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収益化と価値:俺たちが発信する意味を探る

あんたには書きたくても書けないなんて経験があるかい?
書きたいという欲求はあるのに書く内容を全く思いつかないあの瞬間だ。
俺にはある。
ってか日常的にある。
なのでおっかないから、下書きを書き溜めるのが日常になっている。

どのくらいおっかながっているかって言うと、これを書いている時点で下書き記事が100を超えている。
冷静に考えて尋常じゃない数だとは思う。

ってか、そんだけ下書きしてたら時期的にくさっちまう記事もあるだろうってあんたは思うだろう。

全く持ってそのとおりだ。
事実腐っちまって表に出せない下書きもヘドが出るほどある。

そんな俺がだ。
そらさんのこの記事を読ませてもらった。

おおう、そうか。
腐ってようがなんであろうが、表現には変わりないってことなのかな?

なら恐れず、下書きの記事も出していくしか無いわな。

今回は自分の表現が「受け入れられない」という現実にぶつかった時の自分の行動について考えてみる回だ。

まあ、気軽な感じで読んでみてくれよ。


何が読まれていないのか

noteの場合ってさ。
ビュー数ってのがあるけれど、あれって「読まれている数」じゃなくて「表示されている数」なんだよな。

タイムラインに乗っかればカウントされる感じの数字。
なので、ビュー数ってのは自分の文章の価値とは程遠い話ってやつになる。

じゃあ、「スキ」はどうなんだろう。
きっと「読んだよ」印以外の何者でもないと思うんだ。
読んだ内容に対して共感したとかそういうのとは違うと思う。

でも、まあ、読んでくれたわけだからそこに価値はあると思うわけよ。

でだ。
ここから俺の自虐的な検証を始めてみるわけだ。

「スキ」を一番もらえてない記事ってどれだ?ってね。
映えあるナンバーワンワースト記事はこれだ。


なんだよ、割と最近のやつじゃんか。
まあ、noteの仕組みに絡む話だし、自分がどうやって収益化するのかみたいな話だから、しゃあないっちゃあしゃあない。

この結果を考えるとね。
収益化のポイントってnoteで実現するのはまあまあ難易度が高い。
っていうかnoteだけでの活動ではnoteでの収益化は難しいってことなんだろうな。

収益化につながるもの

いや、俺としてはね。
収益化をねらった記事をディスる気持ちはまったくないのよ。
なんなら「良いなぁ」とか「真似したいなぁ」くらい思ってはいる。

ただ、それを実践できるのかってなると、ちょっと順番を考えないといけないのかもしれないと思ったりする。

あんたがこの記事を読んでくれているとして、「香坂兼人」なるやつがどう言うやつなのかを知った上で読んでくれているやつは多数派じゃないはずだと思うのよ。

だって、宣伝してねぇもん。

俺はギレンでもレビルでもシャアでもアムロでも、なんならガトーでもない。
※ガンダム縛りで行ったけれど分かんなかったらすまん

要するに「香坂兼人」というブランドは無いんだ。

無いなら、それをこさえることでしか収益化につなげることが出来ないんだけれど、そりゃどうするのが正解なんだ?

本を書くこと?
誰かからの執筆依頼を受けること?

どれも当たりだと思えるし、そうじゃねぇだろって感覚もある。

人気ものになるための方法みたいな、なんつーんだ?小学生か、オマイは!って言いたくなるやつだ。

いや、人気者を目指すことは良いんだよ。
だって、みんなといろんなこと話せる様になるってことだもんよ。

実際、人気ものになるために努力を惜しんでいないヒトはたくさんいる。
そして、俺の知る限りではその努力を続けているヒトは大抵魅力的だ。

魅力的だということ

でね。
俺の身の回りにいる魅力的なヒトってのは結構いる感じがするわけよ。

仕事でエグいくらいの決断をし続けているヒトもそうだし、ダンスで世界を華やかにしているヒトもいるし、デジタルサイネージなんつー先読みをしまくっているヒトもいる。

プロレスを語りまくっているヒトもナポリタンへの愛を語るヒトもいる。

いろんなヒトがいろんな魅力をこさえ続けているんだよな。
例外なく言えるのはその魅力をこさえ続けているヒトは行動をやめてないってことだと思う。

なんかさ。
そういう行動をしているヒトがそばにいる。
それだけで肩のあたりにじわりとしたしびれを感じる。
感動と恐れが混じったようなあの感覚。
あ、尊敬もまじってるな。

俺たちの中にもあるはずなんだよな。そういう感覚を味わってもらえるなにかってのがさ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちの中にある魅力をどう表現していけば良いんだろうな?

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