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秋の仕業!? (徳島宿プロジェクト)

近頃は夏と秋がまばらだ。
昼間には蝉たちが鳴き、夜には虫たちが鳴く。
水平線には入道雲が沸き立ち、頭上には鱗の雲が散らばる。
季節というのは、ゆっくりとフェードするわけではなく、
一日の中で共存しながら、少しづつバランスを変えていくものなんですね。

倉庫はエアコンもなくまだまだ暑いので、昼も夜も窓・扉を開け放っている。
蚊たちは季節を察知して、姿をあまり見せなくなったが
船虫たちは季節感がないのか、倉庫内を我が物顔で闊歩していたりもする。
油断するとノラ猫たちも・・・

昼間の倉庫は、暑くてたまらないけど、
朝方の倉庫は、布団を手繰り寄せるほどに涼しい。
あと何日、ウェットスーツを着ずに海に入れるのだろうか
行く夏を惜しみながら、来る秋を待ち望んでいる
人間というのは勝手なものですね。

鳴門の倉庫にやってきて、初めての秋。
これで冬以外の季節を全て体験して来たことになる。
秋は、冷暖房に頼らなくても心地よく過ごせる貴重なシーズン。
それだけに自然の美しさも際立つし、風景に心を奪われることも多い。
空気が澄んでいるせいか、飛び抜けて夕焼けが美しい。
こんな夕焼けを見てると、人恋しくさえなってくる気がする。
秋には不思議な力があるのかも知れないな。

倉庫からのぞむ、小鳴門海峡に沈む夕日

そういえば、今日老人ホームに入っている父から電話があった。
コロナ禍で外出できないことに腹をたて、今月いっぱいでホームを出て家に帰ると言い出した。父は今年91歳、終始介護が必要というわけではないが、肺の持病もあり、夜中に急に息苦しくなってナースコールを押すなんてことも起こす。

そもそも、今はもう亡くなった母が入退院を繰り返すようになって私たちが右往左往していたときに、世話を焼いてもらえなくなった不安から、自分で入れる老人ホームを勝手に探して、勝手に契約してきた。

よくいえば自己管理ができている、悪くいえば自分のことしか考えていない・・・
父は、昔からそういう人なのだ。

いきなり帰るではなく、しばらく家で暮らして不都合が無いか試してから考えてはどうかと提案するが、どういう訳か試すなんてあり得ないと聞く耳をもたない。
俺が家に帰るとお前は困ることがあるのか、あの家はそもそも俺が建てたと捲し立てられ、そもそも父とは折り合いが良くなかったことを今更ながらに思い出した。
悲しいけれど、人に優しくできない人が、人から優しくされるはずもない・・・。

きっと父は、人恋しさや寂しさを素直に打ち明けられないだけなんだ。
ただ悶々とした気持ちを私にぶつけているだけ・・・。
奥さんに諭されたこともあるが、美しい小鳴門海峡の夕日を見つめ、
ようやくそうした心持ちになることができた。

やはり秋は、人恋しさを助長させるのかもな・・・。

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