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4刷重版記念!『作編曲家 大村雅朗の軌跡』の制作秘話! 音楽ノンフィクションができるまで。
なかなかスポットがあてられることのなかった編曲家に焦点を絞り、ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、エンジニア等の証言から、名曲誕生の裏にある編曲家の功績を1冊にまとめた『ニッポンの編曲家』(2016年3月刊行)。そして、その好評をうけ、作曲・編曲を手がけた松田聖子「SWEET MEMORIES」などで知られる大村雅朗についての評伝本『作編曲家 大村雅朗の軌跡』を2017年7月に刊行しました。現在、4刷を数える音楽本の傑作がどのように誕生したのか、編著者の田渕さんに重版を記念して、寄稿してもらいました。
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『大村雅朗の軌跡1951-1997』刊行前と刊行後のお話
文:田渕浩久
これを書いているのは2021年の年末なのだが、思い返せば5年前の2016年の今ごろは、年明けに予定を組んだ福岡出張の準備と、そのあとから始めたかった親交のあった方々および関係者へのインタビュー日程の調整に追われていた。
大村さんのご実家には大村さんの実兄・芳正さんがご夫婦でお住まいで、その年の3月に刊行した『ニッポンの編曲家』のときに大村さん自筆のアレンジスコア提供などでご協力いただいた関係がすでにあったので、直接電話をかけて「福岡に伺うのでお話を聞かせてください」とお願いしてあった。
そしてもうひとつ、大村さんの母校であり、ネム音楽院卒業後に音楽指導者として関わった福岡大学附属大濠高等学校にも連絡を取って、当時を知る人がいないか当たっていた。ネットに書かれていたのがまさかの部室の固定電話で、部員と思しき女の子から顧問、顧問から職員室に電話が転送され(笑)、心当たりのある人はいるがすでに定年退職しているからと後日連絡がくる手はずになっていた。それで後日紹介されたのが、本書内で取材させていただいた大村さんの後輩3名というわけである。
ネム音楽院の当時の資料については、大村さんの死後、芳正さんと親交を持っていた、ネム1期生で大村さんと同じアルトサックスを専門楽器としていた大泉徹さんを紹介いただいた。北海道にお住まいの大泉さん、「来月コンサートで東京に行くので資料を持って伺いましょうか」と言ってくださり、都内の会社の会議室で当時の写真やネムのカリキュラム冊子とともに当時の様子などを聞くことができた(コロナ禍の今、こういうことが簡単にできなくなったんだよなぁ)。
そして、ヤマハ原盤楽曲にディレクターとして多く携わった、同じくネム1期生で財団ヤマハ九州支部出身の隅憲治さんともつながって、それぞれの証言をパズルのように並べ替えることで謎の多かった上京までの詳細を紐解いていったのが第1章で書いた原稿というわけである。
ここでちょっとこぼれ話。福岡に出向いた梶田さんと私は、福岡出張の初日のうちに予定していたすべての取材を消化し、2日目はゆっくりうまいもんでも食って夕方帰るつもりだった(初日にラーメンは食べたのだが)。しかし2日目の午前、芳正さんの奥様・嘉子さんから「お時間あれば一緒にお墓参りに行きませんか?」と連絡をもらい、大村さんの墓前に立つことができた。その後、お昼に蕎麦屋で天ぷらそばをごちそうになったのだが、そのとき同席していた娘さん(大村さんの姪にあたる)と、大村さんが昔使っていたアルトサックスが今どこにあるか、前日に「わからないなぁ」と話していた芳正さんが話を振ってくれて、「私が聞いた話だと吹奏楽部に寄贈したって……」という話をしていた。その後みなさんとお別れし、駅近くのヴェローチェ(たぶん)で梶田さんと時間をつぶしていると、芳正さんから「いま押入れ見てみたらありましたよサックス!」と連絡が入った。あわてて再び大村さんのご実家にお邪魔し、撮影したのがこの写真である(カラーでは初掲載かしら)。
写真:大村雅朗さんが使っていたSelmer MarkVI
ソフトケースに長年入れられていたのでくすんではいたものの、堂々たる風格を漂わせる彫刻が入ったSelmer MarkVI。大村さんの後輩で、プロのサックスプレイヤーとして活躍中の荒木浩一さんからのちに聞いた話では、高3の夏のコンクールでは他のメーカーのものを使っていたことがわかっているので、本器は高3の秋からネム入学までの間に購入したものだろうとのこと。68〜69年製といったところだろうか。
本書の発売日は2017年7月7日付けで、どうして6月29日(命日)じゃないのか?とたまに聞かれるのだが、実は2017年6月29日は大村さんの盟友・山田秀俊さんにご実家近くのライブバーで刊行記念ライブをやってもらい、そこで先行発売するという扱いにしたかったからで、なので便宜上、発売日を一週間後に設定したという経緯がある。地方での先行発売だったので、発売当初に本書を購入した方々もあまり記憶にないかもしれないが、梶田さんと私はその日を福岡で、大村さんの仲間や身内の方々とともに過ごしたのだった。もちろんできたばかりの本を手に、真っ先に墓前報告に向かったことは言わずもがなである。
写真:山田秀俊さんのライブとセットリスト
大きく話は飛んで、刊行後のことを。
2017年の刊行時、松田聖子ファンや渡辺美里ファンを中心に話題になったものの、2021年現在、大村雅朗の知名度は2017年当時と比べかなり飛躍したと言い切れる。なにせ2017年9月に2刷をして以来、長らく在庫切れの状態が続き、中古価格も高騰していた中で3刷の知らせがようやく届いたのが2021年7月(その4ヵ月後には4刷)。この間、彼の認知度を上げるキッカケとなったと思われる出来事を時系列で整理してみると、
2018年3月 松田聖子『SEIKO MEMORIES〜Masaaki Omura Works』(3枚組)発売
2019年9月 FBS制作のドキュメンタリー番組『風の譜』オンエア(九州地方のみ)
2019年9月 作品集CD-BOX『作編曲家 大村雅朗の軌跡1976-1999』(4枚組)発売
2019年12月 『風の譜』再放送(九州地方のみ)
2020年4月 TBS『マツコの知らない世界』昭和ポップス回で取り上げられる
2020年6月 BS日テレにて『風の譜』全国放送
2020年9月 NHK『松田聖子スペシャル』で取り上げられる
2021年10月 テレビ朝日『関ジャム』松田聖子出演回で取り上げられる
2021年11月 NHK-FM特別番組『松田聖子三昧』で取り上げられる
といったあたりが大きなところだろうか。でもまぁこれだけではなく、2016年発売の書籍『ニッポンの編曲家』以降、他版元からもこの手の本が続々と出版されるようになったこと、またアナログ盤やシティポップ・ブームの中で大村雅朗の存在が多くの人に気づかれるようになったという側面もあるだろう。ツイッターを例にとれば、2017年に検索したときとは比べものにならないくらいヒットする件数が増え、大村さんについて語りだす人も増えた(事実無根の内容が流布されるおそれもあるのだが……)。そんな中でも特に松本隆さんは大村さんのことをいつも気にかけてくれていているのがとても心強い。
音楽家たちの功績を活字で残すという大テーマのもと、大村雅朗さんについては、梶田さんが監修したCD-BOX『作編曲家 大村雅朗の軌跡1976-1999』に付属のブックレットでかなりの補完が進んだが、その後も当時を知る方々からふとした時に教えてもらう大村さんのエピソードや、初聴き楽曲との出会いは現在も続いていて、いつか増補改訂版、完全版のような最終版を出したい思いは増すばかり。それが実現できる日まで、『大村雅朗の軌跡1951-1997』をいろんなところで話題にし続けてもらえると嬉しい。
最後に、本書がここまで話題になったのは、とにかくそれまで大村雅朗について誰も触れなすぎたことがまずひとつ。そして、『ニッポンの編曲家』しかり、市場調査=マーケティングからだけでは生まれない企画であったことも大きな要因だろう。
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『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』
梶田昌史+田渕浩久 著
A5・並製・316頁
ISBN: 9784866470191
本体2,500円+税
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK176
好評4刷
〈内容紹介〉
作編曲家として駆け抜けた46年の生涯とその功績を、
生前関わりのあった著名人たちの証言とともに紐解く。
[撮り下ろしインタビュー掲載]
大江千里、大沢誉志幸、辛島美登里、くま井ゆう子、
小室哲哉、松田聖子、松本隆、八神純子、渡辺美里(五十音順)ほか多数!
<目次>
序文 大村雅朗という名の矜持に抱かれて
Special Interview 松本隆
第1章 福岡時代
大村雅朗の足跡 ~福岡からネム音楽院、そして再び福岡へ(取材・文:田渕浩久)
[Column] 「バク」という愛称の秘密(文:田渕浩久)
第2章 上京~70年代末
[Interview]八神純子
[Comments]石塚良一、瀬尾一三、川瀬泰雄、細川知嗣、鈴木道夫、
大輪茂男、内沼映二、赤荻雄二
[Column]隅憲治に聞く、ネム音楽院、ヤマハ九州支部での大村(取材・文:梶田昌史)
第3章 80年代前半
[Comments]若松宗雄
[特別対談]鈴木智雄×佐藤洋文
[Interview]髙水健司
[Interview]林立夫
[特別対談]松武秀樹×山田秀俊×石川鉄男
[Column]松田聖子の主要シングルに見る大村サウンドの裏側(取材・文:梶田昌史)
[Interview]木﨑賢治
[Interview]大澤誉志幸
[Comments]菊池健、吉田格、青野光政、益本憲之、北村篤識、
羽島亨、國吉美織、鈴木孝夫
第4章 80年代後半
[Interview]小坂洋二
[Interview]大江千里
[Interview]渡辺美里
[Interview]小室哲哉
[Column]大村雅朗から小室哲哉へ、知られざるJ-POP時代へのリレーション(文:田渕浩久)
[Comments]伊東俊郎、左川康之、角谷哲朗、池村雅彦、髙橋隆
福住朗、吉江一郎、山田繁、田村充義、高田英男、長岡和弘
第5章 渡米~90年代
渡米~ロスからニューヨークへ、そして帰国(取材・文:田渕浩久)
[Interview]くま井ゆう子
[Interview]辛島美登里
[Comments]太田憲行、石川鉄男、河野素彦、たちいりひとし、白石元哉
[Column]松田聖子「櫻の園」のアレンジとサウンド・メイキング(取材・文:梶田昌史)
[Column]大村雅朗楽曲とギター、そして松原正樹の存在(文:田渕浩久)
第6章 Artist's Voice
船山基紀、木戸やすひろ、山本健司、下成佐登子、三浦徳子、石川優子、小田裕一郎、 吉川忠英、比山貴咏史、山川恵津子、富樫春生、矢嶋マキ、斉藤ノヴ、橋田〝ペッカー〟正人、加藤高志、西本明、瀧本季延、広谷順子、倉田信雄、島村英二特別章 大村雅朗、生前インタビュー(『オリコン オリジナル・コンフィデンス』より)
[Interview]松田聖子
[特別付録]大村雅朗 編曲作品一覧
あとがき
〈大村雅朗(おおむらまさあき)〉
1951年生まれ、福岡県出身。幼少の頃からピアノを習い、中学・高校では吹奏楽部に入部。高校3年時には部長として全国大会に出場。高校を卒業後、ネム音楽院に1期生として入学、その後はヤマハ音楽振興会九州支部のスタッフを経て78年に上京。同年、八神純子の「みずいろの雨」の編曲を手がけ、一躍ヒットメーカーに躍進。中でも作曲・編曲を手がけた松田聖子の「SWEET MEMORIES」は後世に残る名曲となった。97年、肺不全のため46歳の若さで死去。日本のポップス界が大村雅朗という天才アレンジャーを失った代償は計り知れない。
[代表曲]
八神純子「みずいろの雨」「パープルタウン」、石川ひとみ「くるみ割り人形」、山口百恵「謝肉祭」、石野真子「思いっきりサンバ」、松田聖子「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「夏の扉」「SWEET MEMORIES」、河合奈保子「スマイル・フォー・ミー」「UNバランス」、渡辺徹「約束」、吉川晃司「モニカ」「LA VIE EN ROSE」、薬師丸ひろ子「メイン・テーマ」、岡田有希子「リトルプリンセス」、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」、南野陽子「恥ずかしすぎて」、原田知世「早春物語」「どうしてますか」、中山美穂「JINGI・愛してもらいます」「ツイてるね ノってるね」、渡辺美里「My Revolution」「BELIEVE」、小泉今日子「水のルージュ」他