冗舌な歯医者 (BFC2落選作)
惑星と口笛ブックス様主催、ブンゲイファイトクラブ2へ投稿したものです。
皆さまのと見比べてみると、どうも混ざっちゃいけない集まりに混ざってしまったような申し訳なさがある。ジャンル違いと言いますか…。
組み立てが難しかったけど、入れたい物を詰め込めて楽しかったです。
冗舌な歯医者
口を大きく開けてください。そう、いいですよ。よく見えます。それでは一度うがいをしてください。
サイレンの音が騒がしいですね。診察室の音楽のボリュームを少し上げましょう。患者さんの中には子供たちも多いのでね、彼らが怖がらないようにしませんと。
ニュースによると、近くで捕り物があったらしいです。麻薬密売組織の一斉摘発。ドラマのようですよねえ。警察の不手際で一人逃がしてしまい、現在も捜索中だとか。物騒なことです。早く見つかると良いのですが。
どうかなさったのですか?かなり汗をかいているようです。先ほど駆け込んでいらしたからでしょうか。顔色も少々悪いですね。
お急ぎのようですので、問診票は省略して直接お話を伺いましょう。下の奥歯が激しく痛むので詰め物を削ってほしいということでしたが。下顎右側七番。つまりここですね。下あごの右側、一番奥の歯です。処置の前に、まずレントゲンを撮って状態を確かめましょう。
…おや。ちょっと待ってください。この詰め物は良く見ると変わった形をしていますね。何でしょうか、まるで機械のような。
……そんなに興奮なさらないで。分かりました。分かりました。少し気になっただけなんです。私の足に押し付けている、そちらもしまっていただけないですか。何てことだ。それは、それは、本物の拳銃ですか?何てことだ。
とにかく、どうぞ、お掛け直しください。お話は分かりました。さっさと口を噤んで、そいつを削り取れと言うんですね。刃が保てば出来るかもしれませんが、難しい作業になりそうだ。とにかくチェアーを倒します。局所麻酔をかけて作業を進めますので。
……何ですって?麻酔なんてかけるな?
やめてください、どうか、暴れないでください。落ち着いてください。局所麻酔を使うのは普通のことです。歯医者ならどこでも使っています。麻酔といっても口腔内が少し麻痺する程度で。いいえ、抵抗しようだなんて考えていません。やめて、暴れないで。誰か。
……少し落ち着かれましたか。まだ息が荒いですね。呼吸が整うまでの間、お話でもしましょうか。
貴方の歯に埋め込まれた機械ですが、普通の詰め物でないことはすぐに分かりました。以前見かけた、歯に装着する通信機の一種に思えます。お仲間と連絡を取り合うためのものでしょう。
頷かれたのは肯定のしるしですね。ありがとうございます。もう少しよろしいですか?
足がつかないよう通信機の破壊を考えた貴方は、ここに駆け込んできてしまった。この辺りには他に歯科クリニックがありませんからね。警察へ内通したのはすぐに知られてしまう、通信機を辿られ居場所が明らかになるのは避けたい。そんなところでしょう。組織の残党は警察よりも容赦がない。十分ご承知のはずです。
どうしたんです、そんな怯えた目をして。先ほどはあんなに威勢が良かったのに。
私たちは、貴方が現れそうな場所に複数の網を張っていました。私も連絡を受けてすぐに従業員を外出させ、貴方が来ないか待っていたんです。その間に、うがい用の水に毒物を仕込んでおきました。最初に貴方がうがいをした、あの水の中に。
私の長口上にお付き合いいただき、ありがとうございました。おかげで徐々に効果が出てきたようです。お気付きでしょうが、貴方はもう自由に手足を動かせません。この拳銃、こんな危ないものは、遠くへ置いておきましょう。
ずいぶん喋り過ぎてしまいました。困った癖です。熱中するとだんだん早口になって、喋るのを止められなくなってしまう。これから三十二本すべての歯を抜くのですから、これぐらいにして仕事にかかりませんと。
ところで、麻酔はどうしても嫌ということでしたが、どうか安心してください。麻酔なんて使わず、一本一本丁寧にやりますので。さあ耳を澄ませて。歯の根が折れる音を一緒に聴きましょう。顎の骨まで響く、深みのある音。滅多に聴けませんよ。ゴリ、バキン。ザリザリザリ。おっと、低い声かと思ったら存外に美しい高音が出るんですね。素晴らしい。ちょっとしたオペラのようではないですか。チュイーン。チュイイイイイイイイイン。チュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ。
今日のお話も面白かったですけどね、先生、と僕は不明瞭な発音で呟いた。親不知を抜いた辺りを舌で探ろうとしたが、まだ麻酔が切れていないのか上手くいかなかった。
さすがに僕が麻薬の密売人っていう設定には無理がないですかね。だいたい、いつも言っているじゃあないですか。治療中に力作を披露していただいたって、返事も出来ないし相槌も打てないんです。何せ口を開けっ放しなんですから。それに今日の話、患者に聞かせるにはちょっと怖すぎませんか?確かに気は紛れましたけど。
そうですかねえ。そんなに怖がらせるつもりはなかったのですがね。申し訳なさそうに手元の原稿を覗き込む様子は、普通の柔和な歯医者さんだ。何を心の中に飼っているかは、自ら語りだすまで誰にも分からない。
それっきり僕は黙って、次の診察の予約を取ることにした。優れた語り手には良い聴衆が必要だ。
(了)
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