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文章を書く時に考えてること(3月2日)

見出し画像はホゲータのラクガキ。これだとホゲ〜っとしててまるで何にも考えてないみたいじゃないか。

noteを始めて2週間程度。どうやら俺のnoteを読んだのをきっかけにnoteを始めたフォロワーもいるそうで、嬉しい限りだ。

家から出てないし特に書くことも無いので、今日はnoteを書く時にどういうことに気をつけてるかとかを書き出してみようと思う。参考にできる所があれば、良ければ盗んでいって欲しい。

ちなみにこんな下書きがある。「こんばんは。」まで書いたら深呼吸をし、続きを書くのをやめた。
本当にネタに困ったら使うかも。


俺がnoteを書く時に気を配っていること。大きく分けて3つある。

  • 音読できる文章にすること

  • パッと見で読みやすい記事であること

  • 文体と一人称をある程度統一すること

上からさらっていこう。

①音読できる文章にすること

論文ほど堅苦しく無いとはいえ、noteだって自分の意見を書き連ねるための場所だ。誰かが見ることを想定して公開しているので、文章そのものに間違いが無いか、自分の思っていることを正しく書けているかのチェックは1番大事。書き終わった後に音読(黙読)してみて、何となくでいいから不自然な場所が無いかの確認は欠かさないようにしている。

ちゃんと読み返したら「あれ?ここ矛盾してない?」と思う部分が見つかるかもしれない。もし見つからなくて後から気付いても大丈夫。人間誰でもミスはある。天皇陛下とかエリザベス女王とかに捧げるような文章じゃないんだし、ざっと一瞥して「気になるとこ無いな〜」と思う程度ならOK。

書き終わった、見直しをした、変なとこ無かった、そしたら一旦下書きで保存して別のことをする(ソシャゲの周回とか楽器の練習とか……なんでもいい)。
後でもう1回見直して大丈夫なら今度こそ公開。

俺はいつもそうしてる。これだけ慎重になっても拙い文章になるのはご愛嬌。

②パッと見で読みやすい記事であること

個人的に1番大事だと思っているのはここ。読みやすい記事作りを心がけること。

読みやすい読みにくいというのはどういう事だろう。太宰治の『走れメロス』の冒頭をお借りして、ちょっとやってみよう。

走れメロス 太宰治
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此このシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。

正直、こうやってズラっと並ぶと読みにくくて仕方がない。俺なら途中で「ああああああああああ狂う!狂う!狂ってしまいますわ!!!」づけどんさんは首を引っ掻いて死んでしまいました……。

読みやすい記事を書くために俺は

  • 改行(段落分け)をガンガン使う

  • 読点(、)はガンガンに使う

  • 箇条書きや引用などの機能を使う

  • 主語→動詞の順番を守る

の4つを心がける。

・まず1番大事な項目の中でも1番大事な要素、段落分けだ。先に言った通り論文じゃないので、見やすさ読みやすさを優先で沢山改行してしまって構わない。

平均で3~5行、2,3文で改行してしまうと記事がスッキリする。その分スクロール数は多くなってしまうが、パッと見の第一印象でダルい印象を持たせるよりは幾分と良いと思う。

・次に読点。世に出ている文章を見てみると、意外にも読点はたくさん使われている。読点が用いられる理由はそもそも文章を読みやすくする為なので、沢山使ってしまっても構わない。

もちろん使いすぎは良くないが、ある程度見やすくなる為に多少オーバー気味に使ってしまっても良い気がする。俺の主観だけど。

目安は音読した時に息継ぎする場所……と言ったところだろうか。

・そして3つ目はnoteの機能を使うこと。長めのセリフや文章、ツイート本文をそのまま引用する時には、引用機能を使うと『それっぽく』なるので大変見栄えがよろしい。

  • 箇条書き機能は他の文章よりも内側に寄っているので、ピンポイントで大事な要素を示したい時に有効。

他にも文章内で特定の1文だけ目立たせたい時には太字機能も良いだろう。ちなみに使いすぎるとダサい。

・最後は、文章作りそのものに関わるところ。
日本語は主語-動詞-目的語-が入れ替わっても大抵意味が伝わる便利な言語。それ故に文章全体で順番を統一しておかないと、読みづらい印象を強く受ける(と思う)。

例えばこんな感じ。

最近は若者の活字離れが甚だしいと私は最近強く感じる。私が教師を勤める高等学校では、毎朝のHRの時間に【10分間読書】を設けている。しかしイマイチ自主性に欠けた生徒を私は多く見受けられるように感じてしまう。特に多いのは1限目の授業の課題プリントを机に出している生徒だ。

俺が今、適当に考えた文章なのでツッコミどころが多いのは置いておこう。

主語の場所が滅茶苦茶にとっちらかっているので、かなり読みづらい。「~と私は感じる。」という形は特に繁用しやすく、前までの文章との差をつけるためにわざと変えてしまう人が多い。しかしこれでは、かえって伝えたい部分を隠すようになってしまっていて文章の読みづらさは格段に落ちてしまう(と俺は感じる。まさにこの感じ。)

私は、特に最近の若者の活字離れが甚だしいと感じる。私が教師を勤める高等学校では、毎朝のHRの時間に【10分間読書】を設けている。しかしその様子を見る限り、イマイチ自主性に欠けた生徒が多く見受けられるように感じる。特に、1限目の課題プリントを机に出している生徒が非常に多い。

ちょっとだけ文章をいじってみた。
内容はともかく読み易くなったんじゃないだろうか。

こういう細かい所を少し気にかけるだけで、文章全体が引き締まった印象を受ける。ぜひ試して欲しい。

これらを踏まえた上で、走れメロスをnoteの記事用に少し書き直してみよう。小説としての価値ではなく、記事の見やすさとして参考にお借りしているので悪しからず。


走れメロス 太宰治

メロスは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。

メロスは村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。
メロスには政治がわからぬ。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。


きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此このシラクスの市にやって来た。

シラクサの現在の様子(出典:Wikipedia)

メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近なのである。

それゆえメロスは、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。
先ずその品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。


どうかな、かなり読みやすくなったでしょ。

特に段落分けの大事さが伝わる変わり方だと感じる。この書き方が文法的に本当に正しいかと問われたら俺も自信はないのだが、何よりも読む人の身になって読みやすさを作る方が大事だと思う。後で自分で読み返す時にも頭が疲れないしね。

ちなみに記事の文字数がトータル1000文字を越える場合、文章だけだと疲れちゃうので画像を挟むと脳に優しい。
シラクサがどんな所なのかが画像で分かりやすく示されると、読む人にも伝わりやすいだろう。


③文体と一人称をある程度統一すること

これはそれ程優先すべきでも無いけど、心がけておくといづれ役に立つ要素。文体を統一する癖をつけておくと、note以外の場面で文章を書く時にもミスが起こりにくくなる。

俺は演出面において「~です」「~しました」を使う時がしばしばあるが、基本は「~だ」や「~だよね」、「~でしょ」を使って読者に語りかけるような口調を心がけている。「~である」は少し堅苦しい印象を受けるので繁用しないようにしてたり。

正直、『俺』で文章を書いていると「なーんか文才きどってるというか……なろう小説みたいでイタいなぁ」と思うことが頻繁にあるが、Twitter感覚で日記を楽しんでいる節があるので気にしないことにしている。公開しているとはいえ発表のために書いている文章ではないしね。


こんな感じで「俺文章上手いですよ」感で書いているものの、ここに記している要素の全てを俺自身が完璧にこなせている訳では無い。同じ19歳、もっと上手い文章を書いて、尤もなことをおっしゃる人間は山ほどいると思う。

それでも、あくまでづけどん流だが、読みやすい文章作りの参考になれたら幸いだ。

長々とここまで付き合ってくれた読者さんに感謝。これからも綺麗なnote作りをめざして頑張るぞい。づけお

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