ありのまま、共感できないまま、持ってかえろう!
ありのままを見るのはむずかしい。
遠くまできたなぁ。
なんとなく旅をすることに慣れてきたような気がしてきたと同時に、
違和感が絶えず溢れていた。
カメラを向けて、
壮大な風景を切り取って、
いい瞬間だけをねらって、
あれ?そういうことしにきたんだっけ?
これ持って帰っていいんだっけ?
この町の記憶はこれでいいんだっけ?
そもそも、ここに浸ってるのか?
ほんとうは、
自分には遠いものを探しにきたはずなのに、
すでにある「自分で」、理解しようとしているような。
そして、旅がつづくにつれて、
体験は増え、
写真は増え、
嬉しいことではあったけれど、
どこか虚しい。
心がまったくついていってないこと、
感じたはずのことをどんどん忘れてしまっていること、
大きな体験を、自分で小さくしていること、
楽しさよりも違和感が溢れていた。
ありのままを見るのはむずかしい。
共感できないものも、「すでにある自分」で共感しようとしてしまう。
「ありのままを、共感できないまま、持ってかえろう!」
ある日の日記にそんなスローガンを書いた。
そこから、
写真はどんどん引きぎみに。
あちこち行くんだけど、なにもしない日の方が増えていって、
住人や旅人との会話も、感想や日記とは別に、
そのまま残すようになっていった。
今、その場で、理解しないといけないことも、
共感しないといけないことも、
実はそんなになくて、
どんどん後まわし。
「いつか、でいっか。」を添えた理解。
そんな引きぎみの写真や、
そのままの言葉を、
今になって見返しては、
「いつか、でいっか。」の「いつか」が今来たのか!と思ったり、
またまた保留にしたり、ちょっと更新してみたりして、
5年後、10年後・・いや、明日にはまた変わる系のやつだなとか、
「今の自分で」なにかを思うことにしている。
良い旅路です。