日本愛国者の三大基本原則

1969.10.21 青思会約500名は池上本願寺境内に集結、「10.21国際反戦デー斗争に対処する斗争訓練を行なった。

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(かつての民族派右翼と現代の排外主義者)

私は一時は後者の運動に属し、それに誤りを感じて前者の側へ転向した者である。

今は民族派右翼もピンからキリまでで、ネットウヨクと同じような中国人・韓国朝鮮人に対するヘイトスピーチを言うような者もいるが、基本的にはそのような排外主義・差別主義は嫌われる。

私は維新政党・新風の党員であるが、50代60代の古参の先輩方は三島由紀夫先生、野村秋介先生のような人達と共に活動していた民族派右翼の生き字引でもある。

そんな先輩から聞いた「日本愛国者の三大原則」というものがある。

一、勤皇路線

一、国家革新路線

一、大アジア主義路線

はじめの勤皇路線については説明不要だろう。

国家革新路線とは古くは西郷隆盛らの西南戦争などの武力闘争に敗れた士族が起こした自由民権運動で活躍した頭山満の玄洋社に遡る。

玄洋社は「皇室を敬戴すべし」、「本国を愛重すべし」、「人民の権利を固守すべし」と「自由・民権・尊皇」を掲げた。

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また、財閥と政治の癒着、格差社会を疑問視した北一輝、大川周明らの国家社会主義も重要な要素である。

彼らを理論的指導者とした皇道派は武力・テロに走り失敗したが、その皇道派の目指した「国家改造」とは、言論の自由、基本的人権の尊重、農地改革、普通選挙、私有財産への一定の制限(累進課税の強化)、財閥解体、皇室財産削減、労働者の権利確保、男女賃金平等という先進的なものであった。

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また、大正デモクラシー出身の中野正剛はイタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーの影響を受けてファシスト的な「東方会」を組織して新体制運動(大政翼賛会)を推し進めた。

そして、国内では国家革新に努めた頭山満、北一輝、大川周明らは国外では中国やインド、東南アジアの独立運動家と交流し「大アジア主義」を唱えた。

頭山満は支那事変を批判して親交のあった蒋介石と会談しようとした(蒋介石も「頭山の話なら聞こう」というスタンスだった)が勝手なことをするなと止められた。

大川周明は支那事変勃発時、獄中にあり、大東亜戦争についても時期尚早だと日米戦回避のため奔走していた。

中野正剛は大東亜戦争開戦を喝采したが、戦局の不利を悟ると東條内閣に反対し、大政翼賛会を脱会して、「翼賛選挙」(大政翼賛会の会員に有利な推薦が与えられる)に非推薦で出馬し当選した。(非推薦で当選した有名な人物は他に鳩山一郎、笹川良一、赤尾敏らがいる。)

中野正剛は終戦工作に尽力し、逮捕され、切腹して果てた。

このように、本来の民族派とは時に政府に反抗し、国民の権利称揚とアジア、ひいては世界の貧困や差別を問題視していたのである。

私もまたこの矜恃をもって国家社会の革新へ努めていきたい。


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