俺たちの知らない世界中のオモロイ
あんたも日々洪水のように押し寄せてくる情報に翻弄されているかい?
ネットって存在に初めて触れたのは1990年代前半だったけれど、その頃とは流通している情報量の桁がエグいくらいに違うらしい。
まあ、その情報のどれだけを押さえられているのかって言われると、俺の肌感覚だと0.01%も触れられているとは思えないんだよね。
ネットの黎明期の様に、検索エンジンに手動でサイトを登録しにいってたような時代だったらまだしも、ネットの上に横たわっているビッグデータの実態なんてヒトという生き物が認識できる範囲を遥かに凌駕しているように思うじゃんか。
今回は、自分の無知ってものについて考えてみる回だ。
ちっと、俺たちがどんだけ世の中に触れることができていないのか眺めてみようぜ。
外国のネットニュースを眺める
最近は翻訳機能が充実してきているから、自動翻訳でもニュースサイトの様にきれいな文章なら、ワリカシ文章としての意味は理解できるようになってきている。
なので、俺たちは見ようと思えばアメリカだろうが、ベトナムだろうが、オーストリアだろうが、ドイツだろうが、結構な場所で展開されている生のニュースってのに触れることができる環境を手にいれている。
でもね。
ためしにオーストラリアとかのネットニュース見てみてほしいんだけれど、ビックリするくらい何の事言ってるのか理解できないんだよ。
大前提として起きていたニュースを知らないってのもあるし、そもそも固有名詞がわからない。
考えてみれば、アメリカの大統領はバイデンさんだけれども、俺はフルネームを覚えていない。
アメリカですらそうなんだから、オーストラリアなんてもっと知らない。
一国のトップですらそんな状況なんだから、どんなヒトがどんな政策を訴えながらどんな行動をしているのかって基礎知識がまるでない。
世界のニュースを見に行くとその辺の事を実感できると思うんだよ。
日本の知られなさっぷりを想像する
俺自身が諸外国のことをこれだけさっぱりわかってないんだから、多分諸外国のヒトも日本のことをそんなに知らないって思うのが自然だと思う。
実際ヨーロッパ圏でいろんなものの写真をその国のヒトに見せて日本のものを当てさせるって動画を見たことがあるけれど、ワリカシ当たらないって印象だった。
一部のヒトは分かってくれているけれど、逆に日本以外のものがどこの国のものかってあんたにはわかるかな?
俺はものによってはさっぱりだった。
例えばこの動画の最初に風呂場の質問をしているんだけれども、日本にすんでいるヒトなら一発でこれが日本だよねって思うと思うんだ。
でもそれ以外の風呂場がどこの国かなんて想像もつかない。
そもそも、他の国のヒトがどういう風に風呂に入っているのかなんて全然知らない。
つまり、お互いにお互いを知らないってのがこんだけありますよって話だね。
いや、俺の知らなさっぷりが、この動画に出てくるヒトたちの正当率よりも低かった気がするのは気のせいってことにしといてくれよ。
知りに行くって魅力
実際、知らないってことを知れたなかで、興味深いことってのが見つかったならそいつはラッキーだ。
もっと世の中をエンジョイできる状況を広げていけるかもしれないって可能性を手にいれたようなもんだからね。
幸い、知りにいこうとしたときの手段は、20年前と比べたら比較にならないほど充実している。
さっきも書いた翻訳機能の充実もそうだし、検索エンジンの精度もどんどん上がってきている。
俺の場合は前にも紹介したけれど、こんな取り組みがオモロイなあって思ったりした。
ざっくり言えば、南アフリカの集団農場に投資して、牛一頭を買い付けて、その牛から出た利益が還元されるって仕組みなんだそうだ。
円相場が荒れまくっている状況なので、為替リスクは否めないけれども、こういうことをやっているヒトが世界にいるって知るだけで、ちょっとオモロイじゃんか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはまだ見ぬ世界中のオモロイをどんだけ拾い上げることができるんだろうな?