私が看護師になるまでの話

こんにちは

20代看護師のarisaと申します

私は小学生のころからバレーボールをやっていて高校もバレーボールの強豪校へ進学を決めました。それはそれはバレー漬けの毎日。

でも、追試ばかり受けているようじゃ部活に参加できないし、それが嫌でそれなりに勉強はしていたように思います。けれど昔からそうだったのですが、なかなか自分の夢がわからずにいました。

卒業文集なんかでも将来の夢の欄は、何を書いたらいいかわからなくて親の職業に近しいものを書いていました。

高校3年生、部活もそろそろ引退を迎える大会が近づくとともに、進学先をそろそろ決めなければいけないときが迫ってきました

私はなんとなーくぽやーんとしか考えていませんでした。みんなと同じようにセンター試験を受けるのかな~くらいにしか考えていなかったです。ただ、小中高と私は尊敬できる学校の先生に出会ってきていて、自分がバレーボールを通して成長できたと実感できたので、何となく学校の先生になろうかな?と考えていました。

でも、私は市内の高等看護学校に進学することになります。

これには家庭の事情がありました。

高校生のとき、自己破産寸前まで追い込まれる事態が家庭内で起きていました。学校では普通の生活を送りながらも、家庭は崩壊

父に大学に通わせることはできない

と言われました。入ってしまえば奨学金があるし今ではクラファンなんかもありますが、当時は入学金を用意することもできなかったのだと思います。どうしたらいいかと思っていたころ、担任の先生に「今の学力維持できるなら看護学校の推薦枠とれるぞ」と背中を押されました。

運よく全国でも1,2を争うほどに学費が安い看護学校(3年間の学費56万円!!)が市内にあったので、「私はここに進学する、でも自分のやりたいことをあなたのせいで我慢をしている。だから変わってもらわないと困る」と泣きながら両親と話したことを覚えています。

そして、推薦の試験で無事に合格し、看護学校へ進学することになりました。でも、その当時のわたしは決められた道を走らされている感で完全にやる気を失っていました。

なので、看護師になりたい!と思うことが一瞬もなく看護学校へ入学することになりました。

ちなみにナースのお仕事は大好きでしたよ。笑

看護師になる人って、看護師になりたいっていう純粋な思いばかりじゃないと思います。でも、みんな責任感をもって仕事をしているのであしからず。

小さなころから夢がなかったと先述しましたが、単純に職業の種類を知らなかったというのが大きかったと思います。あとは、姉がやりたい!ほしい!を言える人であったのと対称に私は言えなかった性格だったので、実現する力がなかったのだと思います。なので、今の学生さんたちにはたくさんの職業を知る機会をたくさん与えてほしいし、興味のあることの先にある職業のヒントを教えてあげてほしいし、思いを口にすることができる環境であってほしいと思いますね。でも、私は自分の人生に後悔しているわけではありません!!

看護学校での話はまた次回にします。


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