女性研究者のキャリアと子育ての両立戦略:結婚してから第1子出産、そして仕事復帰までの実際
この記事の文字数は4,312文字です。かなり赤裸々に書いていてお恥ずかしいので、後で有料化するかもしれません。
こんにちは、最近YouTubeの『おりんおりんTV』で、いおりくん(2歳)の成長の様子とパパの子煩悩っぷり、夫婦の仲の良さを見守るのにハマっている、ある子育て中の女性研究者です。もともと子どもは好きでしたが、自分で子ども産んでからは、もう全ての小さな子が愛おし過ぎてたまらない!という状態になりました(もちろん、その中でもわが子は別格ですが)。うちの子はまだ1歳でいくつかの単語しかしゃべらないので、2歳だとこのくらいができるようになるのか~と想像して楽しんでいます。
さて、既に簡単な自己紹介は済ませましたが、実際の子育てや現在の生活の話に入る前に、結婚してから出産まで、どうキャリアと家庭を両立させてきたかについて触れておきたいと思います。
そもそもなのですが、今育てている息子は体外受精によって授かった子です。結婚前から今の夫と子どもが欲しいという話をしていたこと、結婚時点で31歳になっていたこともあり、結婚半年も待たずに病院へ不妊治療に通い始めました。私が続発性無月経並びに多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:polycystic ovarian syndrome)であること、しかも関西と関東、あるいか米国と関東の遠距離生活を送っていたため、自然妊娠がほぼ不可能に近いことから踏み切ったものです。不妊治療の詳しい話は長くなるので、また別の機会に書こうと思います(共働き夫婦やキャリア女性のためのクリニックの選び方、など)。
以下、私が結婚してから第1子出産、そして仕事復帰までを時系列で記します。キャリアも結婚も出産・育児も両立させるために、結婚から出産・仕事復帰まで、その都度最善と思われる方法を選択してきました。※は、キャリアと子育ての両立に対して戦略的に実行したものです。
【結婚してから妊娠、第1子出産、そして仕事復帰するまで】
2015年 関西と関東の遠距離状態のまま結婚(※1)、それ以降毎週末どちらかが飛行機に乗って移動する生活を送る。その後3年半にわたって別居(週末婚)生活。
2016~2017年 結婚後すぐに不妊治療のため病院に通うも、そこで甲状腺機能亢進(バセドウ病)が見つかり、当面はそちらの治療に専念することに。
2017年夏 バセドウ病が寛解し、薬の服用が不要に。米国へ単身研究留学(※2)。
2017年冬 米国留学中に転職活動を行い、2019年4月着任の内定を得る(※3)。同時に、転職前に出産するため、帰国次第体外受精に取り組むことを決意(※4)。米国滞在中にクリニックに予約を入れる。
2018年2月 帰国後、すぐに不妊治療(体外受精)開始。
2018年4月 1回目の胚移植を行うも、着床せず。病院で結果を聞いたその足で泣きながら空港に向かい、国際学会での発表のため渡欧(到着日はホテルに引きこもるも、滞在中徐々に回復しました)。
2018年6月 2回目の胚移植にチャレンジし、無事着床(※5)。
2018年夏 関東での家探し開始。
2018年11月 妊娠7か月で、関西から関東へ引っ越し(※6)。生活拠点を関東に移すも、妊娠8か月までは新幹線・飛行機移動を含む国内出張を行う。
2019年1月 形式上は産休に入るも、仕事は継続。
2019年2月 臨月に入っても電車移動込みの打ち合わせに各所で参加していたところ、早産リスクがあるとのことで、出産1週間前に自宅安静指示を受ける。入院前日までに年度末の研究報告書作成を急いで仕上げ、入院翌日に計画無痛分娩(※7)にて出産、産後6日で里帰りせずに自宅に帰る(※8)。
2019年3月 4月から転職先で開講する講義の準備に追われる。
2019年4月 産後6週間で転職、フルタイム勤務復帰。同時に、夫が半年間の育休に入る。
2019年5月 宿泊を伴う国内出張再開。
2019年8月 離乳食始めたばかりの息子と、ファミリーキャンプ旅。
2019年9月 6か月になった息子、保育園に通い始める。
2019年10月 夫、育休明けの仕事復帰。夫婦フルタイム共働き状態の子育てが始まる。私は週2回、夜10時までの講義を担当。
2020年2月 息子、無事1歳になる。
2018年から2019年にかけては、1年と少しの間に海外からの帰国、不妊治療、遠方への引っ越し、出産、転職を経験するという、私にとっても、夫婦にとっても怒涛の年でした。また、研究者にも産休はありますが、原稿執筆や報告書作成の納期は動かないため、休みに入っても仕事自体はなくなりません。そのため、少ない時間の中で出産・育児の準備をしなければならなかったのですが、科学的な情報の少ないこと。また、産後すぐに仕事に復帰した人の情報もあまりに少なく、模索しながら進めるしかありませんでした。
世の中は女性側が育休を取るのが当たり前だったり、産後すぐに仕事復帰するとなぜか責められたりする風潮があるかと思います。でも私のように、責任者として講義を任されていたり、自分にしかできない研究をしていると、代わりの人がいません。私の場合は、4月から私以外に講義を担当できる人がいなかったため、また転職した初日から育休を取ることはできないため、やむを得ず育休ゼロ、産後1か月半で仕事復帰しました。保育園には生後57日から預けることができるのですが、2月に生まれたわが子の場合4月1日時点でそこまで達していなかったため、預ける先もありませんでした。夫が自ら進んで育休を取ってくれたことには、本当に感謝しています。
世の中、母親信仰が溢れていますが、本来、子育ては親のどちらが担っても良いのではないかと思います。夫婦ともにワンオペが問題なくできるくらい戦闘能力が高いと、夫婦の信頼関係が強固になりますし、家庭のレジリエンス(抗病力、回復力:困難な状況や窮地に立たされても、それを乗り越えられる力)が劇的に高まります。子どもも安心して、両方の親を信用し懐くようになりますので、お互いにとっても楽です。
さて今回は、女性研究者が結婚~妊娠~出産~仕事復帰までをどう戦略的に乗り越えてきたかについて、時系列に並べて振り返ってみました。キャリアを形成する上で、妊娠・出産をどのタイミングで行うかを真剣に考える考える必要があること(本来は、どのタイミングの妊娠・出産でも祝福されることが望ましいのですが、日本社会では配慮が求められます)、というかそもそも妊娠・出産・育児との両立を考えてキャリアを選ばなければならないこと、そして妊娠・出産そのものの身体的負担に加え、仕事や家庭の調整の負担も多くの場合女性側に偏っていることがお分かりいただけたのではないかと思います。私も産休中、通常の仕事に加え、新居に必要な物品の発注、出産・育児で必要な物品のリストアップや発注作業をこなしていました。
特に研究者の場合、「論文」という名の実績を求められますので、休めば休むほど将来のキャリアに響くことになります。また、多くの大学教員・研究員が1~5年の任期制で採用されており、その間に成果をあげないと契約更新されないという不安定な身分です。そのせいなのかわかりませんが、研究者界隈で1年以上育休取った人を私は見たことがありません。育休ゼロで復帰している人も、何人も知っています。
産後1か月でライブを開催するという超人的なことをしたことで浜崎あゆみさんが批判されていましたが、誰しも、産後すぐに仕事復帰するにはそれなりの事情があるからではないかと思います。育休を取らないことも、1年以上取ることも、その人なりの事情や考えがあることなので、どういった選択肢であっても批判されない世の中であって欲しいと願う今日この頃です。
次回からは、実際につらくない・がんばらない・戦略的な育児、そして仕事との両立をしていくためにはどういうマインドセットが必要なのかについて書いていきたいと思います。
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