心理具現化師-パワハラをうける青年
20年以上前に思いついて書いた小説です。
電車が通る街までは車で30分ほどかかるが 、大型ショッピングセンターが複数存在し、都会とも田舎とも言えない場所がある。
沢山の住宅が並ぶ住宅街から300mほど離れた場所に1つの診療所がポツンと建っている。
住居と併用して作られた構造になっており、普通の木の扉と、自動ドアのついた扉の2つが見える。
表の看板には、「神崎心療内科」の看板が掲げられ、完全予約制の夜7時までと書かれていた。
自動ドアの扉から中をみると、待合室には数脚の椅子があり患者さんと思われる人たちが座っていた。
雑誌を読んでいるひと、大きな液晶テレビをボーッと眺めている人が見える。
テレビではお天気キャスターのお姉さんがマイクを片手に
「今日の天気は全国的に曇り、夜遅くには雨が降るでしょう。早めの帰宅をお勧めします。帰りが遅い方は傘をお忘れなく。」
と、中継をしていた。
空を見上げるとお姉さんの言う通り、ドス黒い雲が空一面を覆いつくしている。
可愛らしい声が、待合室に響いた。
「佐藤さーん。診察室にお入りください。」
声のするほうには、ナース服に身を包み、背丈は160㎝もない小柄な女性で、目は大きく肩まで伸びた黒髪のストレート、学生服を着せたら高校生にしかみえない童顔の女の子が立っていた。
40代ぐらいの佐藤さんらしき女性は椅子から立ち、その看護師のほうへ向かって女の子の前で軽く会釈をし、診察室へ入っていった。
診察室の中には、患者の佐藤さんと看護師の女性に椅子に座った白衣の先生らしき男性がいる。
白衣の男性は、背が170㎝で、笑うと無くなるんじゃないかと思うほど目が細く、おおらかな感じを出している。
「先生、佐藤さんです。お願いします。」
と看護師の女性は言うと、白衣を着た男性の横に立った。
白衣を着た男性は佐藤さんをじっくりと見て、
「佐藤さん。最近はどうですか?何か進展はありましたか?」
と尋ねた。
すると佐藤さんは、
「匠先生。最近は大分落ち着いてきて、外出もできるようになってきました。最近、家庭菜園も始めて少しづつ楽しみが増えてきました。」
とあまり上手には出来ていない笑顔を見せながら答えた。
「あまり無理はなさらずに、続けていけるようにしましょうね。」と、匠は佐藤さんを見つめ、素敵な笑顔を見せた。
すると、佐藤さんもつられて先ほどとは違う笑顔を匠へ向けた。
「今日からはお薬はいらないと思うのですが、また経過が知りたいので、再来週にきてください。」
と匠は告げると、佐藤さんはうなづいた。
匠は隣に立っている看護師の女性を見て、
「結衣さん。今回から佐藤さんはお薬なしでお願いします。それと、再来週あたりに予約を入れてください」
と言うと、
「わかりました」
と彼女は答えた。
結衣は、佐藤さんと次の予定の話などをしたあと、
「お大事にしてください。」
と言い、出口のドアを開けた。
佐藤さんは、結衣に軽く会釈した後、匠を見て大きなお辞儀をし、診察室を後にした。
結衣は次の患者さんを呼ぼうと待合室を見渡し、
「田中さーん。診察室にお入りください。」
と大きな声で言った。
「・・・・・」
待合室に反応がない。
結衣はもう一度
「田中さーん。田中はじめさーん。診察室へお入りください。」
とさらに大きな声で叫んだ。
「・・・・・」
椅子に座っている患者さんの手は止まって、テレビの音だけが聞こえてくるが、何も反応がない。
結衣は待合室をぐるっと見渡し、一度診察室に戻ろうと振り返ろうとした時。結衣の背後にまるで死神にでも取り憑かれたかのような青年が立っていた。
結衣は声が出ないぐらいの驚きを一瞬見せたかと思うと、軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「田中はじめさんですか?」
と結衣は問いかけると、青年は下を向いたまま静かにうなずいた。
「診察室へどうぞ」
と結衣が青年を診察室へ誘導すると、青年は足音も立てず静かに診察室へ入っていった。
青年は年の頃なら30代前半で、短かい黒髪。いかにも好青年に見えるはずだった・・・。
しかし、今の青年は、体全体から生気は抜け落ちており、背後から死神に鎌を突きつけられているようだ。
「田中はじめさんですね。」
匠は問いかけると、青年はうつむいたまま静かにうなずいた。
「こちらにお座りください。」
匠は自分の目の前にある黒い丸椅子を指差した。
少し一呼吸おいて、匠は問いかけた。
「田中さんは初診ですので、今の現状を詳しく教えてもらえますか?
上手く話そうと思わなくてもいいですが、どんな些細なことでもいいので、詳しくお願いします。」
しばらく沈黙の時間が流れ、青年はうつむいたまま静かに口を開き話し始めた。
「大学を卒業した後、僕は商社で働き出しました。
世間では一流企業と言われている企業です。
将来のことを思って、選びました。
必死に働いて慣れた30歳のある日、会社から転勤命令が出ました。
今までは都会に近い部署で働いていたのですが、地方へ行けと。
転勤後の部署は新しい場所で慣れないのもあって、あまり仕事が上手くいかなくなってきたのです。
すると、上司にあたる部長が『こんなことも出来ないのか』や『これなら猿の方がマシだな』など言うようになってきたのです。
これだけでなく、『仕事できないのに残業だけして給料泥棒』や『これからは定時になったらタイムカードを押しとけ』みたいな事も言われました。
はじめの頃は聞き流していたのですが、毎日毎日言われるようになって、夜が寝れなくなってきたのです。
食欲もなくなって、何をしても楽しくなくなってきたのです。」
ここまで話すと、青年は涙ぐんできたのだった。
しかし、青年はぐっと涙をこらえ、続きを話し始めた。
「そんなときに、新入社員の頃から仲の良かった同僚が違う部署ですが転勤してきたのです。
僕も同僚も嬉しくなり、部長の小言も気にならなくなりました。
休日は一緒に遊んだりして、気分もスッキリしてきたのですが、お互い仕事が忙しくなってきて、休日も中々会えなくなって来た矢先、会社の先輩に呼び出され、告げられたのです。
一緒に遊んでた同僚がパワハラを受けて自殺をしたと・・・。」
結衣は、看護師という職業を忘れ顔を手で覆い目にはうっすらと涙を浮かべていた。
匠は青年をじっと見つめ続け静かに聞いていた。
青年は今にも泣き出しそうな声でさらに続けた。
「共に頑張った仲間を失い、部長の小言で毎日が苦痛です。
楽しみな事がありません。
この先どうしたらいいかもうわからなくなってきました!!」
と、ここで青年は待合室にも聞こえるぐらい大きな声で泣き出してしまった。
結衣は青年の背中をスッと摩りながら、自分も涙をグッと堪えていた。
匠は青年が落ち着いたのを見て、一呼吸おいて話し出した。
「現状はわかりました。
まずは、今の状況を変えるよう努力しましょう。
一番の問題となっているのは上司である部長ですね。
まずは診断書を書きますので、長期のお休みをもらいましょう。
それと移動願いも出しましょう。
書類は問題の部長より上の上司に提出してください。
ゆっくりで良いので、治していきましょう。」
背中を摩っていた結衣は、手を止め青年に少し待合室で待っていてもらうように言った。
青年が出て行った後、匠は机に向かい診断書を書き始めた。
テレビのニュースも終わりかけ、子供番組が始まる頃、診断書が出来た。
匠は結衣に再度青年を呼んでもらうように伝えた。
結衣は診察室のドアを開け、待合室に向かって声を出した。
「田中さーん」
すると、次はきちんと椅子に座っていた青年が席を立って結衣に近づいてきた。
結衣は青年に向かって「診察室へどうぞ」と答えた。
青年は診察室に入り、匠の前にある丸椅子に腰かけた。
「田中さん。診断書を書いたので、これを会社に出してください。直接渡すのは大変だと思うので、長期休暇の件も含めて郵送するといいですよ。」
匠はそう言うと、診断書の入った封筒を手渡した。
青年が席を立とうとすると、匠は青年を呼び止めた。
「それと、方法はいくらでもある事を忘れないでください。」
と言って、紙を一枚手渡した。
その紙には、”どうしても上手くいかない時は20時以降に来院してください”と書かれていた。
青年は、次回の診察日を決め、診療所を後にした。
数日したある日、全ての診療を終え、匠は一息のコーヒーを飲んでいた。
すると、そこに看護師の結衣が現れた。
「先生。患者さんがお見えになりました。」
振り返ると結衣の横には、まるで死神にでも憑りつかれたかのような青年が立っていた。
匠はコーヒーを飲み干し、すぐさま患者を診療室へ招き入れた。
「田中…はじめさん…ですね?」と匠は尋ねると、男性は小さくうなずいた。
匠は優しい口調で静かに話し始めた。
「何もおっしゃらなくても大丈夫ですよ。
この時間にお見えになったという事は、よっぽど辛い目にあったのですね。」
そう言われた青年は、表情を変える事なくただ座っていた。泣く感情すら忘れていたのである。
匠はさらに話し始めた。
「僕の職業は”心療内科医”です。
しかし、この時間にお見えになる患者さんには、僕は”診療外科医”として診察します。
診療外科は特殊な手技なため、医学的、法律的、そして科学的にも認められていない診療行為なのです。
この時間にお見えになってもらうのには、医療の心療内科ではないことを知ってもらうためです。」
この時間に始めなければいけない理由と匠の裏の顔を説明し青年を見つめると青年の目が点になっていた。
これから何が起きるのかもわからない状況と、今の心情でなくとも匠の言っている事自体に理解できないのだ。
匠が席を立ち「さて始めましょう。田中さん。目を閉じててください。」と言うと、青年はグッと目を閉じた。
匠は青年の頭に軽く左手をかざし目を閉じ、ボソボソと呟き始めた。
すると、青年の体から黒い霧のようなものが溢れ出てきた。
次に匠は、自分の右手を開いたまま空高く上げると、青年から出ていた黒い霧は匠の右手に集まってきた。
黒い霧が集まりきった所で匠は右手をグッと握りしめ、全ての黒い霧を右手の中に閉じ込めた。
「さて、診てみましょう」
と匠が口にし、手のひらを上にし広げて見せた。
すると手のひらからホログラムのように立体的な映像が映し出されたのである。
映像は、長期休暇と移動願いの書類を上司の部長より上の上司に送った後のことだった。
療養休暇をしていた青年は、ある日上司の部長に呼び出された。
休暇とはいえ、急な休暇のため引き継ぎがあまりできていなかったから仕事の内容で話があるのかと思い、
近くの喫茶店で待ち合わせをしていた。
青年がドアを開けると、上司の部長は既に一番奥の椅子に座っていた。
人もいない少し暗い店内を進んで、部長の前に座った。
部長の第一声は
「上司の俺を待たせるとは何様だ!!」だった。
青年はビックリしてうつむいたまま黙ってしまった。
すると続けざまに
「休暇や異動の件を上にチクるとはどういうことだ!!俺をおとしいれる気か!!」
怒鳴り声が店内を響き渡る。
店員も注文を取りに行くきっかけを失ってオドオドしていた。
店員の視線に気づいたのか、部長は少し声のトーンを落として話し始めた。
「ちょっと強く言っただけで休むなんて気が抜けている証拠だ。最近の若い者はまったく気合が足りん。」
青年は未だに一言も声を出す余裕もなく、うつむいたままだった。
そして、部長は独り言のように言い放った。
「お前のあの同僚は死んじまったが、お前もあいつのように死ぬ気で頑張れ。」
それが青年を今の現状に追いやった最後の言葉だった。
ここで映像は終わった。
はじめは流す涙も出ないような感じで、気力が抜けていた。
「この記憶はどうしますか?」
匠は青年に質問をした。
「上司のあの言葉は早く忘れたいです…」
青年は、弱々しい声を力一杯振り絞って答えた。
匠は少し考えた後、「わかりました」と一言だけ言葉にした。
匠は右手にあった黒い塊をほんの少しだけ左手で切り取り、青年の額に当てた。
すると、黒い塊は青年の中に入っていったのである。
青年はその場で意識を失い倒れかけた所を結衣が抱きかかえ、診察室の中にあるベットに寝かせた。
匠は眠っている青年に向かって囁くようにつぶやいた。
「この診察に関する記憶も一緒に消させてもらいます。それと、あなたの気持ちを代弁してきます。」
「先生今日はこれでおしまいですか?」
結衣が尋ねると、
「ひとつやり残していることがあるから、片付けてきます。
田中さんが起きたら帰るように伝えておいてください。」
と匠は答えた。
匠は、白衣を玄関先へ脱ぎ捨て診療所を出るとすぐ横にある車に乗り込んだ。
雨で視界は悪く、街灯もあまりないので、車のヘッドライトだけが頼りだ。車で30分ぐらい飛ばした所で、匠は公園の駐車場に停め、ある人物を待った。
しばらくすると、薄暗い道の向こうから黒い影がゆっくりと歩いてきた。
相手の顔が見えるかどうかの距離になった所で、降り続いている雨に匠は気にする様子もなく車から降りた。
近づいてくるひ人影を雨に打たれながらじっと見つめていた。
相手の顔がはっきりと見えるぐらいの距離になった。
背はあまり大きくない太った男だ。
「田中はじめさんの上司ですよね?」
匠は相手の顔を見ながら問いかけた。
「そうだが?」
と不審者を見つめるような眼差しを向けて、答えた。
次の瞬間、匠の姿を一瞬見失い、気付いた時には男のすぐ目の前まで来ていた。
そして右手を男の額に当てた。
右手には黒い霧があり、その霧が男の体の中に入っていったのである。
「言葉のマナーを落としましたよ。お返ししておきます。」
匠はこう言い残し、その場を後にした。
数週間後、匠の診療所はいつも通りだった。
結衣は次の患者さんを呼ぼうと待合室を見渡し、
「田中さーん。診察室にお入りください。」
と大きな声で言った。
すると、待合室から元気な声で「はーい」と聞こえてきた。
「田中さん。診察室へどうぞ。」
結衣も負けずに元気な声で返した。
青年は匠の前にある丸椅子に腰掛けると、自分から話し始めた。
「先生のおかげで、職場にも復帰する事が出来ました。
ありがとうございました。
ただ、ひとつ気になったことがありまして・・・。
僕が復帰する前に突然上司が仕事を辞めていました。
あんなに自分の権力を振り回していた人が自ら辞めるということは考えられないのですが・・・。
何かあったんでしょうか?
でも、今の職場には活気があって、良い感じで競争している雰囲気の会社になっていました。」
結衣は匠の顔を見つめた。
すると、ちらりと結衣の方を向き、また青年の方へ向き直し、にっこりと笑って答えた。
「そうですか。田中さんの顔を見たら安心しました。
これで僕の役目も終わりだと思います。通院も今日が最後にしましょう。」
青年はにっこりと笑い返し、そして元気な声で
「はい!!」
と返事をした。
大きな声が待合室中に響き渡った。