私について⑥-高校後編-
時は経ち
高校3年になり、将来何をするか・・・?そんな事を考えてました。
母の遺言の「体育教師」を本当にやるのか?
父みたくサラリーマンやって病気をもたせた会社を乗っ取るか?
自分は体育教師を選択しました。
理由は
・バスケットが生涯続けれる
・人の役に立てる
・公務員?のように稼げる(安定)
・母の遺言
やってもないのにもうやると決めて
自分が教員かの様に全ての行動言動、思考を自分が思う先生の像を追っていきました。
すると毎日5時間勉強し、3時間トレーニングし、他の時間は予備校に通ったり
もう今までの自分とは変わってきました。
「毎日充実してるねー」とよく言われてましたが、実際は
家帰れば家事炊事全部母の代わりにやってます。
なぜか?
我が家は
姉:独自の食事、他は無関心
父:自炊できない。なんなら家事も
私:白米が進むおかずあればOK、洗濯物一番多い
協力という言葉が一切ないのですべて私が請け負うことに
(食べる量・洗濯の量も私が一番多い為)
そんな生活をやってもぶっ倒れることもなく
7:00登校
23:00帰宅
一切遊ぶこともせず一般入試でとある体育大に入学する事ができました。
合格したはいいが
大学の入学金+授業料
=約160万
世帯年収800万だったとしても
母はいない+父もメンタルヘルスで休業気味
=年収300万未満
そう。
金銭問題。
結論で言えば
4年間無事通う事ができました。
なぜか?
日本学生支援機構に助けてもらいました。
ただ、これが後に大問題に・・・
そんなこんなで一瞬でお金というのは大変だと学べ
今まで簡易に「母ちゃんお金ちょうだい」と言っていた自分に喝を入れたいです笑
そんなこんなで
進路も確定し、残りの2ヶ月高校生ライフを楽しみ
自分には可能性しかないと全力で楽しみ。
卒業まで1週間
突然顔真っ白な後輩に呼び出され、美術室へ
「卒業おめでとうございます!」
そうバスケ部の卒業祝いでした。
めちゃくちゃ泣きましたね。
3年間自分を信じて結果を出して、部を存続する事もできて
さらにバスケも人も愛する事ができた。
この経験は自分の中で今でも最高の成功体験です。
高校の3年間は怒涛でした。
その中でもやり続ける事が特に結果に結びついた
でも失う人もいた
これぞ人生というのを体感できた
これが私の高校生ライフでした。