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夢は、気づいたら描いているもの〜持田温紀さんインタビュー

組織を1つの大きな「船」と見立て、「社会の垣根を取り払う」というビジョンに向かって、航海を続けている「D-SHiPS32」。
パラ大学祭やパラスポーツ大会、障害のある子どもと親を対象にしたキャンプなど、様々な活動を行ってきました。

今回は、パラ大学祭の運営代表を務めている、中央大学4年生の持田温紀さんにインタビュー。車いすユーザーの持田さんがどうしてパラ大学祭に魅せられたのか。今後どんな世界を作っていきたいのかを聞きました。

パラ大学祭には、求めていた景色があった

パラ大学祭の全体記念写真。右端が持田さん

持田さんは、パラ大学祭の運営代表として、日々奔走されていますよね。
ーーそのほかにも、大学サッカー部のマネージャーをしていたり、パラダンススポーツの選手としても活動していたりします。

パラダンススポーツという競技があるのですね。どんなきっかけで始めたのですか?
ーーちょうど去年のD-SHiPS32「ミニの日」に参加したら、パラダンススポーツ協会の方が来られていて、誘われたんです。ちょうど新しい挑戦をしたいなと思っていたので始めたのですが、ありがたいことに8月に東京で行われた国際大会で入賞し、その後イタリアで行われた世界選手権に出場させていただくことが出来ました。

すごい!ミニの日がきっかけで、どんな出会いがあるかわからないものですね。
ーー何がきっかけでアクティブな人間になったのだろうと振り返ったら、パラ大学祭なのかな、とも思うんです。高校時代に車いすユーザーになって以来、どこかで周りと隔たりみたいなものを感じていたのですが、パラ大学祭では大学生の青春のシーンの中にナチュラルに車いすが存在しているというのがすごく新鮮で。自分が探していた景色だ!と感じて、パラ大学祭の運営に回るようになったんですよ。

自分の中にある熱いものを形にしようとしていく中で、自分自身にも変化があった気がします。やりたいことにまっすぐ突き進めるようになったので、海外旅行に行くようになったり、2022年のサッカーW杯カタール大会にも1人で行ったり。

もしかしたら、自分の中で線を引いていたのかもしれないですね。
ーーもっと自分の見たい世界に飛び込むことが出来ると気づけたのは、パラ大学祭のおかげかもしれないですね。

あとは、大祐さんとの出会いも大きかったです。「バスケは立てない人には難しいけれど、車いすバスケだったら健常者も障がい者もみんなで出来る。だからパラスポーツの方が実は裾野は広いんだよ」と言われて、ああそうかと。パラスポーツの概念を大きく変えてもらいましたね。

バリアフリーは、人の心の中にある

高校時代を共に過ごしたラグビー部のみなさん

持田さんは、高校時代に頸髄損傷のケガで障害を負ったんですよね。
ーー実はケガした直後は、あまりそこまで落ち込むことはなかったんですよ。入院生活が共同生活だったので楽しさも見いだせていたのですけど、入院中に母が脳梗塞で倒れてしまったことがありました。毎日のように面会に来て世話をしてくれていたので、心配と負担をかけすぎていたのかもしてません。

母のためにも自立した姿を見せなければと、復学後に頑張ろうと気負いすぎたのでしょうか。周りの生徒とのギャップを感じて苦しくなったんです。周りは受験勉強に集中しているけれど、自分には他にも考えなければいけないことがあるという風に・・・それで、半年くらい学校に行かない時期もありました。

精神的にツラい時期があったのですね。
ーーでも、このままだとケガしたことが中心の高校生活になってしまうと思って、留年を決意しました。1つ下の学年で入ったのは、スポーツクラス!スポーツが強くて有名な桐蔭学園高校だったのですが、受験クラスからスポーツクラスに入ったことで、雰囲気はガラッと変わりました。

クラスというよりチームのようで、みんなすぐに受け入れて楽しませてくれてました。野球部にラグビー部・・・みんなとの一番の思い出が、なんと学校の階段なんですよ。

階段!?
ーーエレベーターのある学校ではあるのですが、階段移動もたくさんあって。そんなときに体格のいいラグビー部のみんなが集まって、軽々と運んでくれるし、応援勢も増えていくんですよ。モッチーを運んでれば、授業に遅れても怒られないしとか言って(笑)。僕も楽しくて楽しくて、もうあえて階段で移動してたなぁ。

その年は県大会でラグビー部が優勝したのですが、車いす席で応援していた僕と一緒に集合写真を撮ってくれたりして、すごく温かかったです。

バリアフリーって、人の中にあるのだなぁと感じさせられます。
ーー本当に人ですよね。こういう高校生活を送れたからこそ楽しい生活を求めていくようになったし、パラ大学祭や他の活動の原体験になっている気がしています。

「どうすれば乗り越えられる」ではなく、「どうすれば楽しめる」?

パラ大学祭は外国人留学生の参加も増えてきている

楽しい時間を過ごすことで起きる内面の変化ってあるのでしょうか。
ーー車いすユーザーになって落ち込んで、どうやったら元の明るい自分に戻れるか模索していたことがありました。でもみんなを見て気づいたのは、明るい人の元には明るい物事が集まってくるんだなということですね。

生きていたら、いいことも悪いことも同じくらい起きていると思うんです。でも。明るい気持ちでいると、明るいことの方に目を向けることが出来る気がしました。それは高校時代の仲間だけではなく、パラ大学祭やD-SHiPS32のメンバーを見ても思っているところです。

パラ大学祭ではたくさんの大学生が参加していますが、参加者からの声にはどんなものがありますか?
ーー実は、関東圏を中心にパラ大学祭が好きという学生が増えてきているんですよ。また、留学生の参加も増えています。ロシア人留学生は「障害のある人しかやっちゃいけないと思っていたけど、考え方がひっくり返されたよ!」と言ってくれました。

韓国人留学生は「外国人として日本に来て疎外感を感じていたけど、違いがあっても乗り越えていける。パラスポーツを通して大きなものを教えてもらったよ」と話していました。障害だけでなく、あらゆるボーダーを超えていけるんだということを逆に教えてもらったし、言語が通じなくてもパラスポーツは国境を越えて楽しめるんだという素晴らしさも感じました。

楽しい時間が、それぞれの違いをも溶かしていくんですね。
ーー就職を撤回してもう1年大学生をするので、今年はパラ大学祭の全国行脚をしたいなと画策しています。今年はパラリンピックイヤーなので、規模を大きくしたいですね!パリ五輪はエッフェル塔やセーヌ川など世界的な名所を会場にするそうですけど・・・パラ大学祭もヒントを得て、体育館を飛び出してやってみたいですね。

それは楽しそう!
ーー僕自身の肌感覚として、東京2020の影響で東京周辺の街のバリアフリーは進んだけれど、地方はまだまだ余地がある気がしています。だからこそパラ大学祭を全国に広めていきたいんですよ。

夢は決めるのではなく、気づいたら追いかけているもの

サッカーやパラ大学祭にダンス、アイスホッケーと夢が膨らむ持田さん

持田さんと話していると、どんどん楽しいことが膨らんでいくような感覚になります。
ーー今の自分は、決めた夢を追いかけてるのではなくて、気づいたら新しい夢を描いているような感じなんです。D-SHiPS32には「夢が、いちばんのエネルギー。」というキャッチコピーがありますけど、楽しいことをしていたら、思ってもみなかった自分に出会えているんですよね。

パラダンススポーツの選手になったり、カタールに1人で行ったりすることも、ケガを負った直後だと考えられなかったことですよね。
ーーカタールでは、現地で試合前のセレモニーに招待されて、子どもたちと並んでピッチに立ったんです。さらには吉田麻也選手から「一緒に歌おう」と国歌斉唱のときに声までかけてもらって・・・!本当にミラクルでした。

僕はサッカーをやっていたころ、日本代表としてW杯に出場することと海外でプレーすることが夢でした。まさか車いすでW杯のピッチにたどり着くとは思わなかったし、人生わからないものですよね。

めったにない貴重な経験でしたね。持田さんの将来の夢はどんなことを描いていますか。
ーーサッカーへの思いはまたそれで大きくなっているので、サッカーに関する仕事に就きたいなと考えています。2030年はW杯100周年の大会になるので、それまでに出場48ヶ国を1周する旅をしたいな、なんていうことも考えています。

そして、自分を変えてくれたパラ大学祭を大きくしていくこと。サッカーとパラ大学祭は、僕にとって大きくて大切な宝物になりました。

あと実は・・・パラアイスホッケーの選手になりたいなと密かに思っているんです。

なんと!大ちゃんとチームメイトになれる可能性も・・・?
ーー大祐さんの子分になろうかな(笑)。でもアイスホッケーを見ていると、サッカーで培ったポジショニングやオフザボールの動きなんかがすごく役に立ちそうって思ったんです。いつか僕も、パラリンピックの舞台に立ってみたいです!