オープンな時代に。
食卓やレストランの一枚のプレートに盛られた一切れのパンには、
誰かのものすごい愛や想いが込められているかもしれないし、
事実としてなにもないかもしれない。
食べる人の想像や物語が込められるかもしれない。
作る人と、食べる人、
物語を語るのはどちらか一方ということでもなく
食べる人が、自由に感じて、自由に語るから面白い。
たとえそれが作り手の語ることと異なる語りでももちろん構わない。
だから世界は複雑に広がって、
豊かになっていくのだと思う。
オープンな世界をとても気に入っている一方で、多くを語る必要はそれほどないような気もしている。
美術館やコンサートなどなど、
美しさを求めて、
美しさが演出された場所に行くこととはまた異なるレイヤーで、
日常の中にある一杯のお碗、一枚のプレートにあるであろう物語や美しさや愛情は、
答えや快感を求めというものでもなく、
「迎えにいく」・・ような、そんな心持ちです。
どこかの国や地域で愛でられているものも、
それが今の自分に合わなくても、
そこにはなにかしらの意味や物語、気概のようなものがあるのだろうと想像してみる。
見えないこと、言葉にならないことに無限のドラマとロマンを感じます。