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「なんとかする」オモロさ

あんたはオモロイと正しいって2つの価値観について天秤にかけたことがあるかい?

ここで言うオモロイは「自分がやって楽しいこと」、正しいは「自分がやらなきゃいけないこと」だな。

多くのヒトは「自分がやらなきゃいけないこと」を優先しなきゃならないって感じながら生きていると思う。
俺自身もそうだし。

極稀に「自分がやって楽しいこと」と「自分がやらなきゃいけないこと」を一致させることが出来たヒトもいると思うけれど、それはその2つの価値観の共通点を見つける努力を重ねて手に入れているんだと思うんだよな。

なので、この2つの価値観ってのは大抵のヒトが天秤にかけて、なんとか「自分がやらなきゃいけないこと」の方に自分を振り向けていると思うんだよな。

今回はこの「なんとかして」って部分について考えてみる回だ。

ちっと俺らがこなしている処世術ってやつを言語化しておこうぜ。

「正しさ」は「面白さ」に一生勝てない

この刺激的なタイトルで記事を書いてくれたヒトがいる。

玲さんは精神科にお勤めなんだね。
読ませてもらったことを自分なりに解釈させてもらうとこうなるのかな?

「正しさ」とは既存のルールに従うこと。
「面白さ」とは自己決定に従うこと。

そして、自己決定に従うことは自己肯定につながる。

なるほど、そうかもしらん。

実際、仕事でもなんでも納得してやれたことは満足感があるしね。

「正しさ」と「オモロイ」を両立させる要素

お、でもこれスゲーヒントじゃんか?

最初に俺はこう定義した。

「正しい」=「自分がやらなきゃいけないこと」
「オモロイ」=「自分がやって楽しいこと」

この「正しい」ことってのは玲さんの話で見ると自己決定感ってのを伴えば「オモロイ」に化けるってことなんだよな。

例えばさ。
仕事をしていると、いつまでに何をどれだけやんなさいみたいなやつがあるじゃん。
ノルマってやつだな。

これをね。
まるきり上からの指示の通りにやっているってなると、たしかにつまらんと思う。
工夫の余地がないからね。

ところが、実際の仕事となると、ジャストミートで作業指示が来るケースってのはワリカシ稀だよな。

だからこそ、俺たちは日々なんかやりくりして結果を出せなきゃ評価を落とされ、結果を出せば評価される。
そう言う見方をすれば実にシンプルだ。

このシンプルな仕組みがもしかしたら俺たちの「オモロイ」を発掘させてくれるのかもしれないな。

辛いがオモロイになるってこと

具体的に考えてみる

例えばRPGってゲームジャンルがあるじゃん。
高確率で経験値稼ぎみたいな行為を伴うよな。

それこそゲームによるけれど、ある意味単純作業の連続なわけだ。

普通に考えたら辛い作業だよな。

RPGとはちと違うところで考えてみるとマイクラとかあるじゃんか。

あのブロックで形成された世界で避けて通れない行為と言えば、木の伐採と整地だよな。

こいつも単純作業の連続なんだよな。

で、どちらも多くのヒトが「めんどくせえなぁ」ってぼやきながらニコニコしてやっている感じがするわけだ。

なんでか?

玲さんが言う「自己決定感」を手に入れているからだよな。

レベル30まで鍛えてからボスに挑もう。
こっからここまで整地して街を作ろう。

どっちも自分で決めてやってるもんな。

そう考えてみると自己決定感ってのは結構人生の上で重要な要素ってことなんだな。

周囲のヒトにどうすればいいか

じゃあさ。

自分の行動は自己決定感を持つように意識すればいいとして、どうやったら周囲のヒトに自己決定感を提供できるんだろう?

これも使い古された言葉ではあるけれど「命令」じゃなくて「お願い」をするってことんだろうな。

いつまでにこれしておいてね。

じゃなくて

いつまでにこれなんとかなんないかな?

って言う感じ。

「なんとかなんないかな」

これ結構魔法の言葉かも知らんな。
必然的に自己決定感を生じさせる言葉に見えるもんな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの周りのヒトにどうすれば「オモロイ」を増やすことが出来るんだろうな?

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