massiveはあなたのフライヤーや創作物をお待ちしているのです。
失われた自己を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。
この一文は、岡本太郎著 『今日の芸術』からの引用です。
この本には、芸術の答えが書いてあると思っています。
なぜ芸術は存在するのか、芸術の役割とは一体何なのか。
昨今の世の中は、どうも芸術やアートという言葉の意味が曖昧になっている気がします。
私が思うところ、私の信頼する友人からの言葉を借りて端的に申し上げますと、
・他者が存在する、あるいは他者を意識した作品は ”デザイン" であり、
・自身しか存在しない、あるいは自身のみしか意識しない作品は "芸術" です
詰まるところ、作品を制作する過程で、自分以外の誰かのためにつくりあげた作品は、それは本当の芸術というには程遠いのです。
これは、お金やマーケティングが先行した、いわゆる売れるために打ち出した作品にも通じます。
作者の内なる精神や魂が、叫び、解放され、爆発したものこそが芸術なのです。
その手段として、結果的に、音楽や映画、詩、絵、などの様々なツールを介して、人間は古来から表現をし続けているのです。
自己の解放ためだけに芸術は本来存在しています。
その解放に、人々は自身を重ね、本当の意味で人間は "感動する" ことが出来るのです。
そして、その感動は人々の奥底まで響き渡り、死ぬまで心に残り続けることが出来ます。
私が大事にしている詩を引用します。
『The Arrow and The Song』
I shot an arrow into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For, so swiftly it flew, the sight
Could not follow it in its flight.
I breathed a song into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For who has sight so keen and strong,
That it can follow the flight of song?
Long, long afterward, in an oak
I found the arrow, still unbroke;
And the song, from beginning to end,
I found again in the heart of a friend.
『矢と歌』
私は、空に矢を放った
矢は、私が知ることのない大地に落ちた
飛び去る矢はあまりにも早く
その行方を追うことはできなかった
私は、空に向かって歌を唱った
歌は、私が知ることのない大地に消えた
その歌を追うことができるほど敏感で強力な眼を
持つ人はいなかった
幾多の歳月が流れ去り
一本のオークの木に、折れずにささっている矢を見つけた
そして、私のあの歌が何も変わらずそのまま、
友の心に宿っていたのを知った
この詩は、19世紀アメリカが生んだ最もアメリカ的な詩人である、H・W・ロングフェローの詩です。
そして、彼はアメリカの魂とさえ呼ばれていました。
この詩が意味することは、力一杯行動し、あらん限りの叫び声をあげることです。
オークの木は、アメリカ人が最も強く、そして堅いと信じる木です。
幾多の月日を経て、
知ることのない地のその木に、自身が放った矢が折れずに刺さり続けている。
自身が歌った歌が、知ることのない地の誰かが歌い続けている。
そしてそれは自身の友である。
本当に魂の込もった ”何か” は、どんな形であれ、いつまでも人々の心に残り続け、語り継がれ、朽ちることは決してないのです。
それを人々は芸術と呼びます。
逆に言えば、どんなに見栄えが悪く、それがたとえ綺麗とは思えない作品であっても、そこに介在している精神を確かに感じることができれば、それは芸術と呼ぶことが出来るのです。
今現在、世に蔓延っているデザインの "人気の何か" ではなく、このような "まことの芸術” が溢れる世の中になれば、人々の感性は活性化され、社会は想像力に満ち、新たな "何か" をつくり続ける世の中になるはずです。
きっとそれは、真のクリエイティブな世界を生み出し、日本経済さえ活性化することが出来ます。
それこそが、massiveが掲げているミッションであります。
あなたの魂の込もった創作物と、それを世に披露するための広告物のフライヤーを、massiveはお待ちしています。
どんな形でも構わないのです。
あなた自身のために、それだけのために、massiveをご活用ください。
DUNE Inc. 武川裕喜