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ジョーカー フォリ・ア・ドゥ 妄想は共有できても思想は継承できない

ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
前作ジョーカーの続き。
結論、ダークナイトシリーズへの的確なアンサー映画になっている。
ダークナイトでは正義(バットマン)と悪(ジョーカー)は正義・悪それ自体を目的化した時点で同類であり、ダークナイトライジングでは正義は継承するもの、と定義しており、それに対し本作は、悪は継承できないもの、だから正義とは違う、このシンプルかつめちゃくちゃ分かりやすい結論を出している超名作だった。
あと、前作ジョーカーでは、見えている景色が現実なのか妄想なのか曖昧になる演出が多く、結局今見えたり語られている映像自体がジョークである、つまりジョーカー=ジョークを言う人、という意味だったが、今作はもう一つの意味もあり、この世界でジョーカー(1番最悪な手札)を引いてしまった人、という意味がある。

だから絶対観ろよ!と思う。

賛否両論な作品なのは理解できる。
バットマン、ヒーローモノ目当てで観に来たらこれは違う、という気持ちになるのはわかるが、もはや正義や悪を対立させてドンパチしていればいい時代ではなくなったとも言える。

主人公と、その思想を共有してくれそうな彼女のハーレイクインもいたが、彼女は思想や妄想は共有できても、継承はしてくれなかった。
主人公のカリスマ性がなくなった途端裏切った。
主人公に近づいてくる悪党も同様で、一時的に近づいてくるが継承はしてくれない。そのことをわかっていたから主人公は近づいてくる輩から距離を置く場面もあった。が結局輩に刺されて死んだ。
まとめると、

・ダークナイトへの返答になっている
・正義は継承できるが悪は継承できない
・ジョーカー=映像のジョークを流す者、と、世の中でジョーカーを引いてしまった者、の2つの意味がある

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