墨夷撃滅の思想〜攘夷と興亜
墨夷とはメキシコ=墨西哥のことではない、アメリカ=亜米利加=米国は当初は亜墨利加とも書いた。
この墨夷に並々ならぬ敵意を示したのが水戸藩主の徳川斉昭公であった。水戸藩は徳川光圀公以来、国学を重んじ、取り分け神国思想の強い国柄であった。この徳川斉昭公が腹心でもある国学者、藤田東湖先生に宛てた文書が発見された。
水戸藩主・徳川斉昭がペリー殺害を計画…攘夷など示す書簡16点、倉敷で発見
2022/12/21 08:05 読売新聞
岡山県倉敷市の旧家で、幕末に 攘夷を主導した水戸藩主・徳川 斉昭の未発見の書簡16点が見つかった。腹心の藩士で、水戸学の思想家・藤田東湖とやり取りしたもので、来航したペリーら米国の使節団の殺害方法などを詳細に相談する内容。専門家は「斉昭の実像を深く知るための貴重な史料」としている。
書簡が見つかった江戸末期から塩田開発で栄えた旧野崎家住宅には、約10万点の史料が保管されている。今回はその中から、書簡16点のほか、約90点の史料が見つかり、2014年から岡山県立博物館が調査してきた。旧野崎家住宅を管理する公益財団法人・竜王会館が20日、発表した。
斉昭は最後の将軍・ 慶喜の父で、「尊王攘夷」を唱える改革派を重用。藩校「弘道館」を開設するなどして藩政改革に取り組んだ。
見つかった書簡は、斉昭が幕府の海防参与の職にあった1853~55年頃に書かれたとみられる。
「 夷人焼殺ノ件」と朱書きされ、黒船で江戸の手前まで乗り付けたペリーら米の使節を「墨夷」と呼び、抹殺する案を詳細に書き付けている。
書簡で斉昭は「仕掛けをした屋敷に入れてしまえば一度に焼き殺せるのではないか」「江戸城内の大広間で上官らに酒をたっぷりと飲ませて頭をはね(中略)品川の辺りに待機したものには 狼煙のろし を上げて知らせる。船中に残ったものも残さず切り捨てられる」といった計画を記している。
調査した県立博物館の横山定副館長は「腹心の東湖に率直な意見を述べており、一貫した攘夷思想を唱えた斉昭らしさが、うかがえる印象的な書簡で、貴重な発見だろう」と話している。
約90点の史料の中には大久保利通、木戸孝允、岩倉具視ら幕末に活躍した人物の書簡もあり、岩倉に対し、大久保が朝議で取り上げる議題を事前に伝えるものや、木戸が手紙などへの礼を述べる内容が含まれている。
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仮に実行、成功し日米開戦となったところで太平洋を超えて攻めきれる訳でもなく、李氏朝鮮が丙寅洋擾、ジェネラル・シャーマン号事件、辛未洋擾で仏米を撃退したように斥けることは出来ただろう。
余談だが、北韓では金日成の曽祖父で農夫の金膺禹がジェネラル・シャーマン号を焼き討ちにしたとプロパガンダ教育されている。
実際、後の下関事件、薩英戦争は敵の損害の方が大きかったのである。
江戸を戦場にする覚悟があれば、アメリカに遅れを取ることはなかった。
老中阿部正弘は、元の使者を切り捨て、元・高麗軍を頑として跳ね除けた北条時宗にはなれなかったのである。
清朝のアヘン戦争だって、北京を焦土とする覚悟で西安に遷都し徹底抗戦すれば英国が音を上げた可能性はあった。
林則徐はとことん戦う覚悟だったが、北京の朝廷がヘタれた為に屈辱的な講和を迫られたのである。
日本と清朝の攘夷は言わば、失敗し開国した訳だが、一方で攘夷に成功した朝鮮は自信をつけて全ての近代化を拒み続け、時代に遅れ続けた。
結果的にロシア帝国の圧力を前にどうしようもなくなり、最後は日本に国運を委ねる『日韓併合』へ至ることになる。
日本は、欧米の科学を取り入れて国力をつけてから欧米と渡り合う『大攘夷』の戦略を採った。
日清戦争、日露戦争、そして大東亜戦争は『大攘夷』の帰結であり、今は米夷の占領下に置かれ、更に中共という新たな夷狄に晒されている。
未だ攘夷戦争は成らず、我々は抜刀の機会を常に伺い臥薪嘗胆しているのである。
韓国問題についての投稿で、リツイートを集める所謂『バズる』ということを体験した。
これは、韓国の領土である北韓に対し攻撃をするには韓国の許可が必要だとする、いつもの『反日妄言』に対する苦言であった。
北朝鮮は憲法上「韓国領土」 日本が反撃するには承認必要=韓国軍
2022.12.16 19:07 聯合ニュース
【ソウル聯合ニュース】韓国軍は16日、日本が敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を明記した国家安全保障戦略など安全保障関連3文書を閣議決定したことに関連して、日本が有事の際に北朝鮮を攻撃する場合は韓国の承認が必要との立場を示した。北朝鮮は韓国の領土を「朝鮮半島とその付属島しょ」と明記した憲法第3条に基づき、韓国の領土となっている。このため、韓国の承認を得ず北朝鮮を攻撃することはできないという。
3文書に基づけば在韓米軍が北朝鮮の攻撃を受ける場合も日本は同盟国が攻撃される際に対応するという「集団的自衛権」を適用し、北朝鮮を攻撃する可能性もある。
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『バズった』ら宣伝する流儀があるので、即座に維新政党・新風と神州正氣の会、新民族主義青年同盟の宣伝を行った。
しかしながら、本音を言えば韓国問題でバズっても余り嬉しくない。というのは、これは表層的な問題で、本質的にはアメリカ問題だからである。
韓国の反日には勿論、反撃しなくてはいけない。
しかし、元からの小中華思想的価値観からの反日思想はあるにしても、本格的に仕向けたのはアメリカであり、分断政策は白人の得意技であるからだ。
日本、韓国、台湾という『大日本帝国』圏が一致団結することをアメリカは恐れている。
その為に打ち込んだ楔が、韓国の李承晩、朴正煕(親日派と誤解されるが国内では反日教育をしていた。)であり、台湾の蒋介石、中国国民党である。
韓国との間には竹島問題や歴史認識の問題があり、譲れない部分はある。しかしながら韓国は『小敵』であり、過度な『嫌韓』攻勢は北韓や中共という『大敵』を利し、アメリカという『巨敵』を利することになるのである。
そして、韓国や中国の反日を超克してアジア共栄の興亜の道を図らねばならない。単なる『嫌韓』派は維新志士の道に反するのである。
今、岸田政権は国防の為と称して増税路線を提唱している。
ロシアや中共、北韓の脅威を前にしては国防充実は喫緊の課題である。しかし、『富国強兵』という言葉があるように国家国民が豊かでなければ強い軍隊は養えないのである。
コロナ禍の中で生活が疲弊する国民に更に追い討ちをかけて増税を加え、困窮した国民が侵略者を前に抵抗する力を振るうことができるだろうか。
日清戦争、日露戦争の際には政治家や官僚の給与を一割削減し、明治天皇御自ら宮廷費を倹約して軍艦を建造し、国民と負担を分かち合うことで侵略を跳ね返したのである。
孫子曰く『戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。』
要約して『戦わずして勝つ』とも言う。
戦争は下策であり、孫子の兵法はまず外交や策略で勝つことに重きを置き、もし戦っても犠牲の少ない勝ち方を説いている。
その為には『人の和』が重大で、為政者と民、将と兵の信頼の大切さを述べている。
大国に臣従しても、いつも救われるとは限らないことは歴史が証明している。
米夷に追随しても中共、北韓から守られる保障はどこにもないのである。
頼りになるのは自国の力だが、孫子はまず『不敗』の姿勢を作ることを述べている。
米夷の威を借りることが前提で、独力の作戦遂行能力には欠ける。
加えて『人の和』は無いに等しい。
ただでさえ国民が政府を不信しているのに、上が身を切ることもなく、増税ありきの国防を叫ぶ。
『人の和』は乱れ、『不敗』の姿勢なく、米夷に臣従し、徒に対中強硬を叫ぶは亡国の道である。
未だ『大攘夷』は達成されていない。米夷、露狄、西戎たる中共、北韓を討ち果たし、祖国独立を確固たるものとしなくてはならない。
そして、攘夷、維新の先にあるのは興亜であり、韓国を目覚めさせ、中共に抑圧される諸民族を解放する歴史的使命に挺身しなくてはならないのである。
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