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重版記念、まえがき公開!~『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』

韓国在住のひとりの主婦によるエッセイであり、資本主義と家事の関係をめぐる15冊の読書ガイドでもある『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら 15冊から読み解く家事労働と資本主義の過去・現在・未来』(チョン・アウン著、生田美保訳)が、ご好評をいただき、重版いたしました!


そこで、重版を記念し、特別にプロローグ(まえがき)を公開いたします。

SNSでは連日のように、ワーママ(ワーキングマザー) VS 専業主婦、保育園ママ VS 幼稚園ママ、などさまざまな二項対立が生まれていますが、そんな女性たちだけではなく、男性を含む、今の時代を生きるすべての人に読んでいただきたい1冊です。


プロローグ
物事の核心にはお金の問題が潜んでいる!


『母親の読書』(未邦訳)という本を出したあと、母親たちを対象とした3本立ての講義を準備した。1時間目は母親の哀歓を、2時間目は父親の哀歓を扱い、3時間目は親たちが抱える苦労がどこから来るのかを〝資本主義〟という体制に問うことで、前の2時間の講義を総合する内容だった。最初は、1時間目のテーマが最も反応がよく、後ろにいくほど人気が落ちると予想した。後半になるほど「母親」と呼ばれる人たちとの直接的な関連が
薄くなり、専門用語が飛び出してくるので。

 予想に反して、「母親たち」は1時間目より2時間目の講義を、2時間目より3時間目の講義を喜んだ。「自分」の哀歓よりも「夫」の哀歓をのぞき込むほうを好み、「母親」という立場の苦悩をピックアップして共感するよりも、その立場がもたらす困難の根本的な理由を暴く作業により興味をもった。
 受講者を募集する過程では3番目の講義が最も人気がなかった。主催者側は〝資本主義〟という言葉が入っているせいだと言って、内容を変えるようそれとなく求めた。私は原案のままいくことを譲らなかった。それは、その講義に私が究極的に話したいことが入っていたためだ。母親たちがどれだけつらい思いをしているかを討論して共感するのもよいが、それよりも、この問題が根本的にどこから来ているのか、現実的な観点から見せていきたかった。私たちの問題が「お金」という真っ黒い存在とつながったものであることを鮮明にしたかった。
 私の問題意識はただひとつだった。
 母親たちはなぜ、一日中家事をしていても「家で遊んでいる」と言われるのか。
 その疑問に対する答えを見つけるには、感情を吐露したり言葉でなぐさめるより、もっと深く踏み込んだなにかが必要だった。
 お金の話をしなくては!
 物事の核心にはお金の問題が潜んでいる!
 私はそのことを考え続けた。

 3番目の「ジェンダーの視点で見た資本主義」をはじめて扱ったとき、講義が始まってすぐに受講者たちの目が輝きだし、顔の筋肉がピクピクしだすのが見えた。その反応に背中を押され、アダム・スミスだのマルクスだのといった学者たちの名前を挙げながら、準備してきた内容を最後まで進めていった。講壇に立つと聴衆の集中具合やノリがつぶさにわかるので、肯定的な些細な反応にも勇気100倍となり、予定していたよりも多くの中身を披露することになる。私ははじめて試した〝資本主義〟の講義でこんな経験をしたので、それ以降、単発の講義依頼が来ると、このテーマを強く推した。内容が難解ではないかと心配されれば、自信たっぷりに言ってやった。「この講義を聞いた方たち、みんないい反応でした。タイトルだけ聞くと難しそうですが、実際にはそんなことないです」。

「主婦」と呼ばれる人たちは、家でさまざまな労働をこなしているのに、思いがけずも「家で遊んでいる」という言葉の攻撃を受ける。普段空気中をただよっているこの言葉は、ある瞬間に、予想もしない場所で主婦たちの皮膚をやぶって突き刺さってくる。体内に入り込んだ言葉の効果は、ひっそりと、いつまでも続く。言われた側は、鼓膜を通って体内に入ってきた一言が自分に与えた影響に気づかないまま日常を営む。しかし、その言葉がも
つ毒は体内に少しずつたまり、近い将来、あるいは遠い将来にいろいろなかたちで影響力を行使する。
 やることをやっているのに「遊んでいる」と言われる女たちは、つねに自分の行為を否定される。皿を洗ったのに遊んでいると言われ、料理をしたのに遊んでいると言われ続けると、徐々に自分のしたことを過小評価するようになり、しまいには、自分を卑下するようになる。
 このへんで、「そんなこと言われたからってなんだ」と思う人もいるだろう。他人から遊んでいると言われようが、自分さえそう思っていなければいいのではないか。他人の言葉に一喜一憂していたら生きていけない、と。でも、「言葉」というものは重要で、いったん他人の口から発射されて、聴力の届く範囲に入ってきた言葉は、消えずに残る。言葉というものは本来、私たちがする行動の「名札」としてのはたらきをするから。
 しかし、「言葉」そのものを追いかけることだけでは、その言葉の影響力を消去することはできない。言葉はただの「言葉」に過ぎないので。だから、「言葉」の起源を探ることは、その言葉が出てこざるをえなかった社会の作動方式に対する探究につながる。主婦たちに「家で遊んでいる」と言った人たちをとがめ、矯正しようとする段階を超えて、発話者にその言葉を言わせることになった社会的・文化的背景を掘り下げていくことになる。現象に過ぎない一言よりも、その言葉を量産した本体を見つけ出さなくてはならない。家で遊んでいるという言葉の起源をたどる旅路に「母親」と呼ばれる人たちが目を輝かせてついてきたのは、こうした理由からだろう。

 こうした私の試みが響いた人の中には、「父親」と呼ばれる人たちもかなりいた。『母親の読書』を読んではじめて妻のことが理解できたという感謝の手紙を送ってきた「夫」もいれば、「ジェンダーの視点で見た資本主義」の講義を聞いて、普段感じていた疑問が解けたという「父親」もいた。敵対的な反応を見せるだろうと思っていた人たちの好意的な反応に少し驚いた。最初は「それでも覚醒した男の人たちがいるんだな」と思っただけだったが、似たような事例が重なり、問題は「男性」ではなく「私」にあったのだと思った。
 要するに、世の中には、つらいとこぼす母親たちに敵対心を見せる「男性たち」はいなかったのだ。私が考えていた均質・単一のグループ―女性の苦労を語れば目を血走らせて乗り込んでくる、敵対的な単一の種族―は存在しなかった。私が想像して、勝手に敵対視していた人たちは、ひとりひとり個別の姿で現れ、私に共感し、感謝を伝えてきた。
 驚いたし、嬉しかったし、ありがたい経験だった。この経験によって私は、それまでもっていた偏狭なジェンダー意識の限界を打ち破って出てくることができた。

 また、こんな興味深い反応もあった。ある討論会で「ジェンダーの視点で見た資本主義」の講義と同じ内容を発表したとき、反感を示した女性がいた。それは専門職に従事する40代半ばの非婚女性で、彼女は専業主婦を「他人の慈悲に依存した者」と表現し、自分はこれから結婚したとしても絶対にそんな風には生きないと言った。その場にいた「専業主婦」のうちのひとりがこれに激怒し、座は荒れ模様になった。幸い、年配の方が仲裁に入って
騒動は幕を閉じたが、その女性の発言は、私の意識にどっかりと根を下ろした。他人の慈悲に依存した者だなんて……。同じ女性の口から出てきた言葉ゆえに、より痛烈で、より深刻に聞こえた。私はしばらくのあいだ、その言葉を反芻した。どうしてあんな言葉が出てきたんだろう。あの言葉はどんなルートを経て彼女の口から出てきたのか。結婚も出産もせず、社会の一組織に確実に自分の居場所を築いている非婚女性の声帯を通って出てきた一言に、私はいろいろと考えさせられた。

 このように専業主婦をさげすむ言葉が遠慮なく飛び交って力を発揮する大地には、「父親」と呼ばれる人たちと、「結婚と出産と育児という典型的な道を歩まない非婚女性」という存在が立っており、かれらと出会ったことで私は、それまでの道をそれて、別の道に足を踏み入れることになった。その先で出会った世界は、より広く、より多彩な場所だった。そして、その世界で私は知った。家で家事を担当する人たちを見下す社会現象に問題意識をもつことは、母親たちだけでなく、父親たち、母親でない主婦たち、母親でも主婦でもない非婚女性たちにとっても必要なことだと。
 これは女性問題に対する視点の転換へとつながった。女性問題とはすなわち男性問題であり、両者はイコールであるという考え。「男性」というのは、均質的な仮想の敵軍ではなく、現実の中にいる私の息子であり、私の夫であり、私の父であり兄なのだという考えにたどり着いたのだ。

 このように考え方が変化した過程をつまびらかにし、分類し、整理したのがこの本だ。変化の過程をお見せするするために、最初に抱いていた非常に単純で偏狭な考えも正直に書いた。旅路の途中で突然ぬっと現われ、それまでとは別の方向に目を向けるきっかけをくれた人たちに感謝する。人生において重要な局面はいつも偶然に、不意に訪れるという大事なことを教えていただいた。

チョン・アウン


《書誌情報》
『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら 15冊から読み解く家事労働と資本主義の過去・現在・未来』
チョン・アウン=著 生田美保=訳
ISBN: 978-4-86647-189-1
四六・並製・256頁 本体2,200円+税

目次

第1章 主婦たちの暮らす離れ島 「家で遊んでるんだって?」


主婦たちの住む世界はどうしてこうも違うのか
ソースタイン・ヴェブレン『有閑階級の理論』

もう一度あの頃に戻るとしたら、やっぱり会社を辞めるだろうか
レスリー・ベネッツ『女にとって仕事とはなにか』

私はどうして料理が嫌いになったのだろう  
ラ・ムンスク『専業主婦ですが』

第2章 問題の核心は”カネ"


私が生きている世界はどんなところか
カール・マルクス『資本論』

私はなぜに会社を懐かしがるのか
ゲオルク・ジンメル『貨幣の哲学』

どうして私はニュースに出てこないのか
カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』

3人の子どもを育てあげた専業主婦はなぜ年金をもらえないのか
ナンシー・フォルバー『見えざる胸』

第3章 資本主義社会で女性として生きるということ


誰が、なぜ、女性に火をつけたのか
シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女』

誰が、誰に、依存しているのか
マリア・ミース『国際分業と女性―進行する主婦化』

共存のためになにをすべきか
パク・カブン『フォビアフェミニズム』

内側の見えない自分をどうのぞき込むか
ロイ・バウマイスター『消耗する男』

第4章 境界線を越えたところの世界


なぜ、家事労働に賃金が必要なのか
シルヴィア・フェデリーチ『革命のポイントゼロ』

尼僧が『父親授業』という本を出したらどんな反応がくるか
法輪『母親授業』

非婚女性と既婚女性は連帯できるか
キム・ハナ、ファン・ソヌ『女ふたり、暮らしています。』

主婦はなぜ家族のことしか考えないのか
ソ・ヨンナム『たんぽぽ麺屋』


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