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2拠点生活のススメ|第46回|いい音と暮らす
いい音というのは、人によって感じ方が全然違う。
高いワインが必ずしも自分の好みに合うとは限らないように、高価なステレオ装置の放つ音が、絶対的にいい音という訳でも無い。自分にとってのいい音を見つけるのが一番大事なのだが、それがなかなか難しい。
ただ暮らしの中にいい音があるだけで、暮らしは何倍も潤う。
今日のnoteは、そんないい音と暮らしについて考えてみた
居心地のいい音とは
解像度が高く、研ぎ澄まされた音。パッと聞くとすごくいい音に聞こえるのだが、一つ一つの音の鮮明さに気を取られて、音楽を楽しめなかったりもする。
暮らしの中で、音楽を楽しむには、そういう音はいささか疲れてしまうものだ。
では居心地のいい音とは、どんな音なのだろうか?
個人的には、人の声が、人の声として自然に聞こえてくるモノ。血の通った暖かみを感じる音が好きだ。
居心地のいい音というのは、長時間聞いていても、飽きずに聞ける音、聴き疲れしない音をいうのだと思う。
オーディオ沼にはまり込むと、低音がどうとか、解像度がどうとか、音楽を楽しむと言うより、音質チェックの世界へ行ってしまいがち・・・。
心地いい音とは、そう言ったスペック論争から、耳を解き放してくれ、純粋に音楽の世界に浸らせてくれるものなんじゃないかと思う。
いい音と暮らす意義
芋の煮っ転がしを食べて、焼酎を飲んでいたとしても、そこにいい音があると、俄然ムードが出てきて、人生論みたいな話に発展したりもする。
いい音は、おしゃべりを邪魔しないし、お酒も進む。
演奏者の感情を繊細に伝え、気持ちを刺激するからか、思わずウィスキーなんかを嗜んでみたくなったりもする。
テレビを見ながら食事をしていては、こうはいかない。
そう思うとテレビというのは、人の感覚を奪って、独占してしまうものなのかも。
当たり前に繰り返していく日常に、いい音があるだけで、いいアクセントになり、知らず知らず、気持ちを癒やしてくれる存在になる。
それこそが、「いい音と暮らす」意義なんだろうな。
いい音は、いい空気を作る
いくらカッコイイお洒落なお店でも、音が貧祖だとそれだけで興ざめしてしまう。
飲食チェーン店なんて、その際たるもので、かかっている曲といい、これなら何も音楽がない方がマシと思ってしまう。
流行のカフェでも、貧祖な音のところが多い。かける曲にこだわるなら、音にも、もう少しこだわって欲しいものだ。せっかくイイ機材を使っていても、とんでもないスピーカーの置き方をしていたりして、ガッカリすることも多い。
まあ、音楽が主張しすぎないようにしているのかもしれないが、それならいっそ波の音でも流している方がよっぽど気持ちいいのだが、それも時代なんだろうか。
デジタルの時代になって、圧縮技術も進み、MP3などデータが軽くてもそこそこ音質がだせるようになったせいで、本当のいい音を知らない人も沢山いるのかも。
たまに、老舗のBARや喫茶店などに行くと、思いがけずいい音に出会って、嬉しくなることがある。
元々そういうお店は、カルチャーのフロントランナー的な役割がしっかりあって、音質もかける曲も、もっともっとこだわりがあったような気がする。
配信やストリーミングなど、これだけ音楽が身近に楽しめるようになったのに、iphoneでしか音楽を聴かないというのは、やはり悲しいな。
街の中に、もっといい音を出してくれる場所が増えると、ギスギスとした世の中の空気が、多少なりとも変わっていく気がする。
そんなことを思うのは、私だけなんだろうか・・・。