主婦の力
なんの為に生まれてきたのだろう。
山本有三の「路傍の石」にある「何者かにならずしてなんで生まれてきた甲斐があるだろうか」みたいな文章が中学生だった私の頭に打ち付けられ以降忘れられない。
寂しいと云う感情を今まで感じた事あっただろうか。
今私は寂しいのだろうか?
穏やかに生きたいだけ。
人の価値観でなく自分の頭で歩きたいだけ。
主婦という生活は
自分の思うように時間を使い、人が稼いできた(まぁ、旦那様)お金を使いママ友ランチで笑って、喧嘩して高校生の延長みたいに日々流れていると「主婦生活」を知らない人はお気楽でいいと言う。幸せな人だと思われている。
しかし、主婦は自分の事はいつも1番最後に考える事になる。
家の事
パートナーの事
子どもの事×人数
子どもの学校関係
旦那の親
旦那の親の実家(家族が多いと膨れ上がる親戚、兄弟)
自分の両親
ペットも。
近所付き合い
ざっとこれらの抱える世話や用事、それから自分の予定。
意外にテレビ観る時間はない。座る時間もない。
食事する時に座ってテレビつける程度。
人の世話ばかり。
家族の個人が抱える問題は主婦にどっかり受け渡される。
自分の時間を楽しんだら、呑み会が2回続いたら遊んでばかり、お気楽と言われるこのhausewifeってなんだ?
子どもが高校生以下ならまだわかるよ。
結婚経験のない、家族と同居もなく1人で生きてきた女性は我々に厳しい。
自分の事を自分で面倒見てきたから自分の足で歩いているからくる自信。
でもね。
主婦ほど我慢の毎日、泣きたくても家族の前で泣けない、家それぞれに抱えるものもあり、本当に幸せな主婦はほんの一握りもいないよ。
お金があるように見えるのは、そう見せてるだけ。
経験値が見せてるだけ。そんな事でしか幸せを示せないから。
1人で生きて来た貴女の方がどれだけ気楽で幸せか。
寝る時間は自分の問題。(仕事が終わらなくて深夜、それは解決できる)
起きるのもそう。
食べる時間も食べたい物も決められる。
トイレやお風呂もでしょ?
そして決定的に違うのは、こちらは不意のトラブルに強いこと。
大騒ぎしたり焦ったりしない。どうでもいい事の領域が広いね。
小さな経験の長年の積み重ね。
休みの日に会いたくない親族と集う。
一緒にいたくない相手と旅行になったりもする。
深夜に寝ても朝早い家族を送迎する為に起こされる。
熱っぽくても、生活はかわらない。
風邪ひいたのがさも不摂生したかのように早く元気になる事を望まれる。
そんな日でも、台風が来て電車が止まれば4駅離れた所まで来てコール。
自分達が熱をだしたら?
さも死にそうに大騒ぎ。
静かにして寝かせて。
掃除機かけないで。
テレビがうるさい。
ご飯のメニューはこれがいい。
介護もそう。
僕は忙しいんだから君が。
「大丈夫だよ。何かあったらすぐに電話して」って、電話受けるのも駆けつけるのも私だよね?
それでも家族だから頑張る。ふいに疲れて泣きたくなったらいくらでも泣ける。
でも涙は見せない。
その場限りの慰めの言葉は、ただ「でも貴女の仕事だからやってね」としか聞こえないから。
仕事が辛い?
上司が嫌?
それは能力とコミュニケーションの力の問題でしょ。
勤務時間が終われば会わなくていい。
主婦は年中無休、24時間勤務、定年なし、給与なし。
主婦族にはわかりきったこんなこと。
わざわざ書いてしまうのは、
私 大丈夫かな。
#主婦の生き方
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