ってくれる。そんなの素敵に決まってるじゃない。でも私は教師で、キミは生徒。私は社会人で、キミは学生。私は大人で、キミは子ども。こんなに明確な差があって、恋愛対象になるはずがないって思ってた。立場も違いすぎて、関係性が変わればりえるがキミの邪魔になることはわかってた。むしろ、キミの将来を奪うことになるかもしれないって逃げ道を作って、見ないようにしてたの。」
える姉は、いままで耐えていた思いが溢れるように、語り続ける。
「でもキミはそんなりえるの心にどれだけでも踏み込んで寄り添ってくれた。逃げて見ないふりをしても諦めずに傍にいて好意を伝えてくれた。すごくカッコよくて、気づいたら年の差なんて気にならなくなってた。気持ちが溢れちゃって嫉妬したこともあったっけ。」
「だからこれは、りえるの最後の一線だった。分の悪い賭けに出て、もしキミが来なかったら諦めようって、恩師と教え子の関係で居ようって思ってたのに、キミは来ちゃうんだもんなぁ。ずるいよねー。」
「これからりえるの気持ちをキミに伝えます。でもこの話を聞いても、返事はいりません。キミはこれから大学に進み、就職をしてより多くの人を助けるでしょう。きっと私なんかよりももっと素敵な女性と出会えるでしょう。でも、カッコいいキミに負けてしまったから、だから将来の負担になるってわかってて言います。絶対あとに引きずるってわかってて言います。」
深く深呼吸を1回だけして、える姉は告げた。
「キミが好きです。」
それだけの言葉、たった一言の言葉だった。しかしそこに込められた思いに自分の胸が高鳴っているのを感じた。
りえるおねぇちゃん、ありがとう。すごくうれしいよ。
ねぇ、りえるおねぇちゃんは知ってたかな。初恋って叶わないものだって。
「それはよく聞くね。」
うん、でもそれは嘘だってここで証明するよ。りえるおねぇちゃんが初恋の相手だから。初恋をこじらせた男だけど、よければこれからずーっと一緒にいてください。
そう返事を返した途端、える姉は大粒の涙を流して抱きついてきた。
優しく抱き止めたタイミングで、時計塔から鐘の音が大きく響いた。
「うそ、私の卒業の年に壊れたはずの時計塔の鐘が鳴ってる。」
それね、実は生徒の有志でこっそり修理してたみたいなんだ。すごいよね、直したいって執念だけで素人が直してしまうんだから。
「まぁ執念って意味ではキミも大したものだけどね。」
そうだね。初恋をここまで大切に守ってきて良かったって思うよ。
「でも、りえると一緒になって後悔しない?」
きっと後悔はしないと思う。そりゃ時にはケンカしたりすることもあると思うけど、える姉を守るって子どもの頃に誓ったから。その誓いはこれからもずっと守っていくつもりだよ。
「もー、なんでそんなカッコつけたこと言っちゃうかなー。普通にカッコよく聞こえちゃうじゃないのよー。」
そう言って抱きつく力を強くしたえる姉は、そっとその唇を寄せた。
「これから大変だよー?」
なんで?
「りえるは独占欲強いからね?」
確かにそんなこと言ってたね。
「だからよそ見しないで、ずぅーっとりえるだけを見ててね?」
fin
あとがき
やっと書けた。長かった・・・。える姉もう疲れたよ。ボクとっても眠いんだ。
ということで、ここまでお読みいただきありがとうございました。他のづにあの作品と比べても今回は長くなってしまいました。
あとがきも初めて書くので、なんだかんだはじめましての人もいることでしょう。
我部りえる先生をモデルにしたショートのはずなのに、もはやショートじゃないっていうね。
我部りえる先生は、あおぎり高校でも教師という特殊な立場です。実際のあおぎり高校でも元個人勢で、他のメンバーと比べられてしまうことも多い彼女でしたが、づにあの中では、配信では下僕を厳しく調教もとい指導し、いままで培ったノウハウで配信を盛り上げ、時に下僕たちをずぶずぶに甘やかす。といった魔性の女性だと思っています。そこには優劣もなくご主人様の魅力だけがあるんだと下僕の皆さんも気づいているでしょう。
今回のショート(あえてこう呼ぶ)では、先生の好きな人にはM、だけどやっぱりSっ気もあるって部分と、先生の持つ女性らしさ、そしてなんといっても低身長&Kというポテンシャルを全部詰め込んだつもりです。解釈違いって下僕の方もいるかもしれませんが、まぁそこはフィクションってことでひとつご勘弁を。
話しも長くなってしまうので今回はこの辺で。それでは皆さんまた次の作品で~
2022年9月14日 づにあ