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言葉にし尽せないART歌舞伎の魅力を一生懸命語ってみる、新たなアートの在り方として確立してほしいから。


なんだ、これは。「想像以上」「期待以上」という言葉で片付けるだけでは済まない。今年は、コロナ禍のために図らずも映像コンテンツが充実したが、その多くが試行錯誤の途上にあった中で、ライブアートを映像として観て、これほどの興奮を覚えるとは全く考えていなかった。いろんな人たちに観てもらいたい、そして同じ感動を共有してもらいたい。これがART歌舞伎を観終わった後の率直な、そして雑ぱくな感想だった。
 「雑ぱくな」というのは、その魅力が画面を通しても漏れなく伝わるよう、様々な緻密な計算が張り巡らされていることがよく分かるのに、それを言葉で表現し尽せないから。「ART歌舞伎は、ここが良い」と美点を一言で紹介しきれないのがもどかしいほどに。

<まず、音楽。>

 ぼくは、歌舞伎や文楽を観ることが多いので、長唄や義太夫、清元や常磐津の音色、黒御簾音楽としてのお囃子には多少耳が親しんでいるものの、和楽器全般に慣れているわけではない。ART歌舞伎には、普段耳にしているわけではない津軽三味線、薩摩琵琶、二十五絃の筝、和太鼓、笛などが多く用いられているのだが、中村壱太郎さんの若い感覚で取り入れられたからだろうか、現代の感覚で聴いてもとても新鮮に響く音色やフレーズで舞台の世界観にすんなり誘われることができた。そして、ただ「親しみやすい」だけでは済まない、グルーヴ感に近い躍動感とそれに伴う興奮、洗練された物語性とそこから生まれる感動。特に、二幕目の「五穀豊穣」で使われた「神狗」という曲、浅野祥さんの津軽三味線は素晴らしかった。高い技術に裏打ちされた、聴く者の琴線をこれでもかというほど撫で回すような魅力。

<次に、カメラワークと舞台。>

 夜の屋外の能舞台を使うという発想だけで、憎い。漆黒の闇の中に照らされた松羽目が浮かび上がるだけで、その神秘的な雰囲気に圧倒される。そして、その雰囲気を遺憾なく伝える撮影技術。能舞台におけるパフォーマンスを撮り慣れているカメラマンさんなんてほとんどいないだろうに、テンポの良い展開を着実に追い、かつ、その瞬間瞬間を最も魅力的に捉える角度を逃さない職人芸。ライブアートを映像を通して観ているのに、欲求不満に陥ることがなかったのは、正に撮影チームのおかげだったのだろう。


<そして、外せないのが照明。>

 夜の舞台における素晴らしい撮影が映えたのも、優れた照明によるところが大きいか。古典芸能の枠を超えた、斬新で、かつ、観る者の心を射抜くような光の数々。さりげなく観るべき点をガイドしてくれるそつのなさと、具体的な情報の限られた舞台の風景や状況、場合によっては色までも的確に示す細やかさ、そして、舞台においてはともすれば裏方に徹することにもなり得る演奏者を見せる格好良さ。これらを一度に実現する照明なんてそうそうないのでは。照明は、生で観られたらもっと魅了されたかもしれない。

<まだまだ魅力いっぱい。>

 衣装もお化粧も見事だったし、構成も非常に的を射ていた。特に、冒頭、4人の演者と4人の演奏家がペアを組んで順に芸を披露していくという演出はなかなか憎い。言うなれば、ART歌舞伎流の「顔見世」か。自粛期間でエネルギーを有り余らせた若い芸術家たちが、今日ここでこそ溜め込んだ力を散らすのだという覚悟を、公演の冒頭で痛いほど感じることができた。また、演者が無声で踊り続ける中、津軽三味線の浅野祥さんの民謡の伸びやかな声と、薩摩琵琶の友吉鶴心さんの趣のある語りも、とても効果的に働いたと思う。

<2020年夏だからこその、ART歌舞伎の意義とは。>

 なにより、新型コロナウイルス感染症の拡大という未曽有の逆境をいわば逆手に取り、これまで誰もやらなかったこんなに素晴らしいパフォーマンスを実現した関係者の心意気に惜しみない賛辞を贈りたい。ART歌舞伎は、ライブアートを楽しめる状況になかなかならないので、仕方なく、二義的に、というような代物では全くなかった。正にアートの新しい在り方を提示し、芸能の世界にある種のパラダイムシフトを巻き起こす存在なのではないか。特に、これまでなんとなく日本の芸能に触れる機会のなかった人たち(外国人を含む。)への訴求力は、潜在的にすごく強いのではないだろうか。まだ存在自体を知らない人たちも少なくないだろうが、是非いろんな人たちに観てもらいたい。そのためにも、再配信なり、ブルーレイ・DVDの発売等を心から期待したい。あと、演奏された音楽を心から愛した一聴衆としては、サントラの発売も。そして、ART歌舞伎第2作も今から楽しみだ。

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