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プロレスグッズから見る団体が目指すもの

先日行ったDDT福岡大会でのこと(下記の記事で触れたやつ)。

一緒に行った相方や子どもたちは試合前にグッズ売り場の前で、「あれがいい」「これがいい」と選んでいたのだけど、個人的には特に触手は動かなかった。欲しいものがない。もちろん、他の3人とのDDTへの興味関心の強さの度合いが違うということもあるけれど、「欲しいなぁ」と思うグッズは特になかった。

大鷲さんやクリスが個人的に別にブースを持っていて、大鷲さんのTシャツとかは少し関心はあったけれど、「買おう」というほどではなかった(とはいえ、大鷲さん、U-40のベルト戴冠おめでとうございます!)。

ただグッズより何より、会場に入って長蛇の列にまず驚いた。

試合前、休憩時間、試合後のロビーの人の列がすごかった。1〜2人の写真撮影に、3〜4人のサイン会とトイレに行くのも列を縫って大変なぐらいの人だかり。選手と言葉をかわし、サインをしてもらい、写真を撮る。こういう人と人との繋がりがDDTの売りなんだなぁと改めて思う。

もちろん、他の団体も適宜サイン会を行っているけれど、その規模がDDTは違う。そしてグッズはサインしてもらうためにあるのであって、サインしてもらって初めて応援グッズとして完成する。そして帰宅後は次の大会まで大事に飾っていて、次の大会ではまた新しい推しのグッズを手に長蛇の列に並ぶのだ。

なるほど、DDTっぽい。アイドルの握手会に近い感覚。人間的な魅力(容姿、キャラクターも含め)でファンを引き寄せる度合いが強い。誤解を承知で言えば、プロレスそのものでひきつけるというよりは、それを誰がやっているかということのほうが重要で、キャラクターを立たせることが大切なわけなんだな。

新日もNOAHも(たぶん全日も…十数年見に行ってないからわからないけど)選手個人より、「プロレス」の方が重要視されていて(NOAHはその意味合いがより強い気がする)、逆に新陳代謝で選手が入れ替わっていっても保てるものがあるけれど、DDTはもちろん新しい選手は出てくるけれど、そこでXさんが戦っているというその事実が大切なんだなー。

そう考えてみると、DDTのプロレスが今のような形になっているのはわかる気がする。いい悪いじゃなくて、必然というか。

NOAHが以前、「武藤がいなくなって大丈夫か?」とよく言われていたけれど、もちろん武藤不在は痛いが、それはそれで「当たり前」で言うほど、危機感はなかったのではないかな、と改めて思ったりする。

いずれにしてもどちらかに振り切るのは難しいだろうけれど、DDTが、NOAHが現在のやり方を取っている必然はあるのだろうな、と思う。

ちなみに最近のプロレスグッズのヒット作は、センダイガールズプロレスリングのマスクマンタオルです、間違いなく。この間買って、嬉しくなっちゃったよね(笑)。


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