7月19日 人とのお別れは悲しい
また会えるってわかってればいいんですけど、お世話になった先生がいなくなってしまうのが、とても悲しい気持ちにいつもなってしまいます。
高校生の頃部活の顧問をしてくれていた先生が亡くなったと報告を受けて、最初はそっか…って気持ちだったんですけど、思い出していくとだんだんだんだんいろんなことを思い出して、泣いています。
部活動の顧問の先生は3人いて、亡くなられた先生の指導を受けてはいなかったので、どんな人かわからないなというのが印象でした。
高校一年生の年末に、交響曲第9番の演奏に参加する機会があって、学校で練習するときにその先生の指導を受け、指揮棒を近いところで振られていたのですが、そのときの指揮棒が鋭いものだとはじめて認識し、指揮の勢いもすごかったので、「あれが刺さったら大変なことになる」と最悪の事態を考え、以来、先端恐怖症を自称しています。
直接関わることは少なかったので、お互いよく知らない関係でしたが、演奏会のアンコール曲をいつもオシャレなアレンジを加えて伴奏してくれるところとか、夜の部の公演では燕尾服を着て指揮をしてくださったりとか、お揃いの布の衣装では、マントを作って着ていたこととか、絶対的な存在ではなかったけれど、ほんのり面白くて、いてもらえるとバランスが保てるような、私にとってはそんな存在の先生でした。
卒業するとき、毎年部員全員がメッセージを載せる冊子をもらうのですが、その先生の文章が私はとても嬉しくて、『他の先生から聞いた話では、いま一番伸びているそうですね』と書かれていて、受験の実技試験の為にひたすら美術の課題をこなしていたんですけど、それまでが部活がメインでいたので圧倒的に美術と向き合う時間が少なかったのもあるのですが、認められることってすごく嬉しいんだなと実感できた言葉でした。
私が卒業する年に、その先生も離任しました。
毎年、離任する先生方をお招きしてコンサートを開いていたので、その先生もお招きして演奏しました。
お世話になった先生が他の学校に行ってしまうのは悲しいな、と私が思っていたのはそれぐらいだったのですけど、その年の定期演奏会のアンコール曲だった『YUME日和』を歌っていると、この曲は先生が伴奏してくれた曲だな、知名度も低くて、歌う機会もあまりなかったけれど、この先生との思い出の曲だな、とぼろぼろ泣きながらの演奏になって、歌っている部員もみんな涙していましたし、泣いたところを見たことがなかった先生も涙していました。
歌っていく中で、曲に思い出が付け加えられていくのをとても実感した経験で、私たちだけの大切なことが詰まった一曲になったんだなと、まるでミョウバンが結晶になったみたいな、ただの素敵なメロディの一曲が、かけがえのない一曲に変わりました。
卒業してから、何回か見かけたことはあったけれど、元気そうな様子しか記憶になくて、急に亡くなったと聞いても、受けとめられないです。
ゆっくりとこれから先生の死を呑み込んでいくのだと思いますが、こうして先生のことを思い出して忘れないでいることが一番大切じゃないかなと私は思うので、文章に残しました。
先生のおかげで、2013年の3月、私はすごく嬉しい気持ちになりました。ありがとうございました。iTunesでYUME日和を購入したので、この曲を聴いたら、先生のことを思い出しますね。あちらでも、音楽を楽しんでください。それではまた。
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